2022年04月27日
お城めぐり!9城目【福山城(その2)】
お城めぐりの順番で行けば145城目ですが、
今回は9城目、広島県福山市にある福山城(その2)です。

その1は12年前にUPしましたが、当時はただの天守好きでして、
天守を外から見て満足していただけの、やっつけ城めぐりしていたので、
内容もめちゃくちゃシンプルで自分でも驚きます。
何の参考にもならない福山城(その1)はこちら
当時は知識も興味も今ほど深くなく、
1番注目すべき、伏見櫓と筋鉄御門の写真すら掲載しない暴挙に出ていることに
今見て自分でも驚くばかりです・・・
天守のみを追いかけていた事が良く分かります・・・まぁ入口は誰もがそんなところです。(言い訳しておきます)
気を取り直して
福山城は刈谷藩主→大和郡山藩主だった水野勝成が福山へ転封され福山藩主の居城として1619年に築いた、
近世城郭最後の城と言われております。
国の史跡に指定、現存の伏見櫓と筋鉄御門が国の重要文化財に指定されております。
日本100名城に選定。
福山城は6年前の正月休みを利用して行った、
島根、山口、広島の城めぐり旅で最後に訪れた城です。
旅の最終日の早朝に三原城を見た後、訪れました。
三原から在来線で福山駅到着!117系に乗車したようですが、今はもう走ってないかな?

福山城は福山駅ホームから嫌でも見えます。


いざ、出陣!
正月休みの城が多い中、復興天守である鉄筋コンクリート造の福山城博物館ですが、開館してくれているのはありがたい!

※福山城博物館は現在リニューアル工事中にて、令和2年8月1日~令和4年8月27日まで休館中です。
二の丸の石垣とその上に月見櫓

案内看板とマップ

二の丸南側の石垣に沿って本丸の入口となる筋鉄御門方面へ

かなりアバウトなマップ。これくらいの方が逆にわかりやすい?

石の福山城案内

石で作られているとチョット高級感があるのと、行政の力の入れ具合を感じるのは私だけかもしれません。

既に当時の三ノ丸内に居る事になるので、既に城には入っているから(屁理屈ですかね?)福山城公園へ入って行きますと表現しておきます(笑)

公園入口の階段を上がって来た道を振り返る。右手に福山駅、左手は二の丸の石垣

二の丸の石垣の上には塀も再現されており、しっかり狭間もありますね

そしてまず最初にドンと現れるのが現存で重要文化財の伏見櫓。京都の伏見城から移築されたので伏見櫓と呼ばれています。

二の丸。と言っても、福山城の縄張りは輪郭式にて本丸を囲う様に二の丸があるので、ここだけではありません。

こちらも現存で重要文化財の筋鉄御門

伏見櫓と筋鉄御門の説明

門の前から振り返り、伏見櫓

筋鉄御門をくぐります

でかい扉です

肘金・壺金(今で言うところの丁番・蝶番)もデカい

ですので乳金物もデカい。


扉を締めた時にこちらの閂(かんぬき)を延ばして門を閉じるになります

門を抜けるとそこには本丸御殿跡

本丸へ入ったところから振り返り、筋鉄御門

天守が奥に見えます

天守へ行く前に本丸の建物をチェック!
筋鉄御門の脇にある、鐘櫓



一部現存の櫓です。

2階が1階の片側に乗っかっているので、見る角度によって全然違う櫓に見えます

櫓下は行き止まりで、3方に囲まれた恐ろしい場所です。


鐘櫓のすぐ南に扉がみえます

見上げると

引くと、最初に見た伏見櫓の入口でした

西側を見ると、石垣が結構な高さだとわかります。

福山駅も木の間から見えます

本丸南にある再建された湯殿



福山駅ホームからも見える月見櫓


本丸東、月見櫓の北にある再建された鏡櫓


月見櫓と鏡櫓を繋ぐ塀


鏡櫓前から入って来た筋鉄御門を見返す

天守

ここにも福山城の説明が

前回入れなかった天守(福山城博物館)へ

まずは日本100名城スタンプGET

最上階から本丸を見下ろす。奥には福山駅新幹線ホームが見えます

西側、尾道・三原方面

北を見下ろす

北東

廻り縁があるので、ぐるりと回れました。

内部の展示物写真が無いので、おそらく館内撮影禁止だったのでしょう。
天守北側。石垣の石が一部赤いのは、天守が戦火により燃えてしまった時の影響と思われます。

戦前は現存天守として、当時の国宝になっておりました。
(名古屋城、広島城、岡山城、大垣城なども同じように戦争で天守が燃えてしまいました)
本丸を出て二の丸を西側へ
本丸石垣の排水口に猫が

福山藩7代目藩主、阿部正弘は幕末の難局時に老中となる。幕末の大河ドラマにはほぼ出てきますね。


二の丸から見た鐘櫓

打ち込みハギで積まれた、高い石垣は本丸をぐるりと囲い、威圧感のある見せる石垣として存在感大



天守北側の石垣



天守を見上げる。本来北側は鉄板張りの壁だったそうです。


北東から天守

東から天守

福山城を築城した水野勝成像


福山城公園内に移築された、内藤家長屋門


長屋門を西へ抜けると、遠くに立派な教会みたいな建物が目につきますが、結婚式場だそうです


福山城とは全く関係ないですが、きっと目に入ると思うので・・・
二の丸西側を最後に堪能

南西角の二の丸石垣と奥に伏見櫓がチラリ

最後に伏見櫓をしっかり目に焼き付けて福山城とお別れ

福山城をもって、3泊4日の城めぐり旅は終了しました。
今年築城400年を迎える福山城。
行くならば400年記念日の8/28以降が良いと思います。
どんな事が行われるか気になる方はこちらをチェック
私は来年以降落ち着いた頃にリニューアルされた福山城を見に行きたいと思います。
次回145城目ではなく、32城目鳥羽城(その2)です。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
今回は9城目、広島県福山市にある福山城(その2)です。

その1は12年前にUPしましたが、当時はただの天守好きでして、
天守を外から見て満足していただけの、やっつけ城めぐりしていたので、
内容もめちゃくちゃシンプルで自分でも驚きます。
何の参考にもならない福山城(その1)はこちら
当時は知識も興味も今ほど深くなく、
1番注目すべき、伏見櫓と筋鉄御門の写真すら掲載しない暴挙に出ていることに
今見て自分でも驚くばかりです・・・
天守のみを追いかけていた事が良く分かります・・・まぁ入口は誰もがそんなところです。(言い訳しておきます)
気を取り直して
福山城は刈谷藩主→大和郡山藩主だった水野勝成が福山へ転封され福山藩主の居城として1619年に築いた、
近世城郭最後の城と言われております。
国の史跡に指定、現存の伏見櫓と筋鉄御門が国の重要文化財に指定されております。
日本100名城に選定。
福山城は6年前の正月休みを利用して行った、
島根、山口、広島の城めぐり旅で最後に訪れた城です。
旅の最終日の早朝に三原城を見た後、訪れました。
三原から在来線で福山駅到着!117系に乗車したようですが、今はもう走ってないかな?

福山城は福山駅ホームから嫌でも見えます。


いざ、出陣!
正月休みの城が多い中、復興天守である鉄筋コンクリート造の福山城博物館ですが、開館してくれているのはありがたい!

※福山城博物館は現在リニューアル工事中にて、令和2年8月1日~令和4年8月27日まで休館中です。
二の丸の石垣とその上に月見櫓

案内看板とマップ

二の丸南側の石垣に沿って本丸の入口となる筋鉄御門方面へ

かなりアバウトなマップ。これくらいの方が逆にわかりやすい?

石の福山城案内

石で作られているとチョット高級感があるのと、行政の力の入れ具合を感じるのは私だけかもしれません。

既に当時の三ノ丸内に居る事になるので、既に城には入っているから(屁理屈ですかね?)福山城公園へ入って行きますと表現しておきます(笑)

公園入口の階段を上がって来た道を振り返る。右手に福山駅、左手は二の丸の石垣

二の丸の石垣の上には塀も再現されており、しっかり狭間もありますね

そしてまず最初にドンと現れるのが現存で重要文化財の伏見櫓。京都の伏見城から移築されたので伏見櫓と呼ばれています。

二の丸。と言っても、福山城の縄張りは輪郭式にて本丸を囲う様に二の丸があるので、ここだけではありません。

こちらも現存で重要文化財の筋鉄御門

伏見櫓と筋鉄御門の説明

門の前から振り返り、伏見櫓

筋鉄御門をくぐります

でかい扉です

肘金・壺金(今で言うところの丁番・蝶番)もデカい

ですので乳金物もデカい。


扉を締めた時にこちらの閂(かんぬき)を延ばして門を閉じるになります

門を抜けるとそこには本丸御殿跡

本丸へ入ったところから振り返り、筋鉄御門

天守が奥に見えます

天守へ行く前に本丸の建物をチェック!
筋鉄御門の脇にある、鐘櫓



一部現存の櫓です。

2階が1階の片側に乗っかっているので、見る角度によって全然違う櫓に見えます

櫓下は行き止まりで、3方に囲まれた恐ろしい場所です。


鐘櫓のすぐ南に扉がみえます

見上げると

引くと、最初に見た伏見櫓の入口でした

西側を見ると、石垣が結構な高さだとわかります。

福山駅も木の間から見えます

本丸南にある再建された湯殿



福山駅ホームからも見える月見櫓


本丸東、月見櫓の北にある再建された鏡櫓


月見櫓と鏡櫓を繋ぐ塀


鏡櫓前から入って来た筋鉄御門を見返す

天守

ここにも福山城の説明が

前回入れなかった天守(福山城博物館)へ

まずは日本100名城スタンプGET

最上階から本丸を見下ろす。奥には福山駅新幹線ホームが見えます

西側、尾道・三原方面

北を見下ろす

北東

廻り縁があるので、ぐるりと回れました。

内部の展示物写真が無いので、おそらく館内撮影禁止だったのでしょう。
天守北側。石垣の石が一部赤いのは、天守が戦火により燃えてしまった時の影響と思われます。

戦前は現存天守として、当時の国宝になっておりました。
(名古屋城、広島城、岡山城、大垣城なども同じように戦争で天守が燃えてしまいました)
本丸を出て二の丸を西側へ
本丸石垣の排水口に猫が

福山藩7代目藩主、阿部正弘は幕末の難局時に老中となる。幕末の大河ドラマにはほぼ出てきますね。


二の丸から見た鐘櫓

打ち込みハギで積まれた、高い石垣は本丸をぐるりと囲い、威圧感のある見せる石垣として存在感大



天守北側の石垣



天守を見上げる。本来北側は鉄板張りの壁だったそうです。


北東から天守

東から天守

福山城を築城した水野勝成像


福山城公園内に移築された、内藤家長屋門


長屋門を西へ抜けると、遠くに立派な教会みたいな建物が目につきますが、結婚式場だそうです


福山城とは全く関係ないですが、きっと目に入ると思うので・・・
二の丸西側を最後に堪能

南西角の二の丸石垣と奥に伏見櫓がチラリ

最後に伏見櫓をしっかり目に焼き付けて福山城とお別れ

福山城をもって、3泊4日の城めぐり旅は終了しました。
今年築城400年を迎える福山城。
行くならば400年記念日の8/28以降が良いと思います。
どんな事が行われるか気になる方はこちらをチェック
私は来年以降落ち着いた頃にリニューアルされた福山城を見に行きたいと思います。
次回145城目ではなく、32城目鳥羽城(その2)です。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2022年04月02日
お城めぐり!144城目【三原城】
お城めぐりの144城目は、
広島県三原市の三原城です!

三原城と言えば、小早川隆景が築城した事が真っ先に来ます。
そして、城が三原駅により分断され、特に山陽新幹線の高架が本丸・天主台を突き抜けた事で、
天主台から新幹線ホームが見える城のイメージがあります。
国の史跡に指定され、続日本100名城に選定されています。
その三原城へは2016年の正月休みを利用して行った、
島根・山口・広島の城めぐり旅で訪れました。
前日の津和野城から一気に三原入りしました。


やはり小早川隆景推しですね

三原城天守台は三原駅構内から入るのですが、6:30~22:00にて、
既に22時少し過ぎており、入れなかった記憶があります。
諦めて駅を出てホテルへ向かいます

ホテルチェックイン後に晩御飯を食べに駅前をフラフラ。三原駅前に飲食店は沢山あります

記憶にないのですが、アジと

ホッケを自分で焼いて食べられる店に入った様です

翌朝、ホテルの部屋からの眺め。港のコンビナートと筆影山!


筆影山へは15年くらい前、まだ城めぐりに目覚める前でしたが、
広島へ来る機会があり知り合いに展望台まで連れて行って貰いましたが、日本海の島々がキレイに見れた記憶があります。
朝食を朝一番の時間にいただいて、直ぐにチェックアウト!三原城へ攻め入ります!

向かい途中のどこかの病院の救急車

高さギリギリで思わず激写したと思われます。本当に絶妙なギリギリ感。何かの勢いでぶつけそうです。

脱線しましたが、ホテルと天守台のある駅との間に、石垣が現れました(知っていて通りましたが・・・)

こちら船入櫓の石垣です。

算木積みに、奥は出っ張らせて横矢も掛けていますね。

当時はここへ船が入って来ていたようです。

船入櫓の入口へ向かいます

この辺の町名は正しく城町

奥の気が生い茂っているところが船入櫓

朝早かったのか?門が閉まってる?そうか8時前だからか!


いや違う、年末年始は入れず・・・

旅の行程も8時前の列車に乗る予定だったので、どちらにしても見れなかったかも?
三原駅到着

駅前のモニュメント。三原はタコも有名らしい

天主台へ

三原城の模型がありました

築城時は海に面しており、現在の市街地や港は埋立地と分かります。
本丸はこの辺りで、駅もこの辺りにある事になります。

先程入れなかったが、外から見た船入櫓

何もないと思っていたが、展示物も少しあります。三原城と小早川隆景について

右手の階段を登ると天守台

三原城の絵図


天主台へ上がるとまたまた、小早川隆景と三原城の説明


天主台はキレイに整備されておりました

天主台から東側を見ると、新幹線の高架が本丸を突き抜けていることが良く分かります

天主台から北東

天主台から北

天主台から北西

天主台から西。もちろんこちら側も突き抜けております

天主台を散策

奥に何か見えますね

三原駅新幹線ホームと同じ高さの天守台。奥には東海道新幹線では見られない、新幹線JR西日本の700系レールスターが止まってますね。

左側が三原城天守台、右側が三原駅新幹線ホーム

天主台を下ります

小早川隆景像を発見

天主台をぐるっと見る事に
南西から天守台を見上げる。高さも有り、迫力もあります!


西から

行った時は濠周辺の発掘調査を行ってる時期だったようです。このポイントは調査済みで埋め戻してあると書いてあります。

調査の為に水位を下げていたみたいです

北西から

濠の石垣かな?ゴロゴロ転がっていました。

北から

調査後は歴史公園となるそうです。

北東から


この桜も今頃は咲いているでしょうね~

ここに古い案内看板発見

三原城址碑

高架駅と石垣。立地上ここへしか作れなかったのだと思いますが、何とかならなかったのだろうか?と城ファンは勝手に思うのでありました。

天主台への案内。知らなければ行く事は無いかもしれませんらかね、しっかり情報は出さないとね。

石垣をくり抜いて、埋門みたいに開口が設けられました。

天主台とはこちらの南東から見てお別れ

石垣と高架の柱脚との間の通路を抜けて、駅の正面へ戻ります

高架下に埋めれながらも存在感がある本丸の石垣

知らない人が見れば、何故ここに石垣?いや、きっと石垣の存在すら気づかずにスルーされるだろうな。

そして、三原城の別の遺構を確認。
駅前のビルの入口にひっそりと、本丸中門跡

分かりにくいですが、赤い点が本丸中門前の現在位置。

左右の石垣が門の跡だと良く分かる!

見事な石垣が部分的ながら開発された街にあれど壊されず残っているとは凄い!

石垣の裏手は(本丸の内側)

こんな感じで土塁みたいになっており、植栽でキレイに整備

ちょうど1年前の2022年4月、小早川隆景が三原城の前に築いた新高山城へ行くために三原へまた夜やって来て泊まりました。
その時は22時直前で、慌てて天守台へ入りました。
夜の写真にて分かりにくいですが、天主台から見た西側ですが、公園として整備されているのが分かります。

そして、夜の天主台から見た三原駅新幹線ホーム。N700Aが見えますね。

前回は気づかなかったのか、掘られている大きな三原城の絵図がありました。

そして、駅の外には見事な三原城の絵が

↓だそうです。

この時も次の日朝早く新高山城へ出発したので、
船入櫓へは入れず・・・
東海道・山陽新幹線沿いにある城は比較的行くチャンスはまだあるだろうからね、
その時に歴史公園含め、船入櫓も見る事にします。
次回は145城目、ではなく9城目で紹介した福山城(その2)です。
いよいよ2016年新春島根・山口・広島の城めぐり旅は福山城をもって終わります。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
広島県三原市の三原城です!

三原城と言えば、小早川隆景が築城した事が真っ先に来ます。
そして、城が三原駅により分断され、特に山陽新幹線の高架が本丸・天主台を突き抜けた事で、
天主台から新幹線ホームが見える城のイメージがあります。
国の史跡に指定され、続日本100名城に選定されています。
その三原城へは2016年の正月休みを利用して行った、
島根・山口・広島の城めぐり旅で訪れました。
前日の津和野城から一気に三原入りしました。


やはり小早川隆景推しですね

三原城天守台は三原駅構内から入るのですが、6:30~22:00にて、
既に22時少し過ぎており、入れなかった記憶があります。
諦めて駅を出てホテルへ向かいます

ホテルチェックイン後に晩御飯を食べに駅前をフラフラ。三原駅前に飲食店は沢山あります

記憶にないのですが、アジと

ホッケを自分で焼いて食べられる店に入った様です

翌朝、ホテルの部屋からの眺め。港のコンビナートと筆影山!


筆影山へは15年くらい前、まだ城めぐりに目覚める前でしたが、
広島へ来る機会があり知り合いに展望台まで連れて行って貰いましたが、日本海の島々がキレイに見れた記憶があります。
朝食を朝一番の時間にいただいて、直ぐにチェックアウト!三原城へ攻め入ります!

向かい途中のどこかの病院の救急車

高さギリギリで思わず激写したと思われます。本当に絶妙なギリギリ感。何かの勢いでぶつけそうです。

脱線しましたが、ホテルと天守台のある駅との間に、石垣が現れました(知っていて通りましたが・・・)

こちら船入櫓の石垣です。

算木積みに、奥は出っ張らせて横矢も掛けていますね。

当時はここへ船が入って来ていたようです。

船入櫓の入口へ向かいます

この辺の町名は正しく城町

奥の気が生い茂っているところが船入櫓

朝早かったのか?門が閉まってる?そうか8時前だからか!


いや違う、年末年始は入れず・・・

旅の行程も8時前の列車に乗る予定だったので、どちらにしても見れなかったかも?
三原駅到着

駅前のモニュメント。三原はタコも有名らしい

天主台へ

三原城の模型がありました

築城時は海に面しており、現在の市街地や港は埋立地と分かります。
本丸はこの辺りで、駅もこの辺りにある事になります。

先程入れなかったが、外から見た船入櫓

何もないと思っていたが、展示物も少しあります。三原城と小早川隆景について

右手の階段を登ると天守台

三原城の絵図


天主台へ上がるとまたまた、小早川隆景と三原城の説明


天主台はキレイに整備されておりました

天主台から東側を見ると、新幹線の高架が本丸を突き抜けていることが良く分かります

天主台から北東

天主台から北

天主台から北西

天主台から西。もちろんこちら側も突き抜けております

天主台を散策

奥に何か見えますね

三原駅新幹線ホームと同じ高さの天守台。奥には東海道新幹線では見られない、新幹線JR西日本の700系レールスターが止まってますね。

左側が三原城天守台、右側が三原駅新幹線ホーム

天主台を下ります

小早川隆景像を発見

天主台をぐるっと見る事に
南西から天守台を見上げる。高さも有り、迫力もあります!


西から

行った時は濠周辺の発掘調査を行ってる時期だったようです。このポイントは調査済みで埋め戻してあると書いてあります。

調査の為に水位を下げていたみたいです

北西から

濠の石垣かな?ゴロゴロ転がっていました。

北から

調査後は歴史公園となるそうです。

北東から


この桜も今頃は咲いているでしょうね~

ここに古い案内看板発見

三原城址碑

高架駅と石垣。立地上ここへしか作れなかったのだと思いますが、何とかならなかったのだろうか?と城ファンは勝手に思うのでありました。

天主台への案内。知らなければ行く事は無いかもしれませんらかね、しっかり情報は出さないとね。

石垣をくり抜いて、埋門みたいに開口が設けられました。

天主台とはこちらの南東から見てお別れ

石垣と高架の柱脚との間の通路を抜けて、駅の正面へ戻ります

高架下に埋めれながらも存在感がある本丸の石垣

知らない人が見れば、何故ここに石垣?いや、きっと石垣の存在すら気づかずにスルーされるだろうな。

そして、三原城の別の遺構を確認。
駅前のビルの入口にひっそりと、本丸中門跡

分かりにくいですが、赤い点が本丸中門前の現在位置。

左右の石垣が門の跡だと良く分かる!

見事な石垣が部分的ながら開発された街にあれど壊されず残っているとは凄い!

石垣の裏手は(本丸の内側)

こんな感じで土塁みたいになっており、植栽でキレイに整備

ちょうど1年前の2022年4月、小早川隆景が三原城の前に築いた新高山城へ行くために三原へまた夜やって来て泊まりました。
その時は22時直前で、慌てて天守台へ入りました。
夜の写真にて分かりにくいですが、天主台から見た西側ですが、公園として整備されているのが分かります。

そして、夜の天主台から見た三原駅新幹線ホーム。N700Aが見えますね。

前回は気づかなかったのか、掘られている大きな三原城の絵図がありました。

そして、駅の外には見事な三原城の絵が

↓だそうです。

この時も次の日朝早く新高山城へ出発したので、
船入櫓へは入れず・・・
東海道・山陽新幹線沿いにある城は比較的行くチャンスはまだあるだろうからね、
その時に歴史公園含め、船入櫓も見る事にします。
次回は145城目、ではなく9城目で紹介した福山城(その2)です。
いよいよ2016年新春島根・山口・広島の城めぐり旅は福山城をもって終わります。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2022年03月15日
お城めぐり!143城目【津和野城】
お城めぐりの143城目は、
島根県津和野町にある津和野城!

津和野城は私が最も攻めたかった城の1つでした。
建物だけではなく、石垣に魅了されていたころで、
現存の石垣がそのまま残る近世山城が特に見たかった時期でした。
国の史跡に指定、日本100名城にも選定されております。
その念願であった津和野城は2016年の正月休みに行った、
城めぐり旅で訪れました。
2016年1月2日の朝に前日訪れた萩城のある萩市から津和野へ向けて出発!
山陰本線を東へ。前日も眺めた日本海の車窓を堪能。



山陰線から山口線への乗換駅、益田駅到着!

接続が悪く確か1時間30分待ちだったと記憶・・・
一旦駅の外へ

待つ場所を探すと、駅前に喫茶店発見!

コーヒーをすすりながら、携帯を充電して待つ

少し早めに駅へ戻り、気動車を眺める。奥が古い国鉄時代製造のキハ40(47かも?)、手前が割と新しいとは言え30年くらい経つキハ120かな?

益田駅でお昼ご飯をGET!
ジャン!焼き鯖寿司!

車内でガッツリいただきました!

益田駅から普通列車で約30分、津和野駅到着!

駅前の案内図をチェック

西へ歩きます

雰囲気のある通りです。山口線の鉄橋が見えてきました

津和野川にかかる鉄橋

川も奥の建物もいい雰囲気です

弥栄神社の鳥居を抜け

昔からやっていると思われる飲食店も並びますが、鯖寿司をいただいたのでとりあえずスルー

太鼓谷稲成神社参道の大きな鳥居。人もたくさん。

丘の上の神社へとずっと続いてます

小さな鳥居がずっと並んでます。ここからスタート

くぐるだけで縁起がよさそうな雰囲気が漂います

登りきると門があります

1月2日ってのもあるでしょうが、流石は日本五大稲成神社の1つに数えられる太鼓谷稲成神社、沢山の人で賑わっていました

参拝の列も長い!

稲成(稲荷)なのでお供え用のお揚げも飛ぶように売れてました。昔からここで売っているのでしょうね!

駐車場もあるみたいですが、混雑を避ける為か殆どの人が歩いて来ていました。

景色を眺めながら、津和野城を目指します

太鼓谷稲成神社の説明看板

道に沿って歩くと、リフト乗り場が見えてきます

冬は週末と年始のみやっているみたいです。1/2にて動いてました。

津和野城址観光リフト乗り場到着

平成28年1月2日、もう6年も前・・・でも記憶は鮮明ですよ!

案内図

当時の津和野城をイメージし易い図が乗り場横にありました

いざ出陣!

楽しいリフトはあっという間に到着!

津和野城へ近づいてきて、気持ちが高ぶって来ます。当時もですが、今も写真を見ながら興奮気味(笑)

早く見たいと、先へ進みます。

中世(吉見氏)の堀切跡の案内が

こちらが堀切。分かりにくいですが、人工的に掘って段差を付ける事で進入しにくい様にした防御設備を堀切と言います。

出丸の石垣が見えてきました

皆さん、意外と出丸はスルーされて、本丸へ向かってしまいますが、出丸も見るべきです

石段が木の根と同化してますが、しっかり残っており、その先に出丸(別名:織部丸)石垣が見えます

出丸(織部丸)到着

出丸虎口

右側(東側かな?)に周り、犬走と東側石垣

出丸へ入ります

一部調査で掘られたり

石垣に赤い印貼られたりしていました。少し崩れそうな状態だったので、調査していたのかな?

出丸北東の石垣は急勾配な断崖に築かれてます。ここからは流石に攻められそうにありません。

出丸の説明看板。東西18m、南北44.5mと広い曲輪です。

出丸からの津和野城下の眺め

流石は中国地方、赤い瓦が特徴の石州瓦が目立ちます!

出丸を下り、本丸方面へ

津和野城址碑と津和野城案内看板



そして、津和野城の前身、三本松城の説明


本丸を目指し先へ

見上げると3段に連なった石垣が現れます

腰曲輪石垣

東門を抜けます

東門案内

東門には登りやすい様に?石垣改修中の為?足場が組んでありました。

東門右手には3段櫓の石垣が分かり易く3段!

3段櫓を正面から

天守台石垣

西門櫓の石垣

台所・馬立場へ

右手には3度目の登場。3段櫓石垣を横目に進みます。

当時の瓦でしょうか?かなり落ちてます。

振り返ると天守台と奥に三十間台の石垣が見えます。存在感ありますね!

西門櫓石垣

奥が台所、左手が馬立場

台所。奥に排水跡となる石列が残ってまいす

馬立場が天守台方面に伸びてます

更に奥にエビ櫓

エビ櫓から台所を見たところ

本当に沢山の瓦片が落ちてます

西門へ戻ります

西門前の縄張り図。意外と分かり易い。

私の中で、津和野城の一番好きなスポット。西門櫓前から見た、左手前天守台と奥に三十間台と右端に人質櫓石垣がチラリと。そこまでの通路や犬走りの距離感がたまりません。

少し進み振り返り、正面左手に西門櫓と右手には天守台の石垣

天守台へ登ります

台所・馬立場えお見下ろす。右手には3段櫓石垣、左手前には西門櫓石垣。

天守台の背後には三十間台の石垣

天守台から人質櫓を望む

天守台から見た東門と3段櫓石垣。下から見ていたのと、見下ろすのでは全然違って見えます。

一見腰曲輪か通路にしか見えない二の丸を抜け

太鼓丸へ上がって行きます

太鼓丸到着!三十間台の虎口石垣が待ち構えてます

太鼓丸から津和野城下町を望む

いよいよ津和野城最高部にある曲輪、三十間台へ

三十間台!

振り返り虎口

こちらの三十間台も断崖絶壁に面しておりますので、とても攻められそうにありません


井戸跡?

広い曲輪です

三十間台からは津和野城下を端から端まで一望できます



三十間台から隣の人質櫓とその奥の三ノ丸を見下ろす。ここからの雰囲気も好きです。赤木城や竹田城の雰囲気に似てます。私だけ?

先程見上げていた天守台を見下ろします

天守台から三の丸へ抜ける腰曲輪石垣はしっかり横矢が掛かってます

三の丸へ

三の丸は細長い曲輪です

三の丸から見る人質櫓石垣は高さも有り、見事です!私の中では3段櫓石垣とこの人質櫓石垣と更に背後の三十間台石垣が重要ポイントかなと。

下がって見ても素敵!

三の丸の先には南門

南門石垣を外から

南門外から廻り、三の丸と人質櫓石垣。ここからもいい感じで石垣の城感が出ていてGOOD!

最後に人質櫓と三十間台の石垣を下から眺め、目に焼き付ける!

しっかり近世山城を堪能!リフト乗り場へ戻ります

リフトで下ります

忘れてはいけない、日本100名城スタンプをリフト乗り場でしっかりGET!

下山してもまだ城は終わらず!
津和野藩主の藩邸と庭の跡、嘉楽園へ

嘉楽園の説明看板

現在は津和野高等学校のグランドに

2つある現存櫓の1つ、物見櫓。大正時代に嘉楽園へ移築されました

物見櫓説明看板

もう一つの現存櫓、馬場先櫓

馬場先櫓説明看板

この馬場先櫓は、元の位置にずっと建っている唯一の建物として、とても貴重です。

櫓から続く土塀の上部が大きく膨らんで面白い造りです


橋から見た津和野川と左手山に太鼓谷稲成神社が見えます

山を振り返ると、おそらく三十間台の石垣が見えます

津和野駅へ戻りながら、津和野の街を散策
街のいたるところに、土塀があります

シックイが剥がれ土が剝き出しに。維持するにも、直すのにもお金がかかるから放置しているのかな?なんでもそうだか維持は大変だ!

学校の塀も雰囲気在りますね

名残惜しいが太鼓谷稲成神社と

津和野城を眺めてお別れ

低いし、変な形のトンネル

ここは昭和な感じの住宅が並びます

偶然、橋を渡る列車に遭遇

そして城下町の中心であったと思われる、風情ある殿町通りへ

左右の水路には鯉が

家老多胡家屋敷の門

江戸時代から残る立派な門です

太い柱です。柱根本にも装飾

多胡家門の案内看板

津和野藩校養老館

重厚な扉

大きな門です

養老館説明

現存の建物も幾つか建ってます



古い建物や門がずっと続くこの通りはタイムスリップしたかの様な疑似体験が出来ます





城だけでなく、城下町もしっかり楽しめる街です

本当に分厚い土塀が沢山あります。これで見納め!

次の列車まで時間があったので、休憩しながらコーヒーとケーキをいただきました。

コーヒーカップが素敵でした。
コーヒーも美味しかったハズです。流石に味まで記憶は無い・・・
良い休憩時間を過ごして駅へ。
駅へ向かうと人が集まっている!

SLが止まっているじゃあ~りませんか!わざとらしい?

これは凄い!SLやまぐち正月ヴァージョン!

そりゃ人も集まりますわな

山の中を走行するので、SLだけでは非力なのかディーゼル機関車DD51も連結されていました

DD51の後ろに客車が繋がっている訳ですね。

これは乗らねば!ってこれを乗るのも城めぐり電車旅の大事なイベントの一つで、最初から予定しておりました!
早速ホームへ

最後尾

津和野から新山口まで!もはら城とは全く関係ないですが、城めぐり旅の一環にて載せないわけには行かないのであります!

LEDではなく、アナログの案内がいいですね~


ホーム内も撮影大会があちこちで行われていました。
実は乗るのが好きで、あまり列車に詳しくないのですが、このSLはC56!C57もSLやまぐち号にあったと思います。大井川鉄道や磐越西線を走る、ばんえつ物語もC57だったかな?

なかなか見る事が無い

石炭を入れる瞬間を見る事が出来ました

陰ながらDD51君も頼もしい!

そして客車の中へ。何故かみんな鉄道オタに見えてくるのは私だけ?

カーテンも照明もレトロ感かあって良い雰囲気です

楽しかった津和野城と津和野城下ともお別れ

SLやまぐちからの車窓が素晴らしかった


終点、新山口までSLをしっかり楽しみました。
その後、山陽本線を東へ乗り継ぎ、宿泊地の三原まで向かうのでありました。
いや~念願の津和野城攻め、良かった~
確かに遠い!行きにくい!
でも行く価値はあります!かなりオススメの城です。
是非SLやまぐちを絡めて、津和野城へ!
大満足の津和野城でした。
長々と写真180枚以上・・・写真選定からコメント入れまでかなり時間かかりましたが、また訪れた気分になって楽しかった~
最後まで無駄に見ていただいた方、ありがとうございました!
そんな訳で次回144城目はあの、小早川隆景の居城であった、三原城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
島根県津和野町にある津和野城!

津和野城は私が最も攻めたかった城の1つでした。
建物だけではなく、石垣に魅了されていたころで、
現存の石垣がそのまま残る近世山城が特に見たかった時期でした。
国の史跡に指定、日本100名城にも選定されております。
その念願であった津和野城は2016年の正月休みに行った、
城めぐり旅で訪れました。
2016年1月2日の朝に前日訪れた萩城のある萩市から津和野へ向けて出発!
山陰本線を東へ。前日も眺めた日本海の車窓を堪能。



山陰線から山口線への乗換駅、益田駅到着!

接続が悪く確か1時間30分待ちだったと記憶・・・
一旦駅の外へ

待つ場所を探すと、駅前に喫茶店発見!

コーヒーをすすりながら、携帯を充電して待つ

少し早めに駅へ戻り、気動車を眺める。奥が古い国鉄時代製造のキハ40(47かも?)、手前が割と新しいとは言え30年くらい経つキハ120かな?

益田駅でお昼ご飯をGET!
ジャン!焼き鯖寿司!

車内でガッツリいただきました!

益田駅から普通列車で約30分、津和野駅到着!

駅前の案内図をチェック

西へ歩きます

雰囲気のある通りです。山口線の鉄橋が見えてきました

津和野川にかかる鉄橋

川も奥の建物もいい雰囲気です

弥栄神社の鳥居を抜け

昔からやっていると思われる飲食店も並びますが、鯖寿司をいただいたのでとりあえずスルー

太鼓谷稲成神社参道の大きな鳥居。人もたくさん。

丘の上の神社へとずっと続いてます

小さな鳥居がずっと並んでます。ここからスタート

くぐるだけで縁起がよさそうな雰囲気が漂います

登りきると門があります

1月2日ってのもあるでしょうが、流石は日本五大稲成神社の1つに数えられる太鼓谷稲成神社、沢山の人で賑わっていました

参拝の列も長い!

稲成(稲荷)なのでお供え用のお揚げも飛ぶように売れてました。昔からここで売っているのでしょうね!

駐車場もあるみたいですが、混雑を避ける為か殆どの人が歩いて来ていました。

景色を眺めながら、津和野城を目指します

太鼓谷稲成神社の説明看板

道に沿って歩くと、リフト乗り場が見えてきます

冬は週末と年始のみやっているみたいです。1/2にて動いてました。

津和野城址観光リフト乗り場到着

平成28年1月2日、もう6年も前・・・でも記憶は鮮明ですよ!

案内図

当時の津和野城をイメージし易い図が乗り場横にありました

いざ出陣!

楽しいリフトはあっという間に到着!

津和野城へ近づいてきて、気持ちが高ぶって来ます。当時もですが、今も写真を見ながら興奮気味(笑)

早く見たいと、先へ進みます。

中世(吉見氏)の堀切跡の案内が

こちらが堀切。分かりにくいですが、人工的に掘って段差を付ける事で進入しにくい様にした防御設備を堀切と言います。

出丸の石垣が見えてきました

皆さん、意外と出丸はスルーされて、本丸へ向かってしまいますが、出丸も見るべきです

石段が木の根と同化してますが、しっかり残っており、その先に出丸(別名:織部丸)石垣が見えます

出丸(織部丸)到着

出丸虎口

右側(東側かな?)に周り、犬走と東側石垣

出丸へ入ります

一部調査で掘られたり

石垣に赤い印貼られたりしていました。少し崩れそうな状態だったので、調査していたのかな?

出丸北東の石垣は急勾配な断崖に築かれてます。ここからは流石に攻められそうにありません。

出丸の説明看板。東西18m、南北44.5mと広い曲輪です。

出丸からの津和野城下の眺め

流石は中国地方、赤い瓦が特徴の石州瓦が目立ちます!

出丸を下り、本丸方面へ

津和野城址碑と津和野城案内看板



そして、津和野城の前身、三本松城の説明


本丸を目指し先へ

見上げると3段に連なった石垣が現れます

腰曲輪石垣

東門を抜けます

東門案内

東門には登りやすい様に?石垣改修中の為?足場が組んでありました。

東門右手には3段櫓の石垣が分かり易く3段!

3段櫓を正面から

天守台石垣

西門櫓の石垣

台所・馬立場へ

右手には3度目の登場。3段櫓石垣を横目に進みます。

当時の瓦でしょうか?かなり落ちてます。

振り返ると天守台と奥に三十間台の石垣が見えます。存在感ありますね!

西門櫓石垣

奥が台所、左手が馬立場

台所。奥に排水跡となる石列が残ってまいす

馬立場が天守台方面に伸びてます

更に奥にエビ櫓

エビ櫓から台所を見たところ

本当に沢山の瓦片が落ちてます

西門へ戻ります

西門前の縄張り図。意外と分かり易い。

私の中で、津和野城の一番好きなスポット。西門櫓前から見た、左手前天守台と奥に三十間台と右端に人質櫓石垣がチラリと。そこまでの通路や犬走りの距離感がたまりません。

少し進み振り返り、正面左手に西門櫓と右手には天守台の石垣

天守台へ登ります

台所・馬立場えお見下ろす。右手には3段櫓石垣、左手前には西門櫓石垣。

天守台の背後には三十間台の石垣

天守台から人質櫓を望む

天守台から見た東門と3段櫓石垣。下から見ていたのと、見下ろすのでは全然違って見えます。

一見腰曲輪か通路にしか見えない二の丸を抜け

太鼓丸へ上がって行きます

太鼓丸到着!三十間台の虎口石垣が待ち構えてます

太鼓丸から津和野城下町を望む

いよいよ津和野城最高部にある曲輪、三十間台へ

三十間台!

振り返り虎口

こちらの三十間台も断崖絶壁に面しておりますので、とても攻められそうにありません


井戸跡?

広い曲輪です

三十間台からは津和野城下を端から端まで一望できます



三十間台から隣の人質櫓とその奥の三ノ丸を見下ろす。ここからの雰囲気も好きです。赤木城や竹田城の雰囲気に似てます。私だけ?

先程見上げていた天守台を見下ろします

天守台から三の丸へ抜ける腰曲輪石垣はしっかり横矢が掛かってます

三の丸へ

三の丸は細長い曲輪です

三の丸から見る人質櫓石垣は高さも有り、見事です!私の中では3段櫓石垣とこの人質櫓石垣と更に背後の三十間台石垣が重要ポイントかなと。

下がって見ても素敵!

三の丸の先には南門

南門石垣を外から

南門外から廻り、三の丸と人質櫓石垣。ここからもいい感じで石垣の城感が出ていてGOOD!

最後に人質櫓と三十間台の石垣を下から眺め、目に焼き付ける!

しっかり近世山城を堪能!リフト乗り場へ戻ります

リフトで下ります

忘れてはいけない、日本100名城スタンプをリフト乗り場でしっかりGET!

下山してもまだ城は終わらず!
津和野藩主の藩邸と庭の跡、嘉楽園へ

嘉楽園の説明看板

現在は津和野高等学校のグランドに

2つある現存櫓の1つ、物見櫓。大正時代に嘉楽園へ移築されました

物見櫓説明看板

もう一つの現存櫓、馬場先櫓

馬場先櫓説明看板

この馬場先櫓は、元の位置にずっと建っている唯一の建物として、とても貴重です。

櫓から続く土塀の上部が大きく膨らんで面白い造りです


橋から見た津和野川と左手山に太鼓谷稲成神社が見えます

山を振り返ると、おそらく三十間台の石垣が見えます

津和野駅へ戻りながら、津和野の街を散策
街のいたるところに、土塀があります

シックイが剥がれ土が剝き出しに。維持するにも、直すのにもお金がかかるから放置しているのかな?なんでもそうだか維持は大変だ!

学校の塀も雰囲気在りますね

名残惜しいが太鼓谷稲成神社と

津和野城を眺めてお別れ

低いし、変な形のトンネル

ここは昭和な感じの住宅が並びます

偶然、橋を渡る列車に遭遇

そして城下町の中心であったと思われる、風情ある殿町通りへ

左右の水路には鯉が

家老多胡家屋敷の門

江戸時代から残る立派な門です

太い柱です。柱根本にも装飾

多胡家門の案内看板

津和野藩校養老館

重厚な扉

大きな門です

養老館説明

現存の建物も幾つか建ってます



古い建物や門がずっと続くこの通りはタイムスリップしたかの様な疑似体験が出来ます





城だけでなく、城下町もしっかり楽しめる街です

本当に分厚い土塀が沢山あります。これで見納め!

次の列車まで時間があったので、休憩しながらコーヒーとケーキをいただきました。

コーヒーカップが素敵でした。
コーヒーも美味しかったハズです。流石に味まで記憶は無い・・・
良い休憩時間を過ごして駅へ。
駅へ向かうと人が集まっている!

SLが止まっているじゃあ~りませんか!わざとらしい?

これは凄い!SLやまぐち正月ヴァージョン!

そりゃ人も集まりますわな

山の中を走行するので、SLだけでは非力なのかディーゼル機関車DD51も連結されていました

DD51の後ろに客車が繋がっている訳ですね。

これは乗らねば!ってこれを乗るのも城めぐり電車旅の大事なイベントの一つで、最初から予定しておりました!
早速ホームへ

最後尾

津和野から新山口まで!もはら城とは全く関係ないですが、城めぐり旅の一環にて載せないわけには行かないのであります!

LEDではなく、アナログの案内がいいですね~


ホーム内も撮影大会があちこちで行われていました。
実は乗るのが好きで、あまり列車に詳しくないのですが、このSLはC56!C57もSLやまぐち号にあったと思います。大井川鉄道や磐越西線を走る、ばんえつ物語もC57だったかな?

なかなか見る事が無い

石炭を入れる瞬間を見る事が出来ました

陰ながらDD51君も頼もしい!

そして客車の中へ。何故かみんな鉄道オタに見えてくるのは私だけ?

カーテンも照明もレトロ感かあって良い雰囲気です

楽しかった津和野城と津和野城下ともお別れ

SLやまぐちからの車窓が素晴らしかった


終点、新山口までSLをしっかり楽しみました。
その後、山陽本線を東へ乗り継ぎ、宿泊地の三原まで向かうのでありました。
いや~念願の津和野城攻め、良かった~
確かに遠い!行きにくい!
でも行く価値はあります!かなりオススメの城です。
是非SLやまぐちを絡めて、津和野城へ!
大満足の津和野城でした。
長々と写真180枚以上・・・写真選定からコメント入れまでかなり時間かかりましたが、また訪れた気分になって楽しかった~
最後まで無駄に見ていただいた方、ありがとうございました!
そんな訳で次回144城目はあの、小早川隆景の居城であった、三原城です!
いわけん城めぐりマップ
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2022年01月24日
お城めぐり!142城目【萩城】
お城めぐりの第142城目は、
山口県萩市の萩城

萩城は長州藩・毛利家の居城で知られていますね。
日本100名城に選定、国の史跡に指定されております。
私が行ったのは2016年の元日!
もう6年も前・・・
広島県・島根県を抜け、
前回UPした浜田城から萩城を目指しました。
青春18切符の旅でありながら、
特急スーパーおき に乗り込み

優雅に飲みながら

日本海の荘厳な荒波を眺め



時には穏やかな海を見て



益田で普通電車に乗り換え東萩駅到着!


まずはレンタサイクルを借りて早速萩城・・・ではなくやはり萩は観光名所盛りだくさんにて、
松下村塾へ





ここで吉田松陰が塾を開き、幕末に活躍した後の著名人が沢山学んだのですね。

元旦ってのもあってか、松陰神社はかなり並んでました



松陰神社の敷地内に松下村塾があり、
花月楼と呼ばれる移築された現存の茶室もあります




吉田松陰資料館なるものに入り(内容は全然覚えておりませんが、入らなくても良かったような・・・)

この旅の相棒に乗り、次へ

伊藤博文別邸

日も傾きかけて来たので急いで萩城へ
向かう途中で外堀の案内が

外堀

萩城の詰城、海岸へ出ると指月山が!

萩城到着

二の丸東門。ここからは入らず、南へ周ります

二の丸南門から本丸へ向かいます

二の丸南門には毛利輝元像がお迎えしてくれます

桝形にて攻めにくい様にと右に曲げられてしまいます

本丸門の前に到着

写真でよく見た萩城址碑と奥に天守台。かつては5層5建の天守が建っていました。

角度は悪いけど、当時の天守

今は石垣しかないけど、想像できますかね?私は想像・妄想して城めぐり楽しんでおります。

橋を渡ります

幅のある堀です

本丸の門も桝形ですが、今度は左へ曲がります

天守台まで石垣が続いてます。かつては土塀が建っていました。階段で登れるようになっています。土塀の狭間から攻撃する為と思います。

左右両方上がれる階段

全体が階段上に築かれた石垣

こちらが本丸内部から見た天守台

天守台へ登り、西側を見下ろす

そこからぐるっと

北側まで

そして東側の入って来た橋と本丸門方面

天守台には礎石が残されてます


天守台を降りて北西から天守台を望む

萩では明治日本の産業革命遺産として松下村塾などど一緒に萩城下町も世界遺産の一つとなりました

本丸背後の詰城でもある指月山へ登ります。山頂(展望台なし)の意味が登ると分かります

詰め丸と指月山の説明看板

この説明を見る限りかなりの急勾配だったかも?

とりあえずそこに城があるから登ります


確かに写真を見る限り急だ!

途中石垣もチラホラ

山登りする事15分か20分程度だったと記憶。詰丸の土塀と門が見えてきました。

こちら現存の土塀と石垣。落書きがあるのはとても残念・・・

やはり正面突破出来ない様に

左へ折れます

そして更に右へ曲げられます。矢穴たっぷりの大きな石を用いた石垣です

入口方面を振り返ったところ

進と更に右へ曲げられ階段を上ります

振り返るとぐるっと回って来たことが良く分かります。門をくぐった事になりますね。

別角度から櫓門

門を抜けると詰め丸の二の丸になります
詰め丸の説明看板

本丸と二の丸の2つの曲輪で構成。いくつか櫓もあった様です。
二の丸

二の丸に夕日が差します

二の丸から見た本丸方面。奥の石垣の向こうが本丸です

本丸へ

本丸は二の丸より少し広く


そして石がゴロゴロ

本丸に石丁場がありました

矢穴だらけの石もあったり

切り出された石もゴロゴロ落ちてました

水も確保できるように貯水池もあった様です

落ちたら戻ってこれそうにない切り立った石垣がぐるりとめぐらされており、流石に詰め城、簡単に落とされそうにないです

本丸東の門跡だったと思われます


登ってくる時に見た、「展望台なし」の案内の理由は周りが木に囲まれて景色が見えないからだと理解。

それでも、木の合間を縫う様に見れるところを探しなんとか納めました

指月山を下りて、東側の海岸線方面へ
途中かなり傷んでおりますが、おそらくこちらも現存の土塀。直さないのかな?

公園を抜けて土塁を登ると、海が広がります

内側から見た土塁は、そとから見ると石垣の上でした

石垣に沿って南下すると
潮入門があります



石垣の上の土塀は復元されたものだそうです。やはり土塀があるから当時の様子がうかがえますね


海岸線を

石垣を見ながら歩き

また本丸南側へ戻って来ました。後ろの山が先程までいた詰め丸のある指月山!
良く見ると石垣の根元に犬走がありますね。軟弱地盤だったのかも?

最後にもう一度天守台を拝んで萩城とお別れ

東萩駅へ戻り、レンタサイクルを返却し

宿へチェックイン

ご飯を食べようとお店を探すもなく、旅館で聞くも元旦にやってる店はないと思うって事で、閉店間際のスーパーで食料を購入した事はしっかり覚えてます

翌朝、電車の出発時間まで、萩観光!
まずは藩校の明倫館!現在は明倫小学校があります。

藩校だった古い建物は整備中で見る事は出来ず・・・どちらにしても早い時間だったので中へは入れなかったでしょうが・・・


明倫館の案内図。とりあえず見れそうなところは行く事に!

聖賢堂

聖賢堂の説明。萩にも東田町が!って豊橋の東田っ子は思わず反応してしまう。

キレイな明倫小学校の校舎ですが、雰囲気や風格はイメージを壊さずに堂々としてます。

さて見たかったのはこちら

明倫館の門

実に厳かな感じです

柱の根元が腐りにくいように銅板でお化粧。根元も何度か交換していると思われます。継いだ後が見えます。しっかり維持管理されてますね!

門から延びる塀の石垣はピッチリ切込みハギ

こちらは、明倫館の門の外にある、明倫小学校の昔の門の様です

明倫館の説明看板

有備館


剣術や槍術の稽古場だったそうです

観徳門

孔子を祀った前門だそうです

と、駆け足で明倫館にまつわる現存の建物を見れて満足!
急いで萩東駅へ

駅のロータリーには、萩城天守の1/6模型がありました

萩城の次は、この旅で1番行きたかった念願の津和野城を目指すのでありました

キハ40で

とりあえず益田まで!

益田からは南下し・・・・・・・
そんな訳で、続きは次回143城目【津和野城】をご覧ください!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
山口県萩市の萩城

萩城は長州藩・毛利家の居城で知られていますね。
日本100名城に選定、国の史跡に指定されております。
私が行ったのは2016年の元日!
もう6年も前・・・
広島県・島根県を抜け、
前回UPした浜田城から萩城を目指しました。
青春18切符の旅でありながら、
特急スーパーおき に乗り込み

優雅に飲みながら

日本海の荘厳な荒波を眺め



時には穏やかな海を見て



益田で普通電車に乗り換え東萩駅到着!


まずはレンタサイクルを借りて早速萩城・・・ではなくやはり萩は観光名所盛りだくさんにて、
松下村塾へ





ここで吉田松陰が塾を開き、幕末に活躍した後の著名人が沢山学んだのですね。

元旦ってのもあってか、松陰神社はかなり並んでました



松陰神社の敷地内に松下村塾があり、
花月楼と呼ばれる移築された現存の茶室もあります




吉田松陰資料館なるものに入り(内容は全然覚えておりませんが、入らなくても良かったような・・・)

この旅の相棒に乗り、次へ

伊藤博文別邸

日も傾きかけて来たので急いで萩城へ
向かう途中で外堀の案内が

外堀

萩城の詰城、海岸へ出ると指月山が!

萩城到着

二の丸東門。ここからは入らず、南へ周ります

二の丸南門から本丸へ向かいます

二の丸南門には毛利輝元像がお迎えしてくれます

桝形にて攻めにくい様にと右に曲げられてしまいます

本丸門の前に到着

写真でよく見た萩城址碑と奥に天守台。かつては5層5建の天守が建っていました。

角度は悪いけど、当時の天守

今は石垣しかないけど、想像できますかね?私は想像・妄想して城めぐり楽しんでおります。

橋を渡ります

幅のある堀です

本丸の門も桝形ですが、今度は左へ曲がります

天守台まで石垣が続いてます。かつては土塀が建っていました。階段で登れるようになっています。土塀の狭間から攻撃する為と思います。

左右両方上がれる階段

全体が階段上に築かれた石垣

こちらが本丸内部から見た天守台

天守台へ登り、西側を見下ろす

そこからぐるっと

北側まで

そして東側の入って来た橋と本丸門方面

天守台には礎石が残されてます


天守台を降りて北西から天守台を望む

萩では明治日本の産業革命遺産として松下村塾などど一緒に萩城下町も世界遺産の一つとなりました

本丸背後の詰城でもある指月山へ登ります。山頂(展望台なし)の意味が登ると分かります

詰め丸と指月山の説明看板

この説明を見る限りかなりの急勾配だったかも?

とりあえずそこに城があるから登ります


確かに写真を見る限り急だ!

途中石垣もチラホラ

山登りする事15分か20分程度だったと記憶。詰丸の土塀と門が見えてきました。

こちら現存の土塀と石垣。落書きがあるのはとても残念・・・

やはり正面突破出来ない様に

左へ折れます

そして更に右へ曲げられます。矢穴たっぷりの大きな石を用いた石垣です

入口方面を振り返ったところ

進と更に右へ曲げられ階段を上ります

振り返るとぐるっと回って来たことが良く分かります。門をくぐった事になりますね。

別角度から櫓門

門を抜けると詰め丸の二の丸になります
詰め丸の説明看板

本丸と二の丸の2つの曲輪で構成。いくつか櫓もあった様です。
二の丸

二の丸に夕日が差します

二の丸から見た本丸方面。奥の石垣の向こうが本丸です

本丸へ

本丸は二の丸より少し広く


そして石がゴロゴロ

本丸に石丁場がありました

矢穴だらけの石もあったり

切り出された石もゴロゴロ落ちてました

水も確保できるように貯水池もあった様です

落ちたら戻ってこれそうにない切り立った石垣がぐるりとめぐらされており、流石に詰め城、簡単に落とされそうにないです

本丸東の門跡だったと思われます


登ってくる時に見た、「展望台なし」の案内の理由は周りが木に囲まれて景色が見えないからだと理解。

それでも、木の合間を縫う様に見れるところを探しなんとか納めました

指月山を下りて、東側の海岸線方面へ
途中かなり傷んでおりますが、おそらくこちらも現存の土塀。直さないのかな?

公園を抜けて土塁を登ると、海が広がります

内側から見た土塁は、そとから見ると石垣の上でした

石垣に沿って南下すると
潮入門があります



石垣の上の土塀は復元されたものだそうです。やはり土塀があるから当時の様子がうかがえますね


海岸線を

石垣を見ながら歩き

また本丸南側へ戻って来ました。後ろの山が先程までいた詰め丸のある指月山!
良く見ると石垣の根元に犬走がありますね。軟弱地盤だったのかも?

最後にもう一度天守台を拝んで萩城とお別れ

東萩駅へ戻り、レンタサイクルを返却し

宿へチェックイン

ご飯を食べようとお店を探すもなく、旅館で聞くも元旦にやってる店はないと思うって事で、閉店間際のスーパーで食料を購入した事はしっかり覚えてます

翌朝、電車の出発時間まで、萩観光!
まずは藩校の明倫館!現在は明倫小学校があります。

藩校だった古い建物は整備中で見る事は出来ず・・・どちらにしても早い時間だったので中へは入れなかったでしょうが・・・


明倫館の案内図。とりあえず見れそうなところは行く事に!

聖賢堂

聖賢堂の説明。萩にも東田町が!って豊橋の東田っ子は思わず反応してしまう。

キレイな明倫小学校の校舎ですが、雰囲気や風格はイメージを壊さずに堂々としてます。

さて見たかったのはこちら

明倫館の門

実に厳かな感じです

柱の根元が腐りにくいように銅板でお化粧。根元も何度か交換していると思われます。継いだ後が見えます。しっかり維持管理されてますね!

門から延びる塀の石垣はピッチリ切込みハギ

こちらは、明倫館の門の外にある、明倫小学校の昔の門の様です

明倫館の説明看板

有備館


剣術や槍術の稽古場だったそうです

観徳門

孔子を祀った前門だそうです

と、駆け足で明倫館にまつわる現存の建物を見れて満足!
急いで萩東駅へ

駅のロータリーには、萩城天守の1/6模型がありました

萩城の次は、この旅で1番行きたかった念願の津和野城を目指すのでありました

キハ40で

とりあえず益田まで!

益田からは南下し・・・・・・・
そんな訳で、続きは次回143城目【津和野城】をご覧ください!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2021年09月28日
お城めぐり!141城目【浜田城】
お城めぐりの141城目は、
島根県浜田市(旧石見国)にある、浜田城です!

浜田城は、外様大名である毛利氏の長州藩への抑えの最前線として築城、
譜代大名が城主として入ります。
幕末に長州征伐が行われますが、長州藩の攻撃に屈して、城を明け渡して城主が逃げ、残った兵が火を放ち消失しました。
続日本100名城に選定されております。
私が行ったのは、続日本100名城に選定される前の、2016年の元旦に攻めました。
前日の大晦日に豊橋から青春18切符で移動、
途中広島県福山市の相方城を攻めて三次入りし、
元旦の早朝に三次駅から三江線(現在廃線)の始発に乗り込むのでありました。
三次駅

始発の三江線

廃線前の三江線時刻表。1日5本。

三江線は広島県の山間部にある三次駅から日本海抜ける江津駅までの区間ですが、
乗り換えなしの直通で三次駅から江津駅まで抜けられるのは私が乗った始発しかない状態でした。
そして、今年の4月に再度三次駅で撮影した時刻表には三江線はありませんでした・・・

廃線前に乗れてよかった(城が1番の目的ですが、この時は三江線も重要な目的でした)
まだ暗いうちから出発したので、途中駅もまだ真っ暗でした

地上20mの位置にある宇都井駅。階段しかない駅です。

下りて撮ってないので、なかなか写真では伝わりませんが、かなり高かったです。地上20mのホームは日本一の高さだったとか。

山間部走行中は天気もイマイチでしたので、なかなか明るくならず・・・

それでも、多分最初で最後となる三江線と車窓を楽しみます。
ホームと右手に川

列車交換待ち

中国地方、特に広島県は赤い瓦が多いです


下流となり日本海が近くなってきました。

ようやく日本海へ抜けました


約5時間かけて浜田駅到着

浜田城まで徒歩約20分。市街地(旧城下町)を西へ抜けます。

途中列が・・・

神社へ初詣の列でした

気になる路地もありましたが、真っすぐ城へ

本当は大手門から攻めたかったので、途中で右折するべきでしたが、何も考えず真っすぐ進み


城山公園の案内が出てきたので、そのまま搦め手(裏口)から攻める事に。別名亀山城・・・亀山城も舞鶴城と同じで沢山ある城名です。

秋葉神社!秋葉神社も全国各地にありますね。

舗装された道を進みます

浜田城と柿本人麻呂

舗装のではなくなり、岩を削った道を進みます


石垣に使われていたと思われる石が、あちらこちらに見え始めました

なんて思っていると、落ちてきて転がっている石を発見

木の根っこに押されたかな?

ついに石垣を確認。本丸の東辺りです。

本丸東の門の石垣と思われます

本丸東の門から入ると二の丸に到着

本丸の入口、一の門。今回階段の上が本丸です

本丸の案内

本丸はとても広い曲輪でした



そして西の角に三重櫓が建っていました

江戸時代は天守を建てる事は特例を除き、建てる事は不可で、3階までの櫓はOKとされていました。実際は天守に見立てていたと思います。

そして、本丸から東側へ

ここからの眺めが素晴らしかった

外ノ浦の湊

ジャン!

ジャジャン!

海上から三重櫓が良く見えたそうです

二の丸へ下り

桝形の二の門から本丸を望む

二の門説明看板

三の丸に下ったところから二の門。桝形なのが良く分かります

三の丸から階段が見えます

本来、下りの階段しかなく、登りの階段ではなく出丸の石垣があったそうです

ピンボケしておりますが、明治になり階段を作ったが当時は出丸石垣があったと説明されております

本来ならば二ノ丸から入れた出丸。三の丸から階段を上がり

出丸に直接行けます


階段を下ります

左手の三の丸を見ながら下ります

三の丸の石垣。一番高い迫力のある石垣でした

圧巻です!



門が見えてきました

浜田城の門ではなく、津和野藩武家屋敷から移築されたものです


門と石垣

浜田城址碑

浜田城の説明


浜田藩追懐の碑

司馬遼太郎による浜田城の説明の様です

CGだとこんな感じ。最近CG復元が増えてきて、かなりイメージ出来る様になりました。

CG動画がありましたのでどうぞ!
敷地内には現在護国神社が在ります。護国神社もよく城郭にありますね。

城の東側は山に囲まれ、住宅地が広がってます。

その東側の山の付け根に中門の石垣が残ってます

中門と裏門の説明

大手門

浜田城の分かり易い説明看板

石垣絵図

想定復元図

本当は右折してこの鳥居をくぐって大手門から攻める予定でした

何も調べず行くとこうなりますね・・・順番が逆になっただけで見れたから満足していますがね。
浜田駅に戻り(行きは北口から出て、帰りはメインの南口から)


18切符の旅でしたが、益田駅まで特急スーパーおきでワープ。

萩城を目指すのでありました!
浜田城、晴れて続日本100名城に選定されましたので、いつかスタンプを押しにまた行かねばなりません。
また同じルートをいつか辿るもの面白いかもしれません・・・三江線は廃線になりましたが・・・
そんな訳で次回142城目は萩城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
島根県浜田市(旧石見国)にある、浜田城です!

浜田城は、外様大名である毛利氏の長州藩への抑えの最前線として築城、
譜代大名が城主として入ります。
幕末に長州征伐が行われますが、長州藩の攻撃に屈して、城を明け渡して城主が逃げ、残った兵が火を放ち消失しました。
続日本100名城に選定されております。
私が行ったのは、続日本100名城に選定される前の、2016年の元旦に攻めました。
前日の大晦日に豊橋から青春18切符で移動、
途中広島県福山市の相方城を攻めて三次入りし、
元旦の早朝に三次駅から三江線(現在廃線)の始発に乗り込むのでありました。
三次駅

始発の三江線

廃線前の三江線時刻表。1日5本。

三江線は広島県の山間部にある三次駅から日本海抜ける江津駅までの区間ですが、
乗り換えなしの直通で三次駅から江津駅まで抜けられるのは私が乗った始発しかない状態でした。
そして、今年の4月に再度三次駅で撮影した時刻表には三江線はありませんでした・・・

廃線前に乗れてよかった(城が1番の目的ですが、この時は三江線も重要な目的でした)
まだ暗いうちから出発したので、途中駅もまだ真っ暗でした

地上20mの位置にある宇都井駅。階段しかない駅です。

下りて撮ってないので、なかなか写真では伝わりませんが、かなり高かったです。地上20mのホームは日本一の高さだったとか。

山間部走行中は天気もイマイチでしたので、なかなか明るくならず・・・

それでも、多分最初で最後となる三江線と車窓を楽しみます。
ホームと右手に川

列車交換待ち

中国地方、特に広島県は赤い瓦が多いです


下流となり日本海が近くなってきました。

ようやく日本海へ抜けました


約5時間かけて浜田駅到着

浜田城まで徒歩約20分。市街地(旧城下町)を西へ抜けます。

途中列が・・・

神社へ初詣の列でした

気になる路地もありましたが、真っすぐ城へ

本当は大手門から攻めたかったので、途中で右折するべきでしたが、何も考えず真っすぐ進み


城山公園の案内が出てきたので、そのまま搦め手(裏口)から攻める事に。別名亀山城・・・亀山城も舞鶴城と同じで沢山ある城名です。

秋葉神社!秋葉神社も全国各地にありますね。

舗装された道を進みます

浜田城と柿本人麻呂

舗装のではなくなり、岩を削った道を進みます


石垣に使われていたと思われる石が、あちらこちらに見え始めました

なんて思っていると、落ちてきて転がっている石を発見

木の根っこに押されたかな?

ついに石垣を確認。本丸の東辺りです。

本丸東の門の石垣と思われます

本丸東の門から入ると二の丸に到着

本丸の入口、一の門。今回階段の上が本丸です

本丸の案内

本丸はとても広い曲輪でした



そして西の角に三重櫓が建っていました

江戸時代は天守を建てる事は特例を除き、建てる事は不可で、3階までの櫓はOKとされていました。実際は天守に見立てていたと思います。

そして、本丸から東側へ

ここからの眺めが素晴らしかった

外ノ浦の湊

ジャン!

ジャジャン!

海上から三重櫓が良く見えたそうです

二の丸へ下り

桝形の二の門から本丸を望む

二の門説明看板

三の丸に下ったところから二の門。桝形なのが良く分かります

三の丸から階段が見えます

本来、下りの階段しかなく、登りの階段ではなく出丸の石垣があったそうです

ピンボケしておりますが、明治になり階段を作ったが当時は出丸石垣があったと説明されております

本来ならば二ノ丸から入れた出丸。三の丸から階段を上がり

出丸に直接行けます


階段を下ります

左手の三の丸を見ながら下ります

三の丸の石垣。一番高い迫力のある石垣でした

圧巻です!



門が見えてきました

浜田城の門ではなく、津和野藩武家屋敷から移築されたものです


門と石垣

浜田城址碑

浜田城の説明


浜田藩追懐の碑

司馬遼太郎による浜田城の説明の様です

CGだとこんな感じ。最近CG復元が増えてきて、かなりイメージ出来る様になりました。

CG動画がありましたのでどうぞ!
敷地内には現在護国神社が在ります。護国神社もよく城郭にありますね。

城の東側は山に囲まれ、住宅地が広がってます。

その東側の山の付け根に中門の石垣が残ってます

中門と裏門の説明

大手門

浜田城の分かり易い説明看板

石垣絵図

想定復元図

本当は右折してこの鳥居をくぐって大手門から攻める予定でした

何も調べず行くとこうなりますね・・・順番が逆になっただけで見れたから満足していますがね。
浜田駅に戻り(行きは北口から出て、帰りはメインの南口から)


18切符の旅でしたが、益田駅まで特急スーパーおきでワープ。

萩城を目指すのでありました!
浜田城、晴れて続日本100名城に選定されましたので、いつかスタンプを押しにまた行かねばなりません。
また同じルートをいつか辿るもの面白いかもしれません・・・三江線は廃線になりましたが・・・
そんな訳で次回142城目は萩城です!
いわけん城めぐりマップ
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2021年07月26日
お城めぐり!140城目【相方城】
お城めぐりの第140城目は、
広島県福山市にあります相方城(さがたじょう)です!

相方城へは、5年前の正月休みに三江線がもうすぐ廃線になるから乗っておかないとって事で
三江線を経由して島根・山口の城めぐり旅の最初に訪れました。
大晦日の豊橋駅始発の東海道線に乗車(もちろん青春18切符普通電車の旅)

始発は今でも同じ時間での区間快速。岡崎まで各駅停車です。

途中2、3度乗り換えして福山駅で福塩線に乗り換え。(8時間経過するも全然楽しい)

飯田線を過去走っていた119系の元となるほぼ同じ顔の105系に乗車

帰りに寄る、福山城がホームから見えます

長閑な車窓を楽しみ

最寄りの新市駅到着

国鉄時代の車両105系とはここでしばしお別れ

名所ガイドには相方城はもちろん掲載されておりません

新市駅から出発!次の電車まで約2時間急ぎます。

駅前から見た相方城(正面の山の上。テレビ送信塔が建っているところが本丸)

川を1本超えます

橋の途中から目指す相方城を望む。目印が建っているので目標が分かり易い。

住宅地を抜け

その先から山道

舗装された道にて歩きやすい

しかし次第に落ち葉だらけに・・・

なんだかんだ言っておりますが歩きやすかったと記憶

工業団地に出ますが、テレビ送信塔がずっと目印ですので迷わずGO!

工場の間を抜けるとようやく相方城の看板が!

ありがたいのはここからも舗装された道


頂上に近づくと石垣が見えてきます。もう城郭の敷地内に居るって事ですね。

相方城は読み方は「さがたじょう」のままで佐賀田城とも書くみたい。

案内看板

比較的大きな郭群が2つあり、そのまわりに小さな郭がいくつかあります。

ずっと目印にしていたテレビ送信塔が建っているのが本丸

そして、比較的大きな郭がこちら。案内図には郭8・9・10となっています

山あいの地形だとよくわかります

山々が連なってなかなか良い景色でした

曲輪8・9・10から相方城下を望む

手前が郭8・9・10奥が本丸に当たる郭1・2

図で見るとこんな感じ(左側切れてますが、郭8・9・10)

本丸へ

土橋を抜けると(左右は堀)

郭2の石垣がデンとお迎えしてくれます

石垣は郭1まで長く続いたと思われますが、現在は切れてます


郭1(本丸)にある城址碑

ブルーシートがちょっと残念ですが、正月を迎えるに恒例の準備?をしていたみたい。

郭2から郭8・9・10を望む

近づいて郭2の先端から

城下の眺めは素晴らしい!川・山に囲われている地形ってよくわかります

郭2の虎口ですが、危険なので通行止めに

郭2から郭1見たところ

郭1には再三説明しているテレビ送信塔!これまでは目印として重宝するも、ここへ来て邪魔な存在に・・・

こんなところに残念石が

北側斜面は急勾配にて全体に登って来られそうにないです。

郭1の更に東は郭4・5があります。郭5に謎の鉄筋コンクリートの建物があります

郭1から東を望む。川沿いに町が形成されているのが良く分かりますね

郭5へ下りると洗い場が。

何の施設だったのかな?

郭4の石垣


郭5の石垣

更に東へ行くと郭7

郭7から郭5の石垣と謎の建物と更に奥に郭1とそこへ建つテレビ送信塔(もう説明の必要ない?)

1番東の郭7から中央部の郭2まで犬走がずっと続いています。その途中の郭1・2の石垣が犬走とセットで良いです!


時間が迫っているので、一気に下山。落ち葉道を!

下山後、最後にテレビ送信塔を望む

急いで城下にある素戔嗚神社へ

境内を散策。なんで来たか?

相方城の門が移築されたと言われています。



櫓もあったそうですが、残念ながら1970年代に焼失(割と最近ですね・・・勿体ない・・・)
新市駅で下車しましたが、素戔嗚神社からの最寄り駅が一つ戻った上戸手駅となりました

再び105系に乗り込み

途中、府中駅で乗り換え

三次駅到着

ホテルへチェックインしましたが、三次駅周辺の飲食店はファミレスくらいしかやってなかったので(大晦日だしね)、
ホテルのレストランへ
三次で食されるワニ料理!ワニと言ってもアリゲーターではなくて、サメの事をワニと呼ぶそうです。
そんな訳で、せっかくだから郷土料理を食す!ワニのから揚げ丼!

大晦日にて年末恒例のこの番組をみながら(写真が残っていたので、見たんでしょうきっと・・・)

ホテルで振舞われた年越しそばをいただき

朝まで生テレビの新春スペシャルを見て年越し(まだ群馬県知事になるとは思っていない頃の山本一太ですね)

次の日の朝一で三次駅から廃線前の三江線に乗り込むのでありました。
次回141城目は、その三江線から日本海へ出て、山陰線に乗り換えて向かった浜田城です。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
広島県福山市にあります相方城(さがたじょう)です!

相方城へは、5年前の正月休みに三江線がもうすぐ廃線になるから乗っておかないとって事で
三江線を経由して島根・山口の城めぐり旅の最初に訪れました。
大晦日の豊橋駅始発の東海道線に乗車(もちろん青春18切符普通電車の旅)

始発は今でも同じ時間での区間快速。岡崎まで各駅停車です。

途中2、3度乗り換えして福山駅で福塩線に乗り換え。(8時間経過するも全然楽しい)

飯田線を過去走っていた119系の元となるほぼ同じ顔の105系に乗車

帰りに寄る、福山城がホームから見えます

長閑な車窓を楽しみ

最寄りの新市駅到着

国鉄時代の車両105系とはここでしばしお別れ

名所ガイドには相方城はもちろん掲載されておりません

新市駅から出発!次の電車まで約2時間急ぎます。

駅前から見た相方城(正面の山の上。テレビ送信塔が建っているところが本丸)

川を1本超えます

橋の途中から目指す相方城を望む。目印が建っているので目標が分かり易い。

住宅地を抜け

その先から山道

舗装された道にて歩きやすい

しかし次第に落ち葉だらけに・・・

なんだかんだ言っておりますが歩きやすかったと記憶

工業団地に出ますが、テレビ送信塔がずっと目印ですので迷わずGO!

工場の間を抜けるとようやく相方城の看板が!

ありがたいのはここからも舗装された道


頂上に近づくと石垣が見えてきます。もう城郭の敷地内に居るって事ですね。

相方城は読み方は「さがたじょう」のままで佐賀田城とも書くみたい。

案内看板

比較的大きな郭群が2つあり、そのまわりに小さな郭がいくつかあります。

ずっと目印にしていたテレビ送信塔が建っているのが本丸

そして、比較的大きな郭がこちら。案内図には郭8・9・10となっています

山あいの地形だとよくわかります

山々が連なってなかなか良い景色でした

曲輪8・9・10から相方城下を望む

手前が郭8・9・10奥が本丸に当たる郭1・2

図で見るとこんな感じ(左側切れてますが、郭8・9・10)

本丸へ

土橋を抜けると(左右は堀)

郭2の石垣がデンとお迎えしてくれます

石垣は郭1まで長く続いたと思われますが、現在は切れてます


郭1(本丸)にある城址碑

ブルーシートがちょっと残念ですが、正月を迎えるに恒例の準備?をしていたみたい。

郭2から郭8・9・10を望む

近づいて郭2の先端から

城下の眺めは素晴らしい!川・山に囲われている地形ってよくわかります

郭2の虎口ですが、危険なので通行止めに

郭2から郭1見たところ

郭1には再三説明しているテレビ送信塔!これまでは目印として重宝するも、ここへ来て邪魔な存在に・・・

こんなところに残念石が

北側斜面は急勾配にて全体に登って来られそうにないです。

郭1の更に東は郭4・5があります。郭5に謎の鉄筋コンクリートの建物があります

郭1から東を望む。川沿いに町が形成されているのが良く分かりますね

郭5へ下りると洗い場が。

何の施設だったのかな?

郭4の石垣


郭5の石垣

更に東へ行くと郭7

郭7から郭5の石垣と謎の建物と更に奥に郭1とそこへ建つテレビ送信塔(もう説明の必要ない?)

1番東の郭7から中央部の郭2まで犬走がずっと続いています。その途中の郭1・2の石垣が犬走とセットで良いです!


時間が迫っているので、一気に下山。落ち葉道を!

下山後、最後にテレビ送信塔を望む

急いで城下にある素戔嗚神社へ

境内を散策。なんで来たか?

相方城の門が移築されたと言われています。



櫓もあったそうですが、残念ながら1970年代に焼失(割と最近ですね・・・勿体ない・・・)
新市駅で下車しましたが、素戔嗚神社からの最寄り駅が一つ戻った上戸手駅となりました

再び105系に乗り込み

途中、府中駅で乗り換え

三次駅到着

ホテルへチェックインしましたが、三次駅周辺の飲食店はファミレスくらいしかやってなかったので(大晦日だしね)、
ホテルのレストランへ
三次で食されるワニ料理!ワニと言ってもアリゲーターではなくて、サメの事をワニと呼ぶそうです。
そんな訳で、せっかくだから郷土料理を食す!ワニのから揚げ丼!

大晦日にて年末恒例のこの番組をみながら(写真が残っていたので、見たんでしょうきっと・・・)

ホテルで振舞われた年越しそばをいただき

朝まで生テレビの新春スペシャルを見て年越し(まだ群馬県知事になるとは思っていない頃の山本一太ですね)

次の日の朝一で三次駅から廃線前の三江線に乗り込むのでありました。
次回141城目は、その三江線から日本海へ出て、山陰線に乗り換えて向かった浜田城です。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら