2022年09月07日
お城めぐり!147城目【土浦城】
お城めぐりの147城目は、
茨城県土浦市にある土浦城です!

土浦城と言えば、あの戦国最弱の武将と揶揄されている小田氏治の居城小田城の支城で、
小田氏を支えた菅谷氏の城。
小田氏治が小田城を追われ土浦城へ入城、その後小田城を奪い返しているので、
決して最弱ではないと思いますが、負け続けた武将のイメージが付いてしまった小田氏関連の城です。
土浦城は茨城県唯一の現存城郭建築物である、太鼓櫓門があり、
その他、木造で復元された櫓や土塁、堀が残り、現在は亀城公園として整備されております。
2017年、続日本100名城に選定されました。
その土浦城へは2016年4月、川崎へLIVEで行ったついで(距離的に全然ついでではありませんが・・・)に行ったのが最初でした。
その後、続日本100名城に選定されたので、今度は2019年2月に同じく川崎へLIVEで行った、またまたついでに土浦城へ。
今回は2回分をまとめた形でUPしたいと思います。
JR常磐線、土浦駅で下車


土浦駅とデッキで繋がっている土浦市役所へ通り抜けると、市役所内に土浦城の案内が出ていました


土浦城のある亀城公園までは市役所から北西に1本道。
途中、気になる老舗の食堂を発見

保立食堂、帰りに寄ろうと決めました。

土浦駅から徒歩15分くらいで、土浦城到着!お堀が見えてきました

こどもの日が近かったせいか、こいのぼりが沢山泳いでいました


橋を渡り、中へ

霞門の先は本丸

本丸内から見た霞門

霞門の直ぐ隣に、復元された東櫓があります

東櫓から太鼓櫓門と

西櫓がこんな感じで見えます

太鼓櫓門へ行きたくなりますが、先に中へ入れる東櫓へ

東櫓復元の経緯

城下町図

土浦城の歴史

土浦城の成り立ち

土浦城址整備事業について。やはり市民や行政にとっても必要とされる城址整備事業は昭和や平成の段階でかなり進められて、復元までしっかり整備されていますね。

景気の良かった頃と、2022年現在では状況も行政の財政もかなり異なるので、当時よりも復元への理解はなかなか難しいでしょうね・・・
どうなる吉田城整備事業・・・今年、吉田城址保存活用整備事業市民会議の委員を務めさせていただいているので、
来年策定される吉田城保存活用整備事業内容がどうなるか気になります。
話は逸れましたが、東櫓は木造にて復元されており、太い柱や梁の存在感が凄い


木造で復元された場合によくある展示

木舞と土塗り壁の模型

瓦の葺き方

2階へ


2階から本丸周りの堀を見下ろす

東櫓を後にして、北側土塁沿いに歩きます

本丸北側から見た東櫓と

太鼓櫓門

そして、こちらが西櫓

西櫓説明


関東以北の城は、土塁の上に束石を置いてその上に柱・土台が建つので、石垣はあまり見られません。

そして、いよいよ現存の太鼓櫓門

太鼓櫓門から東櫓へつづく土塀


こちらの土塀は石落としもあるタイプ

土塀の説明

二の丸側から見た太鼓櫓門

土浦城址碑

太鼓櫓門の前にある土浦城の説明

二の丸

二の丸の堀

二の丸の土塁


二の丸から太鼓櫓門と土塀と本丸堀


二の丸東にある二の丸門があった場所には

武家屋敷のと町家の間のを仕切る門、前川口門を移築

重厚感のある高麗門です

土浦城を見た後は、予定通り保立食堂の天丼をいただきました

そして、2回目に訪れた3年前の2019年2月
二度目にて本丸周りのお堀を東から北へ。この図の下の方から右手へ

本丸堀から東櫓

霞橋の向こうに東櫓

お堀越しの西櫓

同じ場所から霞橋を望む

今回は前回スルーした、土浦市博物館へ

現在の街に城下町を落とした図

小田氏と土浦城の関係


縄張り図

なかなか精巧な造りの土浦城復元模型


土浦藩の成り立ちを学びます

土浦城内の建物について

土浦城について学んだ後は
やはり太鼓門櫓はしっかり見て行かないとね!

西櫓をチラ見して

東櫓へ行き

前回来た時はまだ選定前だった続日本100名城のスタンプをGET!

なかなか味があり、分かりやすい絵

そして帰りにまた寄ってしまいました

保立食堂

また前回と同じ天丼をいただきました

2回目の土浦城も満足して帰るのでありました。
上野までは贅沢に

1000円の課金で、特急ときわ!

優雅にコーヒーと音楽に囲まれながら

あっという間に上野駅


上野から上野東京ラインで熱海までグリーン車、その後沼津で乗り換えしてホームライナーと
豊橋まで時間はかかりましたが、優等席で楽しい乗車時間を過ごしました・。
茨城を代表する城の一つと言っても良い土浦城。
現存の櫓門、復元された櫓、移築された門に隣接した博物館と見ごたえありますよ!
次回148城目は、石垣山城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
茨城県土浦市にある土浦城です!

土浦城と言えば、あの戦国最弱の武将と揶揄されている小田氏治の居城小田城の支城で、
小田氏を支えた菅谷氏の城。
小田氏治が小田城を追われ土浦城へ入城、その後小田城を奪い返しているので、
決して最弱ではないと思いますが、負け続けた武将のイメージが付いてしまった小田氏関連の城です。
土浦城は茨城県唯一の現存城郭建築物である、太鼓櫓門があり、
その他、木造で復元された櫓や土塁、堀が残り、現在は亀城公園として整備されております。
2017年、続日本100名城に選定されました。
その土浦城へは2016年4月、川崎へLIVEで行ったついで(距離的に全然ついでではありませんが・・・)に行ったのが最初でした。
その後、続日本100名城に選定されたので、今度は2019年2月に同じく川崎へLIVEで行った、またまたついでに土浦城へ。
今回は2回分をまとめた形でUPしたいと思います。
JR常磐線、土浦駅で下車


土浦駅とデッキで繋がっている土浦市役所へ通り抜けると、市役所内に土浦城の案内が出ていました


土浦城のある亀城公園までは市役所から北西に1本道。
途中、気になる老舗の食堂を発見

保立食堂、帰りに寄ろうと決めました。

土浦駅から徒歩15分くらいで、土浦城到着!お堀が見えてきました

こどもの日が近かったせいか、こいのぼりが沢山泳いでいました


橋を渡り、中へ

霞門の先は本丸

本丸内から見た霞門

霞門の直ぐ隣に、復元された東櫓があります

東櫓から太鼓櫓門と

西櫓がこんな感じで見えます

太鼓櫓門へ行きたくなりますが、先に中へ入れる東櫓へ

東櫓復元の経緯

城下町図

土浦城の歴史

土浦城の成り立ち

土浦城址整備事業について。やはり市民や行政にとっても必要とされる城址整備事業は昭和や平成の段階でかなり進められて、復元までしっかり整備されていますね。

景気の良かった頃と、2022年現在では状況も行政の財政もかなり異なるので、当時よりも復元への理解はなかなか難しいでしょうね・・・
どうなる吉田城整備事業・・・今年、吉田城址保存活用整備事業市民会議の委員を務めさせていただいているので、
来年策定される吉田城保存活用整備事業内容がどうなるか気になります。
話は逸れましたが、東櫓は木造にて復元されており、太い柱や梁の存在感が凄い


木造で復元された場合によくある展示

木舞と土塗り壁の模型

瓦の葺き方

2階へ


2階から本丸周りの堀を見下ろす

東櫓を後にして、北側土塁沿いに歩きます

本丸北側から見た東櫓と

太鼓櫓門

そして、こちらが西櫓

西櫓説明


関東以北の城は、土塁の上に束石を置いてその上に柱・土台が建つので、石垣はあまり見られません。

そして、いよいよ現存の太鼓櫓門

太鼓櫓門から東櫓へつづく土塀


こちらの土塀は石落としもあるタイプ

土塀の説明

二の丸側から見た太鼓櫓門

土浦城址碑

太鼓櫓門の前にある土浦城の説明

二の丸

二の丸の堀

二の丸の土塁


二の丸から太鼓櫓門と土塀と本丸堀


二の丸東にある二の丸門があった場所には

武家屋敷のと町家の間のを仕切る門、前川口門を移築

重厚感のある高麗門です

土浦城を見た後は、予定通り保立食堂の天丼をいただきました

そして、2回目に訪れた3年前の2019年2月
二度目にて本丸周りのお堀を東から北へ。この図の下の方から右手へ

本丸堀から東櫓

霞橋の向こうに東櫓

お堀越しの西櫓

同じ場所から霞橋を望む

今回は前回スルーした、土浦市博物館へ

現在の街に城下町を落とした図

小田氏と土浦城の関係


縄張り図

なかなか精巧な造りの土浦城復元模型


土浦藩の成り立ちを学びます

土浦城内の建物について

土浦城について学んだ後は
やはり太鼓門櫓はしっかり見て行かないとね!

西櫓をチラ見して

東櫓へ行き

前回来た時はまだ選定前だった続日本100名城のスタンプをGET!

なかなか味があり、分かりやすい絵

そして帰りにまた寄ってしまいました

保立食堂

また前回と同じ天丼をいただきました

2回目の土浦城も満足して帰るのでありました。
上野までは贅沢に

1000円の課金で、特急ときわ!

優雅にコーヒーと音楽に囲まれながら

あっという間に上野駅


上野から上野東京ラインで熱海までグリーン車、その後沼津で乗り換えしてホームライナーと
豊橋まで時間はかかりましたが、優等席で楽しい乗車時間を過ごしました・。
茨城を代表する城の一つと言っても良い土浦城。
現存の櫓門、復元された櫓、移築された門に隣接した博物館と見ごたえありますよ!
次回148城目は、石垣山城です!
いわけん城めぐりマップ
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2022年07月25日
お城めぐり!146城目【神戸城】
お城めぐりの第146城目は、
三重県鈴鹿市にあります、神戸城!

神戸城は織田信長の三男、織田信孝が入った事で知られておりまして、
私は行く前までは天守台の写真をネットで何度も見て想像しておりまして、その天守台のイメージが強いです。
その神戸城へは6年前の2016年4月、伊勢神宮へ行くついでに3城めぐりました。
その時、最後に行った城が神戸城でした。
前回の田丸城はこちら
その田丸城からJR参宮線・JR紀勢線と抜け、途中JRの特急南紀や快速みえが関西線経由だと遠回りにて、
伊勢鉄道を経由するのですが、神戸城の最寄り駅はその伊勢鉄道の鈴鹿駅で、
鈴鹿駅に快速みえが停車するので、途中下車して行ってきました。
伊勢鉄道鈴鹿駅は18切符は快速でも伊勢鉄道区間は別途料金がかかるので、途中下車出来ないのですが、
この時利用した、JR東海の青空フリー切符であれば、快速みえに乗って鈴鹿駅で途中下車出来るのです。
鈴鹿駅

鈴鹿駅から約1キロ、15分~20分くらいで神戸城到着

現在は本丸の一部を残しており、公園として整備されております

二の丸や三ノ丸の大部分は鈴鹿高等学校の敷地となっております。
案内

本丸の周りは土塁で囲まれております


高低差も結構あります


さて、いよいよ天守台へ


天守台階段から上がります

天守台隅部

天守台から東方面には二の丸・三ノ丸が広がっていましたが現在は鈴鹿高等学校があります

天守台に東屋がありましたが、使用者がいたので撮影しておりません。
市民の憩いの場として親しまれているのだと思います。
天守台を下りて、天守台の周りをぐるり
こうして近くでみると、石垣の石の角が丸みを帯びていますね。ここまで丸く面が取れているのはあまりないと思います。


本丸と天守台に満足


本丸の南側土塁

この写真で高低差が結構ある事がよくわかります

南側は本丸を囲う堀だったと思われますが、現在は公園としてしっかり整備。

水路は水堀の名残?

快速みえの時間の都合上、滞在時間は短かったと記憶しております。
鈴鹿駅へ戻ります。

観光案内にしっかり神戸城

鈴鹿駅の時刻表。よく見ると自前の普通電車よりも、JRの特急南紀と快速みえの方が停車本数が多いのですね(笑)
三重県内はJRよりも近鉄の方が、早いし本数もあるのでJRは劣勢にて、
少しでもJRの速達性を上げる為に、伊勢鉄道を通らざるを得ないのでしょうね。
そのおかげで、ついでに神戸城へ行けたので私にはありがたい事情でした。
次回147城目は土浦城です。
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三重県鈴鹿市にあります、神戸城!

神戸城は織田信長の三男、織田信孝が入った事で知られておりまして、
私は行く前までは天守台の写真をネットで何度も見て想像しておりまして、その天守台のイメージが強いです。
その神戸城へは6年前の2016年4月、伊勢神宮へ行くついでに3城めぐりました。
その時、最後に行った城が神戸城でした。
前回の田丸城はこちら
その田丸城からJR参宮線・JR紀勢線と抜け、途中JRの特急南紀や快速みえが関西線経由だと遠回りにて、
伊勢鉄道を経由するのですが、神戸城の最寄り駅はその伊勢鉄道の鈴鹿駅で、
鈴鹿駅に快速みえが停車するので、途中下車して行ってきました。
伊勢鉄道鈴鹿駅は18切符は快速でも伊勢鉄道区間は別途料金がかかるので、途中下車出来ないのですが、
この時利用した、JR東海の青空フリー切符であれば、快速みえに乗って鈴鹿駅で途中下車出来るのです。
鈴鹿駅

鈴鹿駅から約1キロ、15分~20分くらいで神戸城到着

現在は本丸の一部を残しており、公園として整備されております

二の丸や三ノ丸の大部分は鈴鹿高等学校の敷地となっております。
案内

本丸の周りは土塁で囲まれております


高低差も結構あります


さて、いよいよ天守台へ


天守台階段から上がります

天守台隅部

天守台から東方面には二の丸・三ノ丸が広がっていましたが現在は鈴鹿高等学校があります

天守台に東屋がありましたが、使用者がいたので撮影しておりません。
市民の憩いの場として親しまれているのだと思います。
天守台を下りて、天守台の周りをぐるり
こうして近くでみると、石垣の石の角が丸みを帯びていますね。ここまで丸く面が取れているのはあまりないと思います。


本丸と天守台に満足


本丸の南側土塁

この写真で高低差が結構ある事がよくわかります

南側は本丸を囲う堀だったと思われますが、現在は公園としてしっかり整備。

水路は水堀の名残?

快速みえの時間の都合上、滞在時間は短かったと記憶しております。
鈴鹿駅へ戻ります。

観光案内にしっかり神戸城

鈴鹿駅の時刻表。よく見ると自前の普通電車よりも、JRの特急南紀と快速みえの方が停車本数が多いのですね(笑)
三重県内はJRよりも近鉄の方が、早いし本数もあるのでJRは劣勢にて、
少しでもJRの速達性を上げる為に、伊勢鉄道を通らざるを得ないのでしょうね。
そのおかげで、ついでに神戸城へ行けたので私にはありがたい事情でした。
次回147城目は土浦城です。
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2022年06月23日
お城めぐり!145城目【田丸城】
お城めぐりの145城目は、
三重県度会郡玉城町にある、田丸城!

田丸城は南北朝時代に北畠氏が築きました。
織田信長の次男・信雄が北畠氏の養子となり入城、
その後、蒲生氏郷や藤堂高虎の支配下となり、
江戸時代に入ると稲葉氏が入り、最終的には久野氏が入り幕末を迎える。
本丸、二の丸、北の丸に堀廻りや二の門辺りには石垣がかなりの面積で配置されています。
続日本100名城に選定されております。
田丸城へは6年前に伊勢神宮へ行ったついでの城めぐりで、
前回の鳥羽城(その2)の後に訪れました。
伊勢市駅から3駅、田丸駅に到着

古いですが、雰囲気のある駅舎です

徒歩10分程度で田丸城に到着!
橋が架かっておりますが、川ではなく外堀です。

橋を渡り進むと、石垣と内堀が見えてきます

田丸城には現在、玉城町役場、玉城中学校などもあります

道路沿いにもずっと石垣が伸びています

既に田丸城内に居ますが、田丸城本丸と玉城中学校の入口はここから!

この入口は正しく、二の門があったところです

二の門の桝形部分に、田丸城址碑と

結構前からありそうな、田丸城郭図がありますので、ここで本丸とその周辺の曲輪の形状を見ておきます

中へ入ります

比較的と新しい案内図もありました

蓮池

移築された田丸城唯一の現存建物、冨士見門


冨士見門の案内

見上げると石垣群が現れました

本丸虎口へ

流石は南北朝時代に築城!680年は凄い!

本丸虎口説明

虎口を抜けます

虎口を抜けても石垣が何重にも巡っており、真っすぐ進めません。奥には天守台の石垣もチラリ!

北の丸の石垣

一度右に折れさせられるので、本丸から遠ざけられます

本丸北側の石垣

そのまま北の丸へ

北の丸には稲荷神社があります

こちらは北の丸の西側は石垣ではなく、土塁があります

土塁から北の丸北側空堀を見下ろす

北の丸東側は見せる部分にて威圧感のある石垣で守りを強固に

本丸方面へ戻り、再び本丸北側の石垣と上部に天守台

本丸へ

本丸虎口

こちらも本丸虎口となっておりますが、最初の虎口は本丸下の腰曲輪に近い曲輪の虎口かと思われます(案内看板を優先しますが)

やはり虎口は真っすぐ進ませてもらえません

この隅部の石垣は、矢穴ではなく、ドリルで穴を開けた跡があるので、近年積んだものと思われます

本丸はとても広い曲輪です。奥に天守台!

田丸城はポツンと平山城にて、周りの景色が良いです。西側の景観

本丸石垣と、北西の景観

天守台

天守台へ

3層の天守が建っていたそうです

天守台から東側(役場方面)を見下ろす

遠くまで良く見えます

天守台の石垣部には土台が回っていたと思われます

中央部は柱を受ける礎石があったと思いますが、芝で覆われ確認出来ませんでした

天守台北側石垣

天守台から西側の景観

天守台から本丸を下ろす

本丸奥の二の丸方面へ
二の丸石垣

二の丸側の本丸南虎口

虎口から続く本丸南の石垣

二の丸と本丸の間の土橋から見る本丸南虎口と石垣

石垣が高いので、堀が深く見えます

二の丸

二の丸東虎口

二の丸南側の石垣

二の丸を1周して、腰曲輪から本丸南石垣

本丸西石垣

腰曲輪から更に1段下には桜!桜と石垣のセットは素敵な景観でした


本丸の石垣、横矢をかけてます。櫓が建っていました。


本丸北西の石垣

本丸と北の丸の間の堀を歩いてみます

北の丸で見た西と北の空堀

北東角辺りから石垣が

東側は完全に石垣で囲まれてます

石垣の一部は近年積まれたものもあります

その説明看板。土塁崩壊保護の為に野面積で積まれました

大手門から城を出ます


大手門にかかる橋には、外堀


すっかり日も暮れ始めておりますが、
この後、更に1城見るために田丸駅から再びJR参宮線に乗り込むのでありました。
この時、田丸城はまだ続日本100名城に選定される前でした。
3年前に再び訪れて、無事スタンプGETしました。
そんな訳で、次回146城目は、鈴鹿市にある神戸城です
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
三重県度会郡玉城町にある、田丸城!

田丸城は南北朝時代に北畠氏が築きました。
織田信長の次男・信雄が北畠氏の養子となり入城、
その後、蒲生氏郷や藤堂高虎の支配下となり、
江戸時代に入ると稲葉氏が入り、最終的には久野氏が入り幕末を迎える。
本丸、二の丸、北の丸に堀廻りや二の門辺りには石垣がかなりの面積で配置されています。
続日本100名城に選定されております。
田丸城へは6年前に伊勢神宮へ行ったついでの城めぐりで、
前回の鳥羽城(その2)の後に訪れました。
伊勢市駅から3駅、田丸駅に到着

古いですが、雰囲気のある駅舎です

徒歩10分程度で田丸城に到着!
橋が架かっておりますが、川ではなく外堀です。

橋を渡り進むと、石垣と内堀が見えてきます

田丸城には現在、玉城町役場、玉城中学校などもあります

道路沿いにもずっと石垣が伸びています

既に田丸城内に居ますが、田丸城本丸と玉城中学校の入口はここから!

この入口は正しく、二の門があったところです

二の門の桝形部分に、田丸城址碑と

結構前からありそうな、田丸城郭図がありますので、ここで本丸とその周辺の曲輪の形状を見ておきます

中へ入ります

比較的と新しい案内図もありました

蓮池

移築された田丸城唯一の現存建物、冨士見門


冨士見門の案内

見上げると石垣群が現れました

本丸虎口へ

流石は南北朝時代に築城!680年は凄い!

本丸虎口説明

虎口を抜けます

虎口を抜けても石垣が何重にも巡っており、真っすぐ進めません。奥には天守台の石垣もチラリ!

北の丸の石垣

一度右に折れさせられるので、本丸から遠ざけられます

本丸北側の石垣

そのまま北の丸へ

北の丸には稲荷神社があります

こちらは北の丸の西側は石垣ではなく、土塁があります

土塁から北の丸北側空堀を見下ろす

北の丸東側は見せる部分にて威圧感のある石垣で守りを強固に

本丸方面へ戻り、再び本丸北側の石垣と上部に天守台

本丸へ

本丸虎口

こちらも本丸虎口となっておりますが、最初の虎口は本丸下の腰曲輪に近い曲輪の虎口かと思われます(案内看板を優先しますが)

やはり虎口は真っすぐ進ませてもらえません

この隅部の石垣は、矢穴ではなく、ドリルで穴を開けた跡があるので、近年積んだものと思われます

本丸はとても広い曲輪です。奥に天守台!

田丸城はポツンと平山城にて、周りの景色が良いです。西側の景観

本丸石垣と、北西の景観

天守台

天守台へ

3層の天守が建っていたそうです

天守台から東側(役場方面)を見下ろす

遠くまで良く見えます

天守台の石垣部には土台が回っていたと思われます

中央部は柱を受ける礎石があったと思いますが、芝で覆われ確認出来ませんでした

天守台北側石垣

天守台から西側の景観

天守台から本丸を下ろす

本丸奥の二の丸方面へ
二の丸石垣

二の丸側の本丸南虎口

虎口から続く本丸南の石垣

二の丸と本丸の間の土橋から見る本丸南虎口と石垣

石垣が高いので、堀が深く見えます

二の丸

二の丸東虎口

二の丸南側の石垣

二の丸を1周して、腰曲輪から本丸南石垣

本丸西石垣

腰曲輪から更に1段下には桜!桜と石垣のセットは素敵な景観でした


本丸の石垣、横矢をかけてます。櫓が建っていました。


本丸北西の石垣

本丸と北の丸の間の堀を歩いてみます

北の丸で見た西と北の空堀

北東角辺りから石垣が

東側は完全に石垣で囲まれてます

石垣の一部は近年積まれたものもあります

その説明看板。土塁崩壊保護の為に野面積で積まれました

大手門から城を出ます


大手門にかかる橋には、外堀


すっかり日も暮れ始めておりますが、
この後、更に1城見るために田丸駅から再びJR参宮線に乗り込むのでありました。
この時、田丸城はまだ続日本100名城に選定される前でした。
3年前に再び訪れて、無事スタンプGETしました。
そんな訳で、次回146城目は、鈴鹿市にある神戸城です
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2022年05月27日
お城めぐり!32城目【鳥羽城(その2)】
お城めぐりですが、今回は32城目に紹介した鳥羽城(その2)です!

鳥羽城へは前回UPした11年前に初めて行ったのですが、
その後、3度攻めておりまして、
今回は6年前の2016年春、伊勢神宮へ行くついでに城めぐりをしたのですが、
その時最初に訪れたのが鳥羽城でした。
豊橋駅6:35発米原行の特別快速で出陣!(前回は6:45でしたね)

名古屋駅で「快速みえ」に乗り換え

同じ快速みえ51号ですが、前回は鳥羽行でしたが、今回は伊勢市行!


しかも指定席で

でも結局、伊勢市で乗り換えではなく、鳥羽行の普通に変身して、そのまま同じ列車で鳥羽に到着

鳥羽城は鳥羽駅より歩いて数分、近鉄と並走して向かいます。

JRは鳥羽までですが、近鉄は鳥羽より先の賢島まで延びているので、近鉄の電車がかなりの本数通過していきます。
鳥羽城のある水城公園到着!

そのまま南下して近鉄沿いに歩くと三の丸広場が現れます

鳥羽城址案内図

三の丸広場の目の前は近鉄が走り抜け、その奥には鳥羽水族館のアシカショー会場が見えます

ここで情報収集出来ます

鳥羽城の案内

鳥羽城絵図

鳥羽城の歴史

鳥羽城の年表

鳥羽城の案内パンプがあるので

扉を開けてGETしましょう!

鳥羽城の見どころとなる段々石垣(私が勝手に命名、これは現存ではなく再建だと思います)

公園の中へ。段々石垣を見ながら階段を上ります。
登りきると広場があります。元々三の丸の一部?と思います。

本丸を目指し

左手の道を

途中、段々石垣を見下ろせます

分岐があるので更に本丸方面へ

現存の石垣がチラホラと登場してきます

いよいよ本丸の石垣登場!

本丸石垣は良好な状態で残っております。

本丸石垣について解説を見て、いざ本丸へ

本丸はとても広い曲輪です。平成21年まで鳥羽小学校のグラウンドとして使われていたそうです。

本丸からの景色の案内。答志島には鳥羽城を築城した九鬼嘉隆の首塚と胴塚があるそうです。

案内に載っている写真と同じ様に撮影。鳥羽湾一望!右手前に鳥羽水族館、中央右手に真珠島と中央に橋。奥に答志島が見えます。

本丸案内。本丸内に天守台があったようです。

鳥羽城には三重の天守があった様です。復元図は三浦先生が監修されてますね。本当に色んな所で城郭建築の建築復元に関わっていらっしゃいます。

天守の他、本丸御殿もありました

本丸の南には大井戸の跡があります



私が初めて鳥羽城に来た11年前はちょうど発掘調査中で本丸へは入れませんでした。
その時の発掘調査で、御殿の位置や大井戸が発見された様です。やはり、発掘調査の積み重ねで新たな発見があるのだなと実感!

本丸南から北(入口)を望む

本当に本丸からの眺めは良かったです


小学校のグラウンドだった名残

これもまた遺構の一つと言えばそうなりますね

散りかけの桜と本丸石垣

本丸を下ります

本丸の石垣をここから見ると、ずっと続いており威圧感がありますね。

本丸を後にして、広場から西へ下りると、
家老屋敷跡の高い石垣登場


高く長く立派な石垣です


公園の細い抜け道の石垣を堪能しながら

鳥羽駅方面へ戻ります

立派な総石垣の近世城郭でした。
景色が良いので、また来たいお城です。
さて本当の目的が城めぐりなのか、お伊勢参りか分かりませんが、伊勢神宮へ行く前に海を眺めながら

牡蠣とビール!食べた事は覚えてますが、美味かったにきまってますね!

そして伊勢神宮へ



おはらい町で、お昼ご飯!伊勢うどんと手こね寿司のセットをいただいたようです。

伊勢市駅へ戻ると、6年前にて伊勢志摩サミット開催直前だったようです

そして次のお城へ向けて在来線に乗り込むのでありました

次回145城目は田丸城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら

鳥羽城へは前回UPした11年前に初めて行ったのですが、
その後、3度攻めておりまして、
今回は6年前の2016年春、伊勢神宮へ行くついでに城めぐりをしたのですが、
その時最初に訪れたのが鳥羽城でした。
豊橋駅6:35発米原行の特別快速で出陣!(前回は6:45でしたね)

名古屋駅で「快速みえ」に乗り換え

同じ快速みえ51号ですが、前回は鳥羽行でしたが、今回は伊勢市行!


しかも指定席で

でも結局、伊勢市で乗り換えではなく、鳥羽行の普通に変身して、そのまま同じ列車で鳥羽に到着

鳥羽城は鳥羽駅より歩いて数分、近鉄と並走して向かいます。

JRは鳥羽までですが、近鉄は鳥羽より先の賢島まで延びているので、近鉄の電車がかなりの本数通過していきます。
鳥羽城のある水城公園到着!

そのまま南下して近鉄沿いに歩くと三の丸広場が現れます

鳥羽城址案内図

三の丸広場の目の前は近鉄が走り抜け、その奥には鳥羽水族館のアシカショー会場が見えます

ここで情報収集出来ます

鳥羽城の案内

鳥羽城絵図

鳥羽城の歴史

鳥羽城の年表

鳥羽城の案内パンプがあるので

扉を開けてGETしましょう!

鳥羽城の見どころとなる段々石垣(私が勝手に命名、これは現存ではなく再建だと思います)

公園の中へ。段々石垣を見ながら階段を上ります。
登りきると広場があります。元々三の丸の一部?と思います。

本丸を目指し

左手の道を

途中、段々石垣を見下ろせます

分岐があるので更に本丸方面へ

現存の石垣がチラホラと登場してきます

いよいよ本丸の石垣登場!

本丸石垣は良好な状態で残っております。

本丸石垣について解説を見て、いざ本丸へ

本丸はとても広い曲輪です。平成21年まで鳥羽小学校のグラウンドとして使われていたそうです。

本丸からの景色の案内。答志島には鳥羽城を築城した九鬼嘉隆の首塚と胴塚があるそうです。

案内に載っている写真と同じ様に撮影。鳥羽湾一望!右手前に鳥羽水族館、中央右手に真珠島と中央に橋。奥に答志島が見えます。

本丸案内。本丸内に天守台があったようです。

鳥羽城には三重の天守があった様です。復元図は三浦先生が監修されてますね。本当に色んな所で城郭建築の建築復元に関わっていらっしゃいます。

天守の他、本丸御殿もありました

本丸の南には大井戸の跡があります



私が初めて鳥羽城に来た11年前はちょうど発掘調査中で本丸へは入れませんでした。
その時の発掘調査で、御殿の位置や大井戸が発見された様です。やはり、発掘調査の積み重ねで新たな発見があるのだなと実感!

本丸南から北(入口)を望む

本当に本丸からの眺めは良かったです


小学校のグラウンドだった名残

これもまた遺構の一つと言えばそうなりますね

散りかけの桜と本丸石垣

本丸を下ります

本丸の石垣をここから見ると、ずっと続いており威圧感がありますね。

本丸を後にして、広場から西へ下りると、
家老屋敷跡の高い石垣登場


高く長く立派な石垣です


公園の細い抜け道の石垣を堪能しながら

鳥羽駅方面へ戻ります

立派な総石垣の近世城郭でした。
景色が良いので、また来たいお城です。
さて本当の目的が城めぐりなのか、お伊勢参りか分かりませんが、伊勢神宮へ行く前に海を眺めながら

牡蠣とビール!食べた事は覚えてますが、美味かったにきまってますね!

そして伊勢神宮へ



おはらい町で、お昼ご飯!伊勢うどんと手こね寿司のセットをいただいたようです。

伊勢市駅へ戻ると、6年前にて伊勢志摩サミット開催直前だったようです

そして次のお城へ向けて在来線に乗り込むのでありました

次回145城目は田丸城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2022年04月27日
お城めぐり!9城目【福山城(その2)】
お城めぐりの順番で行けば145城目ですが、
今回は9城目、広島県福山市にある福山城(その2)です。

その1は12年前にUPしましたが、当時はただの天守好きでして、
天守を外から見て満足していただけの、やっつけ城めぐりしていたので、
内容もめちゃくちゃシンプルで自分でも驚きます。
何の参考にもならない福山城(その1)はこちら
当時は知識も興味も今ほど深くなく、
1番注目すべき、伏見櫓と筋鉄御門の写真すら掲載しない暴挙に出ていることに
今見て自分でも驚くばかりです・・・
天守のみを追いかけていた事が良く分かります・・・まぁ入口は誰もがそんなところです。(言い訳しておきます)
気を取り直して
福山城は刈谷藩主→大和郡山藩主だった水野勝成が福山へ転封され福山藩主の居城として1619年に築いた、
近世城郭最後の城と言われております。
国の史跡に指定、現存の伏見櫓と筋鉄御門が国の重要文化財に指定されております。
日本100名城に選定。
福山城は6年前の正月休みを利用して行った、
島根、山口、広島の城めぐり旅で最後に訪れた城です。
旅の最終日の早朝に三原城を見た後、訪れました。
三原から在来線で福山駅到着!117系に乗車したようですが、今はもう走ってないかな?

福山城は福山駅ホームから嫌でも見えます。


いざ、出陣!
正月休みの城が多い中、復興天守である鉄筋コンクリート造の福山城博物館ですが、開館してくれているのはありがたい!

※福山城博物館は現在リニューアル工事中にて、令和2年8月1日~令和4年8月27日まで休館中です。
二の丸の石垣とその上に月見櫓

案内看板とマップ

二の丸南側の石垣に沿って本丸の入口となる筋鉄御門方面へ

かなりアバウトなマップ。これくらいの方が逆にわかりやすい?

石の福山城案内

石で作られているとチョット高級感があるのと、行政の力の入れ具合を感じるのは私だけかもしれません。

既に当時の三ノ丸内に居る事になるので、既に城には入っているから(屁理屈ですかね?)福山城公園へ入って行きますと表現しておきます(笑)

公園入口の階段を上がって来た道を振り返る。右手に福山駅、左手は二の丸の石垣

二の丸の石垣の上には塀も再現されており、しっかり狭間もありますね

そしてまず最初にドンと現れるのが現存で重要文化財の伏見櫓。京都の伏見城から移築されたので伏見櫓と呼ばれています。

二の丸。と言っても、福山城の縄張りは輪郭式にて本丸を囲う様に二の丸があるので、ここだけではありません。

こちらも現存で重要文化財の筋鉄御門

伏見櫓と筋鉄御門の説明

門の前から振り返り、伏見櫓

筋鉄御門をくぐります

でかい扉です

肘金・壺金(今で言うところの丁番・蝶番)もデカい

ですので乳金物もデカい。


扉を締めた時にこちらの閂(かんぬき)を延ばして門を閉じるになります

門を抜けるとそこには本丸御殿跡

本丸へ入ったところから振り返り、筋鉄御門

天守が奥に見えます

天守へ行く前に本丸の建物をチェック!
筋鉄御門の脇にある、鐘櫓



一部現存の櫓です。

2階が1階の片側に乗っかっているので、見る角度によって全然違う櫓に見えます

櫓下は行き止まりで、3方に囲まれた恐ろしい場所です。


鐘櫓のすぐ南に扉がみえます

見上げると

引くと、最初に見た伏見櫓の入口でした

西側を見ると、石垣が結構な高さだとわかります。

福山駅も木の間から見えます

本丸南にある再建された湯殿



福山駅ホームからも見える月見櫓


本丸東、月見櫓の北にある再建された鏡櫓


月見櫓と鏡櫓を繋ぐ塀


鏡櫓前から入って来た筋鉄御門を見返す

天守

ここにも福山城の説明が

前回入れなかった天守(福山城博物館)へ

まずは日本100名城スタンプGET

最上階から本丸を見下ろす。奥には福山駅新幹線ホームが見えます

西側、尾道・三原方面

北を見下ろす

北東

廻り縁があるので、ぐるりと回れました。

内部の展示物写真が無いので、おそらく館内撮影禁止だったのでしょう。
天守北側。石垣の石が一部赤いのは、天守が戦火により燃えてしまった時の影響と思われます。

戦前は現存天守として、当時の国宝になっておりました。
(名古屋城、広島城、岡山城、大垣城なども同じように戦争で天守が燃えてしまいました)
本丸を出て二の丸を西側へ
本丸石垣の排水口に猫が

福山藩7代目藩主、阿部正弘は幕末の難局時に老中となる。幕末の大河ドラマにはほぼ出てきますね。


二の丸から見た鐘櫓

打ち込みハギで積まれた、高い石垣は本丸をぐるりと囲い、威圧感のある見せる石垣として存在感大



天守北側の石垣



天守を見上げる。本来北側は鉄板張りの壁だったそうです。


北東から天守

東から天守

福山城を築城した水野勝成像


福山城公園内に移築された、内藤家長屋門


長屋門を西へ抜けると、遠くに立派な教会みたいな建物が目につきますが、結婚式場だそうです


福山城とは全く関係ないですが、きっと目に入ると思うので・・・
二の丸西側を最後に堪能

南西角の二の丸石垣と奥に伏見櫓がチラリ

最後に伏見櫓をしっかり目に焼き付けて福山城とお別れ

福山城をもって、3泊4日の城めぐり旅は終了しました。
今年築城400年を迎える福山城。
行くならば400年記念日の8/28以降が良いと思います。
どんな事が行われるか気になる方はこちらをチェック
私は来年以降落ち着いた頃にリニューアルされた福山城を見に行きたいと思います。
次回145城目ではなく、32城目鳥羽城(その2)です。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
今回は9城目、広島県福山市にある福山城(その2)です。

その1は12年前にUPしましたが、当時はただの天守好きでして、
天守を外から見て満足していただけの、やっつけ城めぐりしていたので、
内容もめちゃくちゃシンプルで自分でも驚きます。
何の参考にもならない福山城(その1)はこちら
当時は知識も興味も今ほど深くなく、
1番注目すべき、伏見櫓と筋鉄御門の写真すら掲載しない暴挙に出ていることに
今見て自分でも驚くばかりです・・・
天守のみを追いかけていた事が良く分かります・・・まぁ入口は誰もがそんなところです。(言い訳しておきます)
気を取り直して
福山城は刈谷藩主→大和郡山藩主だった水野勝成が福山へ転封され福山藩主の居城として1619年に築いた、
近世城郭最後の城と言われております。
国の史跡に指定、現存の伏見櫓と筋鉄御門が国の重要文化財に指定されております。
日本100名城に選定。
福山城は6年前の正月休みを利用して行った、
島根、山口、広島の城めぐり旅で最後に訪れた城です。
旅の最終日の早朝に三原城を見た後、訪れました。
三原から在来線で福山駅到着!117系に乗車したようですが、今はもう走ってないかな?

福山城は福山駅ホームから嫌でも見えます。


いざ、出陣!
正月休みの城が多い中、復興天守である鉄筋コンクリート造の福山城博物館ですが、開館してくれているのはありがたい!

※福山城博物館は現在リニューアル工事中にて、令和2年8月1日~令和4年8月27日まで休館中です。
二の丸の石垣とその上に月見櫓

案内看板とマップ

二の丸南側の石垣に沿って本丸の入口となる筋鉄御門方面へ

かなりアバウトなマップ。これくらいの方が逆にわかりやすい?

石の福山城案内

石で作られているとチョット高級感があるのと、行政の力の入れ具合を感じるのは私だけかもしれません。

既に当時の三ノ丸内に居る事になるので、既に城には入っているから(屁理屈ですかね?)福山城公園へ入って行きますと表現しておきます(笑)

公園入口の階段を上がって来た道を振り返る。右手に福山駅、左手は二の丸の石垣

二の丸の石垣の上には塀も再現されており、しっかり狭間もありますね

そしてまず最初にドンと現れるのが現存で重要文化財の伏見櫓。京都の伏見城から移築されたので伏見櫓と呼ばれています。

二の丸。と言っても、福山城の縄張りは輪郭式にて本丸を囲う様に二の丸があるので、ここだけではありません。

こちらも現存で重要文化財の筋鉄御門

伏見櫓と筋鉄御門の説明

門の前から振り返り、伏見櫓

筋鉄御門をくぐります

でかい扉です

肘金・壺金(今で言うところの丁番・蝶番)もデカい

ですので乳金物もデカい。


扉を締めた時にこちらの閂(かんぬき)を延ばして門を閉じるになります

門を抜けるとそこには本丸御殿跡

本丸へ入ったところから振り返り、筋鉄御門

天守が奥に見えます

天守へ行く前に本丸の建物をチェック!
筋鉄御門の脇にある、鐘櫓



一部現存の櫓です。

2階が1階の片側に乗っかっているので、見る角度によって全然違う櫓に見えます

櫓下は行き止まりで、3方に囲まれた恐ろしい場所です。


鐘櫓のすぐ南に扉がみえます

見上げると

引くと、最初に見た伏見櫓の入口でした

西側を見ると、石垣が結構な高さだとわかります。

福山駅も木の間から見えます

本丸南にある再建された湯殿



福山駅ホームからも見える月見櫓


本丸東、月見櫓の北にある再建された鏡櫓


月見櫓と鏡櫓を繋ぐ塀


鏡櫓前から入って来た筋鉄御門を見返す

天守

ここにも福山城の説明が

前回入れなかった天守(福山城博物館)へ

まずは日本100名城スタンプGET

最上階から本丸を見下ろす。奥には福山駅新幹線ホームが見えます

西側、尾道・三原方面

北を見下ろす

北東

廻り縁があるので、ぐるりと回れました。

内部の展示物写真が無いので、おそらく館内撮影禁止だったのでしょう。
天守北側。石垣の石が一部赤いのは、天守が戦火により燃えてしまった時の影響と思われます。

戦前は現存天守として、当時の国宝になっておりました。
(名古屋城、広島城、岡山城、大垣城なども同じように戦争で天守が燃えてしまいました)
本丸を出て二の丸を西側へ
本丸石垣の排水口に猫が

福山藩7代目藩主、阿部正弘は幕末の難局時に老中となる。幕末の大河ドラマにはほぼ出てきますね。


二の丸から見た鐘櫓

打ち込みハギで積まれた、高い石垣は本丸をぐるりと囲い、威圧感のある見せる石垣として存在感大



天守北側の石垣



天守を見上げる。本来北側は鉄板張りの壁だったそうです。


北東から天守

東から天守

福山城を築城した水野勝成像


福山城公園内に移築された、内藤家長屋門


長屋門を西へ抜けると、遠くに立派な教会みたいな建物が目につきますが、結婚式場だそうです


福山城とは全く関係ないですが、きっと目に入ると思うので・・・
二の丸西側を最後に堪能

南西角の二の丸石垣と奥に伏見櫓がチラリ

最後に伏見櫓をしっかり目に焼き付けて福山城とお別れ

福山城をもって、3泊4日の城めぐり旅は終了しました。
今年築城400年を迎える福山城。
行くならば400年記念日の8/28以降が良いと思います。
どんな事が行われるか気になる方はこちらをチェック
私は来年以降落ち着いた頃にリニューアルされた福山城を見に行きたいと思います。
次回145城目ではなく、32城目鳥羽城(その2)です。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2022年04月02日
お城めぐり!144城目【三原城】
お城めぐりの144城目は、
広島県三原市の三原城です!

三原城と言えば、小早川隆景が築城した事が真っ先に来ます。
そして、城が三原駅により分断され、特に山陽新幹線の高架が本丸・天主台を突き抜けた事で、
天主台から新幹線ホームが見える城のイメージがあります。
国の史跡に指定され、続日本100名城に選定されています。
その三原城へは2016年の正月休みを利用して行った、
島根・山口・広島の城めぐり旅で訪れました。
前日の津和野城から一気に三原入りしました。


やはり小早川隆景推しですね

三原城天守台は三原駅構内から入るのですが、6:30~22:00にて、
既に22時少し過ぎており、入れなかった記憶があります。
諦めて駅を出てホテルへ向かいます

ホテルチェックイン後に晩御飯を食べに駅前をフラフラ。三原駅前に飲食店は沢山あります

記憶にないのですが、アジと

ホッケを自分で焼いて食べられる店に入った様です

翌朝、ホテルの部屋からの眺め。港のコンビナートと筆影山!


筆影山へは15年くらい前、まだ城めぐりに目覚める前でしたが、
広島へ来る機会があり知り合いに展望台まで連れて行って貰いましたが、日本海の島々がキレイに見れた記憶があります。
朝食を朝一番の時間にいただいて、直ぐにチェックアウト!三原城へ攻め入ります!

向かい途中のどこかの病院の救急車

高さギリギリで思わず激写したと思われます。本当に絶妙なギリギリ感。何かの勢いでぶつけそうです。

脱線しましたが、ホテルと天守台のある駅との間に、石垣が現れました(知っていて通りましたが・・・)

こちら船入櫓の石垣です。

算木積みに、奥は出っ張らせて横矢も掛けていますね。

当時はここへ船が入って来ていたようです。

船入櫓の入口へ向かいます

この辺の町名は正しく城町

奥の気が生い茂っているところが船入櫓

朝早かったのか?門が閉まってる?そうか8時前だからか!


いや違う、年末年始は入れず・・・

旅の行程も8時前の列車に乗る予定だったので、どちらにしても見れなかったかも?
三原駅到着

駅前のモニュメント。三原はタコも有名らしい

天主台へ

三原城の模型がありました

築城時は海に面しており、現在の市街地や港は埋立地と分かります。
本丸はこの辺りで、駅もこの辺りにある事になります。

先程入れなかったが、外から見た船入櫓

何もないと思っていたが、展示物も少しあります。三原城と小早川隆景について

右手の階段を登ると天守台

三原城の絵図


天主台へ上がるとまたまた、小早川隆景と三原城の説明


天主台はキレイに整備されておりました

天主台から東側を見ると、新幹線の高架が本丸を突き抜けていることが良く分かります

天主台から北東

天主台から北

天主台から北西

天主台から西。もちろんこちら側も突き抜けております

天主台を散策

奥に何か見えますね

三原駅新幹線ホームと同じ高さの天守台。奥には東海道新幹線では見られない、新幹線JR西日本の700系レールスターが止まってますね。

左側が三原城天守台、右側が三原駅新幹線ホーム

天主台を下ります

小早川隆景像を発見

天主台をぐるっと見る事に
南西から天守台を見上げる。高さも有り、迫力もあります!


西から

行った時は濠周辺の発掘調査を行ってる時期だったようです。このポイントは調査済みで埋め戻してあると書いてあります。

調査の為に水位を下げていたみたいです

北西から

濠の石垣かな?ゴロゴロ転がっていました。

北から

調査後は歴史公園となるそうです。

北東から


この桜も今頃は咲いているでしょうね~

ここに古い案内看板発見

三原城址碑

高架駅と石垣。立地上ここへしか作れなかったのだと思いますが、何とかならなかったのだろうか?と城ファンは勝手に思うのでありました。

天主台への案内。知らなければ行く事は無いかもしれませんらかね、しっかり情報は出さないとね。

石垣をくり抜いて、埋門みたいに開口が設けられました。

天主台とはこちらの南東から見てお別れ

石垣と高架の柱脚との間の通路を抜けて、駅の正面へ戻ります

高架下に埋めれながらも存在感がある本丸の石垣

知らない人が見れば、何故ここに石垣?いや、きっと石垣の存在すら気づかずにスルーされるだろうな。

そして、三原城の別の遺構を確認。
駅前のビルの入口にひっそりと、本丸中門跡

分かりにくいですが、赤い点が本丸中門前の現在位置。

左右の石垣が門の跡だと良く分かる!

見事な石垣が部分的ながら開発された街にあれど壊されず残っているとは凄い!

石垣の裏手は(本丸の内側)

こんな感じで土塁みたいになっており、植栽でキレイに整備

ちょうど1年前の2022年4月、小早川隆景が三原城の前に築いた新高山城へ行くために三原へまた夜やって来て泊まりました。
その時は22時直前で、慌てて天守台へ入りました。
夜の写真にて分かりにくいですが、天主台から見た西側ですが、公園として整備されているのが分かります。

そして、夜の天主台から見た三原駅新幹線ホーム。N700Aが見えますね。

前回は気づかなかったのか、掘られている大きな三原城の絵図がありました。

そして、駅の外には見事な三原城の絵が

↓だそうです。

この時も次の日朝早く新高山城へ出発したので、
船入櫓へは入れず・・・
東海道・山陽新幹線沿いにある城は比較的行くチャンスはまだあるだろうからね、
その時に歴史公園含め、船入櫓も見る事にします。
次回は145城目、ではなく9城目で紹介した福山城(その2)です。
いよいよ2016年新春島根・山口・広島の城めぐり旅は福山城をもって終わります。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
広島県三原市の三原城です!

三原城と言えば、小早川隆景が築城した事が真っ先に来ます。
そして、城が三原駅により分断され、特に山陽新幹線の高架が本丸・天主台を突き抜けた事で、
天主台から新幹線ホームが見える城のイメージがあります。
国の史跡に指定され、続日本100名城に選定されています。
その三原城へは2016年の正月休みを利用して行った、
島根・山口・広島の城めぐり旅で訪れました。
前日の津和野城から一気に三原入りしました。


やはり小早川隆景推しですね

三原城天守台は三原駅構内から入るのですが、6:30~22:00にて、
既に22時少し過ぎており、入れなかった記憶があります。
諦めて駅を出てホテルへ向かいます

ホテルチェックイン後に晩御飯を食べに駅前をフラフラ。三原駅前に飲食店は沢山あります

記憶にないのですが、アジと

ホッケを自分で焼いて食べられる店に入った様です

翌朝、ホテルの部屋からの眺め。港のコンビナートと筆影山!


筆影山へは15年くらい前、まだ城めぐりに目覚める前でしたが、
広島へ来る機会があり知り合いに展望台まで連れて行って貰いましたが、日本海の島々がキレイに見れた記憶があります。
朝食を朝一番の時間にいただいて、直ぐにチェックアウト!三原城へ攻め入ります!

向かい途中のどこかの病院の救急車

高さギリギリで思わず激写したと思われます。本当に絶妙なギリギリ感。何かの勢いでぶつけそうです。

脱線しましたが、ホテルと天守台のある駅との間に、石垣が現れました(知っていて通りましたが・・・)

こちら船入櫓の石垣です。

算木積みに、奥は出っ張らせて横矢も掛けていますね。

当時はここへ船が入って来ていたようです。

船入櫓の入口へ向かいます

この辺の町名は正しく城町

奥の気が生い茂っているところが船入櫓

朝早かったのか?門が閉まってる?そうか8時前だからか!


いや違う、年末年始は入れず・・・

旅の行程も8時前の列車に乗る予定だったので、どちらにしても見れなかったかも?
三原駅到着

駅前のモニュメント。三原はタコも有名らしい

天主台へ

三原城の模型がありました

築城時は海に面しており、現在の市街地や港は埋立地と分かります。
本丸はこの辺りで、駅もこの辺りにある事になります。

先程入れなかったが、外から見た船入櫓

何もないと思っていたが、展示物も少しあります。三原城と小早川隆景について

右手の階段を登ると天守台

三原城の絵図


天主台へ上がるとまたまた、小早川隆景と三原城の説明


天主台はキレイに整備されておりました

天主台から東側を見ると、新幹線の高架が本丸を突き抜けていることが良く分かります

天主台から北東

天主台から北

天主台から北西

天主台から西。もちろんこちら側も突き抜けております

天主台を散策

奥に何か見えますね

三原駅新幹線ホームと同じ高さの天守台。奥には東海道新幹線では見られない、新幹線JR西日本の700系レールスターが止まってますね。

左側が三原城天守台、右側が三原駅新幹線ホーム

天主台を下ります

小早川隆景像を発見

天主台をぐるっと見る事に
南西から天守台を見上げる。高さも有り、迫力もあります!


西から

行った時は濠周辺の発掘調査を行ってる時期だったようです。このポイントは調査済みで埋め戻してあると書いてあります。

調査の為に水位を下げていたみたいです

北西から

濠の石垣かな?ゴロゴロ転がっていました。

北から

調査後は歴史公園となるそうです。

北東から


この桜も今頃は咲いているでしょうね~

ここに古い案内看板発見

三原城址碑

高架駅と石垣。立地上ここへしか作れなかったのだと思いますが、何とかならなかったのだろうか?と城ファンは勝手に思うのでありました。

天主台への案内。知らなければ行く事は無いかもしれませんらかね、しっかり情報は出さないとね。

石垣をくり抜いて、埋門みたいに開口が設けられました。

天主台とはこちらの南東から見てお別れ

石垣と高架の柱脚との間の通路を抜けて、駅の正面へ戻ります

高架下に埋めれながらも存在感がある本丸の石垣

知らない人が見れば、何故ここに石垣?いや、きっと石垣の存在すら気づかずにスルーされるだろうな。

そして、三原城の別の遺構を確認。
駅前のビルの入口にひっそりと、本丸中門跡

分かりにくいですが、赤い点が本丸中門前の現在位置。

左右の石垣が門の跡だと良く分かる!

見事な石垣が部分的ながら開発された街にあれど壊されず残っているとは凄い!

石垣の裏手は(本丸の内側)

こんな感じで土塁みたいになっており、植栽でキレイに整備

ちょうど1年前の2022年4月、小早川隆景が三原城の前に築いた新高山城へ行くために三原へまた夜やって来て泊まりました。
その時は22時直前で、慌てて天守台へ入りました。
夜の写真にて分かりにくいですが、天主台から見た西側ですが、公園として整備されているのが分かります。

そして、夜の天主台から見た三原駅新幹線ホーム。N700Aが見えますね。

前回は気づかなかったのか、掘られている大きな三原城の絵図がありました。

そして、駅の外には見事な三原城の絵が

↓だそうです。

この時も次の日朝早く新高山城へ出発したので、
船入櫓へは入れず・・・
東海道・山陽新幹線沿いにある城は比較的行くチャンスはまだあるだろうからね、
その時に歴史公園含め、船入櫓も見る事にします。
次回は145城目、ではなく9城目で紹介した福山城(その2)です。
いよいよ2016年新春島根・山口・広島の城めぐり旅は福山城をもって終わります。
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2022年03月15日
お城めぐり!143城目【津和野城】
お城めぐりの143城目は、
島根県津和野町にある津和野城!

津和野城は私が最も攻めたかった城の1つでした。
建物だけではなく、石垣に魅了されていたころで、
現存の石垣がそのまま残る近世山城が特に見たかった時期でした。
国の史跡に指定、日本100名城にも選定されております。
その念願であった津和野城は2016年の正月休みに行った、
城めぐり旅で訪れました。
2016年1月2日の朝に前日訪れた萩城のある萩市から津和野へ向けて出発!
山陰本線を東へ。前日も眺めた日本海の車窓を堪能。



山陰線から山口線への乗換駅、益田駅到着!

接続が悪く確か1時間30分待ちだったと記憶・・・
一旦駅の外へ

待つ場所を探すと、駅前に喫茶店発見!

コーヒーをすすりながら、携帯を充電して待つ

少し早めに駅へ戻り、気動車を眺める。奥が古い国鉄時代製造のキハ40(47かも?)、手前が割と新しいとは言え30年くらい経つキハ120かな?

益田駅でお昼ご飯をGET!
ジャン!焼き鯖寿司!

車内でガッツリいただきました!

益田駅から普通列車で約30分、津和野駅到着!

駅前の案内図をチェック

西へ歩きます

雰囲気のある通りです。山口線の鉄橋が見えてきました

津和野川にかかる鉄橋

川も奥の建物もいい雰囲気です

弥栄神社の鳥居を抜け

昔からやっていると思われる飲食店も並びますが、鯖寿司をいただいたのでとりあえずスルー

太鼓谷稲成神社参道の大きな鳥居。人もたくさん。

丘の上の神社へとずっと続いてます

小さな鳥居がずっと並んでます。ここからスタート

くぐるだけで縁起がよさそうな雰囲気が漂います

登りきると門があります

1月2日ってのもあるでしょうが、流石は日本五大稲成神社の1つに数えられる太鼓谷稲成神社、沢山の人で賑わっていました

参拝の列も長い!

稲成(稲荷)なのでお供え用のお揚げも飛ぶように売れてました。昔からここで売っているのでしょうね!

駐車場もあるみたいですが、混雑を避ける為か殆どの人が歩いて来ていました。

景色を眺めながら、津和野城を目指します

太鼓谷稲成神社の説明看板

道に沿って歩くと、リフト乗り場が見えてきます

冬は週末と年始のみやっているみたいです。1/2にて動いてました。

津和野城址観光リフト乗り場到着

平成28年1月2日、もう6年も前・・・でも記憶は鮮明ですよ!

案内図

当時の津和野城をイメージし易い図が乗り場横にありました

いざ出陣!

楽しいリフトはあっという間に到着!

津和野城へ近づいてきて、気持ちが高ぶって来ます。当時もですが、今も写真を見ながら興奮気味(笑)

早く見たいと、先へ進みます。

中世(吉見氏)の堀切跡の案内が

こちらが堀切。分かりにくいですが、人工的に掘って段差を付ける事で進入しにくい様にした防御設備を堀切と言います。

出丸の石垣が見えてきました

皆さん、意外と出丸はスルーされて、本丸へ向かってしまいますが、出丸も見るべきです

石段が木の根と同化してますが、しっかり残っており、その先に出丸(別名:織部丸)石垣が見えます

出丸(織部丸)到着

出丸虎口

右側(東側かな?)に周り、犬走と東側石垣

出丸へ入ります

一部調査で掘られたり

石垣に赤い印貼られたりしていました。少し崩れそうな状態だったので、調査していたのかな?

出丸北東の石垣は急勾配な断崖に築かれてます。ここからは流石に攻められそうにありません。

出丸の説明看板。東西18m、南北44.5mと広い曲輪です。

出丸からの津和野城下の眺め

流石は中国地方、赤い瓦が特徴の石州瓦が目立ちます!

出丸を下り、本丸方面へ

津和野城址碑と津和野城案内看板



そして、津和野城の前身、三本松城の説明


本丸を目指し先へ

見上げると3段に連なった石垣が現れます

腰曲輪石垣

東門を抜けます

東門案内

東門には登りやすい様に?石垣改修中の為?足場が組んでありました。

東門右手には3段櫓の石垣が分かり易く3段!

3段櫓を正面から

天守台石垣

西門櫓の石垣

台所・馬立場へ

右手には3度目の登場。3段櫓石垣を横目に進みます。

当時の瓦でしょうか?かなり落ちてます。

振り返ると天守台と奥に三十間台の石垣が見えます。存在感ありますね!

西門櫓石垣

奥が台所、左手が馬立場

台所。奥に排水跡となる石列が残ってまいす

馬立場が天守台方面に伸びてます

更に奥にエビ櫓

エビ櫓から台所を見たところ

本当に沢山の瓦片が落ちてます

西門へ戻ります

西門前の縄張り図。意外と分かり易い。

私の中で、津和野城の一番好きなスポット。西門櫓前から見た、左手前天守台と奥に三十間台と右端に人質櫓石垣がチラリと。そこまでの通路や犬走りの距離感がたまりません。

少し進み振り返り、正面左手に西門櫓と右手には天守台の石垣

天守台へ登ります

台所・馬立場えお見下ろす。右手には3段櫓石垣、左手前には西門櫓石垣。

天守台の背後には三十間台の石垣

天守台から人質櫓を望む

天守台から見た東門と3段櫓石垣。下から見ていたのと、見下ろすのでは全然違って見えます。

一見腰曲輪か通路にしか見えない二の丸を抜け

太鼓丸へ上がって行きます

太鼓丸到着!三十間台の虎口石垣が待ち構えてます

太鼓丸から津和野城下町を望む

いよいよ津和野城最高部にある曲輪、三十間台へ

三十間台!

振り返り虎口

こちらの三十間台も断崖絶壁に面しておりますので、とても攻められそうにありません


井戸跡?

広い曲輪です

三十間台からは津和野城下を端から端まで一望できます



三十間台から隣の人質櫓とその奥の三ノ丸を見下ろす。ここからの雰囲気も好きです。赤木城や竹田城の雰囲気に似てます。私だけ?

先程見上げていた天守台を見下ろします

天守台から三の丸へ抜ける腰曲輪石垣はしっかり横矢が掛かってます

三の丸へ

三の丸は細長い曲輪です

三の丸から見る人質櫓石垣は高さも有り、見事です!私の中では3段櫓石垣とこの人質櫓石垣と更に背後の三十間台石垣が重要ポイントかなと。

下がって見ても素敵!

三の丸の先には南門

南門石垣を外から

南門外から廻り、三の丸と人質櫓石垣。ここからもいい感じで石垣の城感が出ていてGOOD!

最後に人質櫓と三十間台の石垣を下から眺め、目に焼き付ける!

しっかり近世山城を堪能!リフト乗り場へ戻ります

リフトで下ります

忘れてはいけない、日本100名城スタンプをリフト乗り場でしっかりGET!

下山してもまだ城は終わらず!
津和野藩主の藩邸と庭の跡、嘉楽園へ

嘉楽園の説明看板

現在は津和野高等学校のグランドに

2つある現存櫓の1つ、物見櫓。大正時代に嘉楽園へ移築されました

物見櫓説明看板

もう一つの現存櫓、馬場先櫓

馬場先櫓説明看板

この馬場先櫓は、元の位置にずっと建っている唯一の建物として、とても貴重です。

櫓から続く土塀の上部が大きく膨らんで面白い造りです


橋から見た津和野川と左手山に太鼓谷稲成神社が見えます

山を振り返ると、おそらく三十間台の石垣が見えます

津和野駅へ戻りながら、津和野の街を散策
街のいたるところに、土塀があります

シックイが剥がれ土が剝き出しに。維持するにも、直すのにもお金がかかるから放置しているのかな?なんでもそうだか維持は大変だ!

学校の塀も雰囲気在りますね

名残惜しいが太鼓谷稲成神社と

津和野城を眺めてお別れ

低いし、変な形のトンネル

ここは昭和な感じの住宅が並びます

偶然、橋を渡る列車に遭遇

そして城下町の中心であったと思われる、風情ある殿町通りへ

左右の水路には鯉が

家老多胡家屋敷の門

江戸時代から残る立派な門です

太い柱です。柱根本にも装飾

多胡家門の案内看板

津和野藩校養老館

重厚な扉

大きな門です

養老館説明

現存の建物も幾つか建ってます



古い建物や門がずっと続くこの通りはタイムスリップしたかの様な疑似体験が出来ます





城だけでなく、城下町もしっかり楽しめる街です

本当に分厚い土塀が沢山あります。これで見納め!

次の列車まで時間があったので、休憩しながらコーヒーとケーキをいただきました。

コーヒーカップが素敵でした。
コーヒーも美味しかったハズです。流石に味まで記憶は無い・・・
良い休憩時間を過ごして駅へ。
駅へ向かうと人が集まっている!

SLが止まっているじゃあ~りませんか!わざとらしい?

これは凄い!SLやまぐち正月ヴァージョン!

そりゃ人も集まりますわな

山の中を走行するので、SLだけでは非力なのかディーゼル機関車DD51も連結されていました

DD51の後ろに客車が繋がっている訳ですね。

これは乗らねば!ってこれを乗るのも城めぐり電車旅の大事なイベントの一つで、最初から予定しておりました!
早速ホームへ

最後尾

津和野から新山口まで!もはら城とは全く関係ないですが、城めぐり旅の一環にて載せないわけには行かないのであります!

LEDではなく、アナログの案内がいいですね~


ホーム内も撮影大会があちこちで行われていました。
実は乗るのが好きで、あまり列車に詳しくないのですが、このSLはC56!C57もSLやまぐち号にあったと思います。大井川鉄道や磐越西線を走る、ばんえつ物語もC57だったかな?

なかなか見る事が無い

石炭を入れる瞬間を見る事が出来ました

陰ながらDD51君も頼もしい!

そして客車の中へ。何故かみんな鉄道オタに見えてくるのは私だけ?

カーテンも照明もレトロ感かあって良い雰囲気です

楽しかった津和野城と津和野城下ともお別れ

SLやまぐちからの車窓が素晴らしかった


終点、新山口までSLをしっかり楽しみました。
その後、山陽本線を東へ乗り継ぎ、宿泊地の三原まで向かうのでありました。
いや~念願の津和野城攻め、良かった~
確かに遠い!行きにくい!
でも行く価値はあります!かなりオススメの城です。
是非SLやまぐちを絡めて、津和野城へ!
大満足の津和野城でした。
長々と写真180枚以上・・・写真選定からコメント入れまでかなり時間かかりましたが、また訪れた気分になって楽しかった~
最後まで無駄に見ていただいた方、ありがとうございました!
そんな訳で次回144城目はあの、小早川隆景の居城であった、三原城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
島根県津和野町にある津和野城!

津和野城は私が最も攻めたかった城の1つでした。
建物だけではなく、石垣に魅了されていたころで、
現存の石垣がそのまま残る近世山城が特に見たかった時期でした。
国の史跡に指定、日本100名城にも選定されております。
その念願であった津和野城は2016年の正月休みに行った、
城めぐり旅で訪れました。
2016年1月2日の朝に前日訪れた萩城のある萩市から津和野へ向けて出発!
山陰本線を東へ。前日も眺めた日本海の車窓を堪能。



山陰線から山口線への乗換駅、益田駅到着!

接続が悪く確か1時間30分待ちだったと記憶・・・
一旦駅の外へ

待つ場所を探すと、駅前に喫茶店発見!

コーヒーをすすりながら、携帯を充電して待つ

少し早めに駅へ戻り、気動車を眺める。奥が古い国鉄時代製造のキハ40(47かも?)、手前が割と新しいとは言え30年くらい経つキハ120かな?

益田駅でお昼ご飯をGET!
ジャン!焼き鯖寿司!

車内でガッツリいただきました!

益田駅から普通列車で約30分、津和野駅到着!

駅前の案内図をチェック

西へ歩きます

雰囲気のある通りです。山口線の鉄橋が見えてきました

津和野川にかかる鉄橋

川も奥の建物もいい雰囲気です

弥栄神社の鳥居を抜け

昔からやっていると思われる飲食店も並びますが、鯖寿司をいただいたのでとりあえずスルー

太鼓谷稲成神社参道の大きな鳥居。人もたくさん。

丘の上の神社へとずっと続いてます

小さな鳥居がずっと並んでます。ここからスタート

くぐるだけで縁起がよさそうな雰囲気が漂います

登りきると門があります

1月2日ってのもあるでしょうが、流石は日本五大稲成神社の1つに数えられる太鼓谷稲成神社、沢山の人で賑わっていました

参拝の列も長い!

稲成(稲荷)なのでお供え用のお揚げも飛ぶように売れてました。昔からここで売っているのでしょうね!

駐車場もあるみたいですが、混雑を避ける為か殆どの人が歩いて来ていました。

景色を眺めながら、津和野城を目指します

太鼓谷稲成神社の説明看板

道に沿って歩くと、リフト乗り場が見えてきます

冬は週末と年始のみやっているみたいです。1/2にて動いてました。

津和野城址観光リフト乗り場到着

平成28年1月2日、もう6年も前・・・でも記憶は鮮明ですよ!

案内図

当時の津和野城をイメージし易い図が乗り場横にありました

いざ出陣!

楽しいリフトはあっという間に到着!

津和野城へ近づいてきて、気持ちが高ぶって来ます。当時もですが、今も写真を見ながら興奮気味(笑)

早く見たいと、先へ進みます。

中世(吉見氏)の堀切跡の案内が

こちらが堀切。分かりにくいですが、人工的に掘って段差を付ける事で進入しにくい様にした防御設備を堀切と言います。

出丸の石垣が見えてきました

皆さん、意外と出丸はスルーされて、本丸へ向かってしまいますが、出丸も見るべきです

石段が木の根と同化してますが、しっかり残っており、その先に出丸(別名:織部丸)石垣が見えます

出丸(織部丸)到着

出丸虎口

右側(東側かな?)に周り、犬走と東側石垣

出丸へ入ります

一部調査で掘られたり

石垣に赤い印貼られたりしていました。少し崩れそうな状態だったので、調査していたのかな?

出丸北東の石垣は急勾配な断崖に築かれてます。ここからは流石に攻められそうにありません。

出丸の説明看板。東西18m、南北44.5mと広い曲輪です。

出丸からの津和野城下の眺め

流石は中国地方、赤い瓦が特徴の石州瓦が目立ちます!

出丸を下り、本丸方面へ

津和野城址碑と津和野城案内看板



そして、津和野城の前身、三本松城の説明


本丸を目指し先へ

見上げると3段に連なった石垣が現れます

腰曲輪石垣

東門を抜けます

東門案内

東門には登りやすい様に?石垣改修中の為?足場が組んでありました。

東門右手には3段櫓の石垣が分かり易く3段!

3段櫓を正面から

天守台石垣

西門櫓の石垣

台所・馬立場へ

右手には3度目の登場。3段櫓石垣を横目に進みます。

当時の瓦でしょうか?かなり落ちてます。

振り返ると天守台と奥に三十間台の石垣が見えます。存在感ありますね!

西門櫓石垣

奥が台所、左手が馬立場

台所。奥に排水跡となる石列が残ってまいす

馬立場が天守台方面に伸びてます

更に奥にエビ櫓

エビ櫓から台所を見たところ

本当に沢山の瓦片が落ちてます

西門へ戻ります

西門前の縄張り図。意外と分かり易い。

私の中で、津和野城の一番好きなスポット。西門櫓前から見た、左手前天守台と奥に三十間台と右端に人質櫓石垣がチラリと。そこまでの通路や犬走りの距離感がたまりません。

少し進み振り返り、正面左手に西門櫓と右手には天守台の石垣

天守台へ登ります

台所・馬立場えお見下ろす。右手には3段櫓石垣、左手前には西門櫓石垣。

天守台の背後には三十間台の石垣

天守台から人質櫓を望む

天守台から見た東門と3段櫓石垣。下から見ていたのと、見下ろすのでは全然違って見えます。

一見腰曲輪か通路にしか見えない二の丸を抜け

太鼓丸へ上がって行きます

太鼓丸到着!三十間台の虎口石垣が待ち構えてます

太鼓丸から津和野城下町を望む

いよいよ津和野城最高部にある曲輪、三十間台へ

三十間台!

振り返り虎口

こちらの三十間台も断崖絶壁に面しておりますので、とても攻められそうにありません


井戸跡?

広い曲輪です

三十間台からは津和野城下を端から端まで一望できます



三十間台から隣の人質櫓とその奥の三ノ丸を見下ろす。ここからの雰囲気も好きです。赤木城や竹田城の雰囲気に似てます。私だけ?

先程見上げていた天守台を見下ろします

天守台から三の丸へ抜ける腰曲輪石垣はしっかり横矢が掛かってます

三の丸へ

三の丸は細長い曲輪です

三の丸から見る人質櫓石垣は高さも有り、見事です!私の中では3段櫓石垣とこの人質櫓石垣と更に背後の三十間台石垣が重要ポイントかなと。

下がって見ても素敵!

三の丸の先には南門

南門石垣を外から

南門外から廻り、三の丸と人質櫓石垣。ここからもいい感じで石垣の城感が出ていてGOOD!

最後に人質櫓と三十間台の石垣を下から眺め、目に焼き付ける!

しっかり近世山城を堪能!リフト乗り場へ戻ります

リフトで下ります

忘れてはいけない、日本100名城スタンプをリフト乗り場でしっかりGET!

下山してもまだ城は終わらず!
津和野藩主の藩邸と庭の跡、嘉楽園へ

嘉楽園の説明看板

現在は津和野高等学校のグランドに

2つある現存櫓の1つ、物見櫓。大正時代に嘉楽園へ移築されました

物見櫓説明看板

もう一つの現存櫓、馬場先櫓

馬場先櫓説明看板

この馬場先櫓は、元の位置にずっと建っている唯一の建物として、とても貴重です。

櫓から続く土塀の上部が大きく膨らんで面白い造りです


橋から見た津和野川と左手山に太鼓谷稲成神社が見えます

山を振り返ると、おそらく三十間台の石垣が見えます

津和野駅へ戻りながら、津和野の街を散策
街のいたるところに、土塀があります

シックイが剥がれ土が剝き出しに。維持するにも、直すのにもお金がかかるから放置しているのかな?なんでもそうだか維持は大変だ!

学校の塀も雰囲気在りますね

名残惜しいが太鼓谷稲成神社と

津和野城を眺めてお別れ

低いし、変な形のトンネル

ここは昭和な感じの住宅が並びます

偶然、橋を渡る列車に遭遇

そして城下町の中心であったと思われる、風情ある殿町通りへ

左右の水路には鯉が

家老多胡家屋敷の門

江戸時代から残る立派な門です

太い柱です。柱根本にも装飾

多胡家門の案内看板

津和野藩校養老館

重厚な扉

大きな門です

養老館説明

現存の建物も幾つか建ってます



古い建物や門がずっと続くこの通りはタイムスリップしたかの様な疑似体験が出来ます





城だけでなく、城下町もしっかり楽しめる街です

本当に分厚い土塀が沢山あります。これで見納め!

次の列車まで時間があったので、休憩しながらコーヒーとケーキをいただきました。

コーヒーカップが素敵でした。
コーヒーも美味しかったハズです。流石に味まで記憶は無い・・・
良い休憩時間を過ごして駅へ。
駅へ向かうと人が集まっている!

SLが止まっているじゃあ~りませんか!わざとらしい?

これは凄い!SLやまぐち正月ヴァージョン!

そりゃ人も集まりますわな

山の中を走行するので、SLだけでは非力なのかディーゼル機関車DD51も連結されていました

DD51の後ろに客車が繋がっている訳ですね。

これは乗らねば!ってこれを乗るのも城めぐり電車旅の大事なイベントの一つで、最初から予定しておりました!
早速ホームへ

最後尾

津和野から新山口まで!もはら城とは全く関係ないですが、城めぐり旅の一環にて載せないわけには行かないのであります!

LEDではなく、アナログの案内がいいですね~


ホーム内も撮影大会があちこちで行われていました。
実は乗るのが好きで、あまり列車に詳しくないのですが、このSLはC56!C57もSLやまぐち号にあったと思います。大井川鉄道や磐越西線を走る、ばんえつ物語もC57だったかな?

なかなか見る事が無い

石炭を入れる瞬間を見る事が出来ました

陰ながらDD51君も頼もしい!

そして客車の中へ。何故かみんな鉄道オタに見えてくるのは私だけ?

カーテンも照明もレトロ感かあって良い雰囲気です

楽しかった津和野城と津和野城下ともお別れ

SLやまぐちからの車窓が素晴らしかった


終点、新山口までSLをしっかり楽しみました。
その後、山陽本線を東へ乗り継ぎ、宿泊地の三原まで向かうのでありました。
いや~念願の津和野城攻め、良かった~
確かに遠い!行きにくい!
でも行く価値はあります!かなりオススメの城です。
是非SLやまぐちを絡めて、津和野城へ!
大満足の津和野城でした。
長々と写真180枚以上・・・写真選定からコメント入れまでかなり時間かかりましたが、また訪れた気分になって楽しかった~
最後まで無駄に見ていただいた方、ありがとうございました!
そんな訳で次回144城目はあの、小早川隆景の居城であった、三原城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2022年01月24日
お城めぐり!142城目【萩城】
お城めぐりの第142城目は、
山口県萩市の萩城

萩城は長州藩・毛利家の居城で知られていますね。
日本100名城に選定、国の史跡に指定されております。
私が行ったのは2016年の元日!
もう6年も前・・・
広島県・島根県を抜け、
前回UPした浜田城から萩城を目指しました。
青春18切符の旅でありながら、
特急スーパーおき に乗り込み

優雅に飲みながら

日本海の荘厳な荒波を眺め



時には穏やかな海を見て



益田で普通電車に乗り換え東萩駅到着!


まずはレンタサイクルを借りて早速萩城・・・ではなくやはり萩は観光名所盛りだくさんにて、
松下村塾へ





ここで吉田松陰が塾を開き、幕末に活躍した後の著名人が沢山学んだのですね。

元旦ってのもあってか、松陰神社はかなり並んでました



松陰神社の敷地内に松下村塾があり、
花月楼と呼ばれる移築された現存の茶室もあります




吉田松陰資料館なるものに入り(内容は全然覚えておりませんが、入らなくても良かったような・・・)

この旅の相棒に乗り、次へ

伊藤博文別邸

日も傾きかけて来たので急いで萩城へ
向かう途中で外堀の案内が

外堀

萩城の詰城、海岸へ出ると指月山が!

萩城到着

二の丸東門。ここからは入らず、南へ周ります

二の丸南門から本丸へ向かいます

二の丸南門には毛利輝元像がお迎えしてくれます

桝形にて攻めにくい様にと右に曲げられてしまいます

本丸門の前に到着

写真でよく見た萩城址碑と奥に天守台。かつては5層5建の天守が建っていました。

角度は悪いけど、当時の天守

今は石垣しかないけど、想像できますかね?私は想像・妄想して城めぐり楽しんでおります。

橋を渡ります

幅のある堀です

本丸の門も桝形ですが、今度は左へ曲がります

天守台まで石垣が続いてます。かつては土塀が建っていました。階段で登れるようになっています。土塀の狭間から攻撃する為と思います。

左右両方上がれる階段

全体が階段上に築かれた石垣

こちらが本丸内部から見た天守台

天守台へ登り、西側を見下ろす

そこからぐるっと

北側まで

そして東側の入って来た橋と本丸門方面

天守台には礎石が残されてます


天守台を降りて北西から天守台を望む

萩では明治日本の産業革命遺産として松下村塾などど一緒に萩城下町も世界遺産の一つとなりました

本丸背後の詰城でもある指月山へ登ります。山頂(展望台なし)の意味が登ると分かります

詰め丸と指月山の説明看板

この説明を見る限りかなりの急勾配だったかも?

とりあえずそこに城があるから登ります


確かに写真を見る限り急だ!

途中石垣もチラホラ

山登りする事15分か20分程度だったと記憶。詰丸の土塀と門が見えてきました。

こちら現存の土塀と石垣。落書きがあるのはとても残念・・・

やはり正面突破出来ない様に

左へ折れます

そして更に右へ曲げられます。矢穴たっぷりの大きな石を用いた石垣です

入口方面を振り返ったところ

進と更に右へ曲げられ階段を上ります

振り返るとぐるっと回って来たことが良く分かります。門をくぐった事になりますね。

別角度から櫓門

門を抜けると詰め丸の二の丸になります
詰め丸の説明看板

本丸と二の丸の2つの曲輪で構成。いくつか櫓もあった様です。
二の丸

二の丸に夕日が差します

二の丸から見た本丸方面。奥の石垣の向こうが本丸です

本丸へ

本丸は二の丸より少し広く


そして石がゴロゴロ

本丸に石丁場がありました

矢穴だらけの石もあったり

切り出された石もゴロゴロ落ちてました

水も確保できるように貯水池もあった様です

落ちたら戻ってこれそうにない切り立った石垣がぐるりとめぐらされており、流石に詰め城、簡単に落とされそうにないです

本丸東の門跡だったと思われます


登ってくる時に見た、「展望台なし」の案内の理由は周りが木に囲まれて景色が見えないからだと理解。

それでも、木の合間を縫う様に見れるところを探しなんとか納めました

指月山を下りて、東側の海岸線方面へ
途中かなり傷んでおりますが、おそらくこちらも現存の土塀。直さないのかな?

公園を抜けて土塁を登ると、海が広がります

内側から見た土塁は、そとから見ると石垣の上でした

石垣に沿って南下すると
潮入門があります



石垣の上の土塀は復元されたものだそうです。やはり土塀があるから当時の様子がうかがえますね


海岸線を

石垣を見ながら歩き

また本丸南側へ戻って来ました。後ろの山が先程までいた詰め丸のある指月山!
良く見ると石垣の根元に犬走がありますね。軟弱地盤だったのかも?

最後にもう一度天守台を拝んで萩城とお別れ

東萩駅へ戻り、レンタサイクルを返却し

宿へチェックイン

ご飯を食べようとお店を探すもなく、旅館で聞くも元旦にやってる店はないと思うって事で、閉店間際のスーパーで食料を購入した事はしっかり覚えてます

翌朝、電車の出発時間まで、萩観光!
まずは藩校の明倫館!現在は明倫小学校があります。

藩校だった古い建物は整備中で見る事は出来ず・・・どちらにしても早い時間だったので中へは入れなかったでしょうが・・・


明倫館の案内図。とりあえず見れそうなところは行く事に!

聖賢堂

聖賢堂の説明。萩にも東田町が!って豊橋の東田っ子は思わず反応してしまう。

キレイな明倫小学校の校舎ですが、雰囲気や風格はイメージを壊さずに堂々としてます。

さて見たかったのはこちら

明倫館の門

実に厳かな感じです

柱の根元が腐りにくいように銅板でお化粧。根元も何度か交換していると思われます。継いだ後が見えます。しっかり維持管理されてますね!

門から延びる塀の石垣はピッチリ切込みハギ

こちらは、明倫館の門の外にある、明倫小学校の昔の門の様です

明倫館の説明看板

有備館


剣術や槍術の稽古場だったそうです

観徳門

孔子を祀った前門だそうです

と、駆け足で明倫館にまつわる現存の建物を見れて満足!
急いで萩東駅へ

駅のロータリーには、萩城天守の1/6模型がありました

萩城の次は、この旅で1番行きたかった念願の津和野城を目指すのでありました

キハ40で

とりあえず益田まで!

益田からは南下し・・・・・・・
そんな訳で、続きは次回143城目【津和野城】をご覧ください!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
山口県萩市の萩城

萩城は長州藩・毛利家の居城で知られていますね。
日本100名城に選定、国の史跡に指定されております。
私が行ったのは2016年の元日!
もう6年も前・・・
広島県・島根県を抜け、
前回UPした浜田城から萩城を目指しました。
青春18切符の旅でありながら、
特急スーパーおき に乗り込み

優雅に飲みながら

日本海の荘厳な荒波を眺め



時には穏やかな海を見て



益田で普通電車に乗り換え東萩駅到着!


まずはレンタサイクルを借りて早速萩城・・・ではなくやはり萩は観光名所盛りだくさんにて、
松下村塾へ





ここで吉田松陰が塾を開き、幕末に活躍した後の著名人が沢山学んだのですね。

元旦ってのもあってか、松陰神社はかなり並んでました



松陰神社の敷地内に松下村塾があり、
花月楼と呼ばれる移築された現存の茶室もあります




吉田松陰資料館なるものに入り(内容は全然覚えておりませんが、入らなくても良かったような・・・)

この旅の相棒に乗り、次へ

伊藤博文別邸

日も傾きかけて来たので急いで萩城へ
向かう途中で外堀の案内が

外堀

萩城の詰城、海岸へ出ると指月山が!

萩城到着

二の丸東門。ここからは入らず、南へ周ります

二の丸南門から本丸へ向かいます

二の丸南門には毛利輝元像がお迎えしてくれます

桝形にて攻めにくい様にと右に曲げられてしまいます

本丸門の前に到着

写真でよく見た萩城址碑と奥に天守台。かつては5層5建の天守が建っていました。

角度は悪いけど、当時の天守

今は石垣しかないけど、想像できますかね?私は想像・妄想して城めぐり楽しんでおります。

橋を渡ります

幅のある堀です

本丸の門も桝形ですが、今度は左へ曲がります

天守台まで石垣が続いてます。かつては土塀が建っていました。階段で登れるようになっています。土塀の狭間から攻撃する為と思います。

左右両方上がれる階段

全体が階段上に築かれた石垣

こちらが本丸内部から見た天守台

天守台へ登り、西側を見下ろす

そこからぐるっと

北側まで

そして東側の入って来た橋と本丸門方面

天守台には礎石が残されてます


天守台を降りて北西から天守台を望む

萩では明治日本の産業革命遺産として松下村塾などど一緒に萩城下町も世界遺産の一つとなりました

本丸背後の詰城でもある指月山へ登ります。山頂(展望台なし)の意味が登ると分かります

詰め丸と指月山の説明看板

この説明を見る限りかなりの急勾配だったかも?

とりあえずそこに城があるから登ります


確かに写真を見る限り急だ!

途中石垣もチラホラ

山登りする事15分か20分程度だったと記憶。詰丸の土塀と門が見えてきました。

こちら現存の土塀と石垣。落書きがあるのはとても残念・・・

やはり正面突破出来ない様に

左へ折れます

そして更に右へ曲げられます。矢穴たっぷりの大きな石を用いた石垣です

入口方面を振り返ったところ

進と更に右へ曲げられ階段を上ります

振り返るとぐるっと回って来たことが良く分かります。門をくぐった事になりますね。

別角度から櫓門

門を抜けると詰め丸の二の丸になります
詰め丸の説明看板

本丸と二の丸の2つの曲輪で構成。いくつか櫓もあった様です。
二の丸

二の丸に夕日が差します

二の丸から見た本丸方面。奥の石垣の向こうが本丸です

本丸へ

本丸は二の丸より少し広く


そして石がゴロゴロ

本丸に石丁場がありました

矢穴だらけの石もあったり

切り出された石もゴロゴロ落ちてました

水も確保できるように貯水池もあった様です

落ちたら戻ってこれそうにない切り立った石垣がぐるりとめぐらされており、流石に詰め城、簡単に落とされそうにないです

本丸東の門跡だったと思われます


登ってくる時に見た、「展望台なし」の案内の理由は周りが木に囲まれて景色が見えないからだと理解。

それでも、木の合間を縫う様に見れるところを探しなんとか納めました

指月山を下りて、東側の海岸線方面へ
途中かなり傷んでおりますが、おそらくこちらも現存の土塀。直さないのかな?

公園を抜けて土塁を登ると、海が広がります

内側から見た土塁は、そとから見ると石垣の上でした

石垣に沿って南下すると
潮入門があります



石垣の上の土塀は復元されたものだそうです。やはり土塀があるから当時の様子がうかがえますね


海岸線を

石垣を見ながら歩き

また本丸南側へ戻って来ました。後ろの山が先程までいた詰め丸のある指月山!
良く見ると石垣の根元に犬走がありますね。軟弱地盤だったのかも?

最後にもう一度天守台を拝んで萩城とお別れ

東萩駅へ戻り、レンタサイクルを返却し

宿へチェックイン

ご飯を食べようとお店を探すもなく、旅館で聞くも元旦にやってる店はないと思うって事で、閉店間際のスーパーで食料を購入した事はしっかり覚えてます

翌朝、電車の出発時間まで、萩観光!
まずは藩校の明倫館!現在は明倫小学校があります。

藩校だった古い建物は整備中で見る事は出来ず・・・どちらにしても早い時間だったので中へは入れなかったでしょうが・・・


明倫館の案内図。とりあえず見れそうなところは行く事に!

聖賢堂

聖賢堂の説明。萩にも東田町が!って豊橋の東田っ子は思わず反応してしまう。

キレイな明倫小学校の校舎ですが、雰囲気や風格はイメージを壊さずに堂々としてます。

さて見たかったのはこちら

明倫館の門

実に厳かな感じです

柱の根元が腐りにくいように銅板でお化粧。根元も何度か交換していると思われます。継いだ後が見えます。しっかり維持管理されてますね!

門から延びる塀の石垣はピッチリ切込みハギ

こちらは、明倫館の門の外にある、明倫小学校の昔の門の様です

明倫館の説明看板

有備館


剣術や槍術の稽古場だったそうです

観徳門

孔子を祀った前門だそうです

と、駆け足で明倫館にまつわる現存の建物を見れて満足!
急いで萩東駅へ

駅のロータリーには、萩城天守の1/6模型がありました

萩城の次は、この旅で1番行きたかった念願の津和野城を目指すのでありました

キハ40で

とりあえず益田まで!

益田からは南下し・・・・・・・
そんな訳で、続きは次回143城目【津和野城】をご覧ください!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
2021年09月28日
お城めぐり!141城目【浜田城】
お城めぐりの141城目は、
島根県浜田市(旧石見国)にある、浜田城です!

浜田城は、外様大名である毛利氏の長州藩への抑えの最前線として築城、
譜代大名が城主として入ります。
幕末に長州征伐が行われますが、長州藩の攻撃に屈して、城を明け渡して城主が逃げ、残った兵が火を放ち消失しました。
続日本100名城に選定されております。
私が行ったのは、続日本100名城に選定される前の、2016年の元旦に攻めました。
前日の大晦日に豊橋から青春18切符で移動、
途中広島県福山市の相方城を攻めて三次入りし、
元旦の早朝に三次駅から三江線(現在廃線)の始発に乗り込むのでありました。
三次駅

始発の三江線

廃線前の三江線時刻表。1日5本。

三江線は広島県の山間部にある三次駅から日本海抜ける江津駅までの区間ですが、
乗り換えなしの直通で三次駅から江津駅まで抜けられるのは私が乗った始発しかない状態でした。
そして、今年の4月に再度三次駅で撮影した時刻表には三江線はありませんでした・・・

廃線前に乗れてよかった(城が1番の目的ですが、この時は三江線も重要な目的でした)
まだ暗いうちから出発したので、途中駅もまだ真っ暗でした

地上20mの位置にある宇都井駅。階段しかない駅です。

下りて撮ってないので、なかなか写真では伝わりませんが、かなり高かったです。地上20mのホームは日本一の高さだったとか。

山間部走行中は天気もイマイチでしたので、なかなか明るくならず・・・

それでも、多分最初で最後となる三江線と車窓を楽しみます。
ホームと右手に川

列車交換待ち

中国地方、特に広島県は赤い瓦が多いです


下流となり日本海が近くなってきました。

ようやく日本海へ抜けました


約5時間かけて浜田駅到着

浜田城まで徒歩約20分。市街地(旧城下町)を西へ抜けます。

途中列が・・・

神社へ初詣の列でした

気になる路地もありましたが、真っすぐ城へ

本当は大手門から攻めたかったので、途中で右折するべきでしたが、何も考えず真っすぐ進み


城山公園の案内が出てきたので、そのまま搦め手(裏口)から攻める事に。別名亀山城・・・亀山城も舞鶴城と同じで沢山ある城名です。

秋葉神社!秋葉神社も全国各地にありますね。

舗装された道を進みます

浜田城と柿本人麻呂

舗装のではなくなり、岩を削った道を進みます


石垣に使われていたと思われる石が、あちらこちらに見え始めました

なんて思っていると、落ちてきて転がっている石を発見

木の根っこに押されたかな?

ついに石垣を確認。本丸の東辺りです。

本丸東の門の石垣と思われます

本丸東の門から入ると二の丸に到着

本丸の入口、一の門。今回階段の上が本丸です

本丸の案内

本丸はとても広い曲輪でした



そして西の角に三重櫓が建っていました

江戸時代は天守を建てる事は特例を除き、建てる事は不可で、3階までの櫓はOKとされていました。実際は天守に見立てていたと思います。

そして、本丸から東側へ

ここからの眺めが素晴らしかった

外ノ浦の湊

ジャン!

ジャジャン!

海上から三重櫓が良く見えたそうです

二の丸へ下り

桝形の二の門から本丸を望む

二の門説明看板

三の丸に下ったところから二の門。桝形なのが良く分かります

三の丸から階段が見えます

本来、下りの階段しかなく、登りの階段ではなく出丸の石垣があったそうです

ピンボケしておりますが、明治になり階段を作ったが当時は出丸石垣があったと説明されております

本来ならば二ノ丸から入れた出丸。三の丸から階段を上がり

出丸に直接行けます


階段を下ります

左手の三の丸を見ながら下ります

三の丸の石垣。一番高い迫力のある石垣でした

圧巻です!



門が見えてきました

浜田城の門ではなく、津和野藩武家屋敷から移築されたものです


門と石垣

浜田城址碑

浜田城の説明


浜田藩追懐の碑

司馬遼太郎による浜田城の説明の様です

CGだとこんな感じ。最近CG復元が増えてきて、かなりイメージ出来る様になりました。

CG動画がありましたのでどうぞ!
敷地内には現在護国神社が在ります。護国神社もよく城郭にありますね。

城の東側は山に囲まれ、住宅地が広がってます。

その東側の山の付け根に中門の石垣が残ってます

中門と裏門の説明

大手門

浜田城の分かり易い説明看板

石垣絵図

想定復元図

本当は右折してこの鳥居をくぐって大手門から攻める予定でした

何も調べず行くとこうなりますね・・・順番が逆になっただけで見れたから満足していますがね。
浜田駅に戻り(行きは北口から出て、帰りはメインの南口から)


18切符の旅でしたが、益田駅まで特急スーパーおきでワープ。

萩城を目指すのでありました!
浜田城、晴れて続日本100名城に選定されましたので、いつかスタンプを押しにまた行かねばなりません。
また同じルートをいつか辿るもの面白いかもしれません・・・三江線は廃線になりましたが・・・
そんな訳で次回142城目は萩城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
島根県浜田市(旧石見国)にある、浜田城です!

浜田城は、外様大名である毛利氏の長州藩への抑えの最前線として築城、
譜代大名が城主として入ります。
幕末に長州征伐が行われますが、長州藩の攻撃に屈して、城を明け渡して城主が逃げ、残った兵が火を放ち消失しました。
続日本100名城に選定されております。
私が行ったのは、続日本100名城に選定される前の、2016年の元旦に攻めました。
前日の大晦日に豊橋から青春18切符で移動、
途中広島県福山市の相方城を攻めて三次入りし、
元旦の早朝に三次駅から三江線(現在廃線)の始発に乗り込むのでありました。
三次駅

始発の三江線

廃線前の三江線時刻表。1日5本。

三江線は広島県の山間部にある三次駅から日本海抜ける江津駅までの区間ですが、
乗り換えなしの直通で三次駅から江津駅まで抜けられるのは私が乗った始発しかない状態でした。
そして、今年の4月に再度三次駅で撮影した時刻表には三江線はありませんでした・・・

廃線前に乗れてよかった(城が1番の目的ですが、この時は三江線も重要な目的でした)
まだ暗いうちから出発したので、途中駅もまだ真っ暗でした

地上20mの位置にある宇都井駅。階段しかない駅です。

下りて撮ってないので、なかなか写真では伝わりませんが、かなり高かったです。地上20mのホームは日本一の高さだったとか。

山間部走行中は天気もイマイチでしたので、なかなか明るくならず・・・

それでも、多分最初で最後となる三江線と車窓を楽しみます。
ホームと右手に川

列車交換待ち

中国地方、特に広島県は赤い瓦が多いです


下流となり日本海が近くなってきました。

ようやく日本海へ抜けました


約5時間かけて浜田駅到着

浜田城まで徒歩約20分。市街地(旧城下町)を西へ抜けます。

途中列が・・・

神社へ初詣の列でした

気になる路地もありましたが、真っすぐ城へ

本当は大手門から攻めたかったので、途中で右折するべきでしたが、何も考えず真っすぐ進み


城山公園の案内が出てきたので、そのまま搦め手(裏口)から攻める事に。別名亀山城・・・亀山城も舞鶴城と同じで沢山ある城名です。

秋葉神社!秋葉神社も全国各地にありますね。

舗装された道を進みます

浜田城と柿本人麻呂

舗装のではなくなり、岩を削った道を進みます


石垣に使われていたと思われる石が、あちらこちらに見え始めました

なんて思っていると、落ちてきて転がっている石を発見

木の根っこに押されたかな?

ついに石垣を確認。本丸の東辺りです。

本丸東の門の石垣と思われます

本丸東の門から入ると二の丸に到着

本丸の入口、一の門。今回階段の上が本丸です

本丸の案内

本丸はとても広い曲輪でした



そして西の角に三重櫓が建っていました

江戸時代は天守を建てる事は特例を除き、建てる事は不可で、3階までの櫓はOKとされていました。実際は天守に見立てていたと思います。

そして、本丸から東側へ

ここからの眺めが素晴らしかった

外ノ浦の湊

ジャン!

ジャジャン!

海上から三重櫓が良く見えたそうです

二の丸へ下り

桝形の二の門から本丸を望む

二の門説明看板

三の丸に下ったところから二の門。桝形なのが良く分かります

三の丸から階段が見えます

本来、下りの階段しかなく、登りの階段ではなく出丸の石垣があったそうです

ピンボケしておりますが、明治になり階段を作ったが当時は出丸石垣があったと説明されております

本来ならば二ノ丸から入れた出丸。三の丸から階段を上がり

出丸に直接行けます


階段を下ります

左手の三の丸を見ながら下ります

三の丸の石垣。一番高い迫力のある石垣でした

圧巻です!



門が見えてきました

浜田城の門ではなく、津和野藩武家屋敷から移築されたものです


門と石垣

浜田城址碑

浜田城の説明


浜田藩追懐の碑

司馬遼太郎による浜田城の説明の様です

CGだとこんな感じ。最近CG復元が増えてきて、かなりイメージ出来る様になりました。

CG動画がありましたのでどうぞ!
敷地内には現在護国神社が在ります。護国神社もよく城郭にありますね。

城の東側は山に囲まれ、住宅地が広がってます。

その東側の山の付け根に中門の石垣が残ってます

中門と裏門の説明

大手門

浜田城の分かり易い説明看板

石垣絵図

想定復元図

本当は右折してこの鳥居をくぐって大手門から攻める予定でした

何も調べず行くとこうなりますね・・・順番が逆になっただけで見れたから満足していますがね。
浜田駅に戻り(行きは北口から出て、帰りはメインの南口から)


18切符の旅でしたが、益田駅まで特急スーパーおきでワープ。

萩城を目指すのでありました!
浜田城、晴れて続日本100名城に選定されましたので、いつかスタンプを押しにまた行かねばなりません。
また同じルートをいつか辿るもの面白いかもしれません・・・三江線は廃線になりましたが・・・
そんな訳で次回142城目は萩城です!
いわけん城めぐりマップ
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2021年07月26日
お城めぐり!140城目【相方城】
お城めぐりの第140城目は、
広島県福山市にあります相方城(さがたじょう)です!

相方城へは、5年前の正月休みに三江線がもうすぐ廃線になるから乗っておかないとって事で
三江線を経由して島根・山口の城めぐり旅の最初に訪れました。
大晦日の豊橋駅始発の東海道線に乗車(もちろん青春18切符普通電車の旅)

始発は今でも同じ時間での区間快速。岡崎まで各駅停車です。

途中2、3度乗り換えして福山駅で福塩線に乗り換え。(8時間経過するも全然楽しい)

飯田線を過去走っていた119系の元となるほぼ同じ顔の105系に乗車

帰りに寄る、福山城がホームから見えます

長閑な車窓を楽しみ

最寄りの新市駅到着

国鉄時代の車両105系とはここでしばしお別れ

名所ガイドには相方城はもちろん掲載されておりません

新市駅から出発!次の電車まで約2時間急ぎます。

駅前から見た相方城(正面の山の上。テレビ送信塔が建っているところが本丸)

川を1本超えます

橋の途中から目指す相方城を望む。目印が建っているので目標が分かり易い。

住宅地を抜け

その先から山道

舗装された道にて歩きやすい

しかし次第に落ち葉だらけに・・・

なんだかんだ言っておりますが歩きやすかったと記憶

工業団地に出ますが、テレビ送信塔がずっと目印ですので迷わずGO!

工場の間を抜けるとようやく相方城の看板が!

ありがたいのはここからも舗装された道


頂上に近づくと石垣が見えてきます。もう城郭の敷地内に居るって事ですね。

相方城は読み方は「さがたじょう」のままで佐賀田城とも書くみたい。

案内看板

比較的大きな郭群が2つあり、そのまわりに小さな郭がいくつかあります。

ずっと目印にしていたテレビ送信塔が建っているのが本丸

そして、比較的大きな郭がこちら。案内図には郭8・9・10となっています

山あいの地形だとよくわかります

山々が連なってなかなか良い景色でした

曲輪8・9・10から相方城下を望む

手前が郭8・9・10奥が本丸に当たる郭1・2

図で見るとこんな感じ(左側切れてますが、郭8・9・10)

本丸へ

土橋を抜けると(左右は堀)

郭2の石垣がデンとお迎えしてくれます

石垣は郭1まで長く続いたと思われますが、現在は切れてます


郭1(本丸)にある城址碑

ブルーシートがちょっと残念ですが、正月を迎えるに恒例の準備?をしていたみたい。

郭2から郭8・9・10を望む

近づいて郭2の先端から

城下の眺めは素晴らしい!川・山に囲われている地形ってよくわかります

郭2の虎口ですが、危険なので通行止めに

郭2から郭1見たところ

郭1には再三説明しているテレビ送信塔!これまでは目印として重宝するも、ここへ来て邪魔な存在に・・・

こんなところに残念石が

北側斜面は急勾配にて全体に登って来られそうにないです。

郭1の更に東は郭4・5があります。郭5に謎の鉄筋コンクリートの建物があります

郭1から東を望む。川沿いに町が形成されているのが良く分かりますね

郭5へ下りると洗い場が。

何の施設だったのかな?

郭4の石垣


郭5の石垣

更に東へ行くと郭7

郭7から郭5の石垣と謎の建物と更に奥に郭1とそこへ建つテレビ送信塔(もう説明の必要ない?)

1番東の郭7から中央部の郭2まで犬走がずっと続いています。その途中の郭1・2の石垣が犬走とセットで良いです!


時間が迫っているので、一気に下山。落ち葉道を!

下山後、最後にテレビ送信塔を望む

急いで城下にある素戔嗚神社へ

境内を散策。なんで来たか?

相方城の門が移築されたと言われています。



櫓もあったそうですが、残念ながら1970年代に焼失(割と最近ですね・・・勿体ない・・・)
新市駅で下車しましたが、素戔嗚神社からの最寄り駅が一つ戻った上戸手駅となりました

再び105系に乗り込み

途中、府中駅で乗り換え

三次駅到着

ホテルへチェックインしましたが、三次駅周辺の飲食店はファミレスくらいしかやってなかったので(大晦日だしね)、
ホテルのレストランへ
三次で食されるワニ料理!ワニと言ってもアリゲーターではなくて、サメの事をワニと呼ぶそうです。
そんな訳で、せっかくだから郷土料理を食す!ワニのから揚げ丼!

大晦日にて年末恒例のこの番組をみながら(写真が残っていたので、見たんでしょうきっと・・・)

ホテルで振舞われた年越しそばをいただき

朝まで生テレビの新春スペシャルを見て年越し(まだ群馬県知事になるとは思っていない頃の山本一太ですね)

次の日の朝一で三次駅から廃線前の三江線に乗り込むのでありました。
次回141城目は、その三江線から日本海へ出て、山陰線に乗り換えて向かった浜田城です。
いわけん城めぐりマップ
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広島県福山市にあります相方城(さがたじょう)です!

相方城へは、5年前の正月休みに三江線がもうすぐ廃線になるから乗っておかないとって事で
三江線を経由して島根・山口の城めぐり旅の最初に訪れました。
大晦日の豊橋駅始発の東海道線に乗車(もちろん青春18切符普通電車の旅)

始発は今でも同じ時間での区間快速。岡崎まで各駅停車です。

途中2、3度乗り換えして福山駅で福塩線に乗り換え。(8時間経過するも全然楽しい)

飯田線を過去走っていた119系の元となるほぼ同じ顔の105系に乗車

帰りに寄る、福山城がホームから見えます

長閑な車窓を楽しみ

最寄りの新市駅到着

国鉄時代の車両105系とはここでしばしお別れ

名所ガイドには相方城はもちろん掲載されておりません

新市駅から出発!次の電車まで約2時間急ぎます。

駅前から見た相方城(正面の山の上。テレビ送信塔が建っているところが本丸)

川を1本超えます

橋の途中から目指す相方城を望む。目印が建っているので目標が分かり易い。

住宅地を抜け

その先から山道

舗装された道にて歩きやすい

しかし次第に落ち葉だらけに・・・

なんだかんだ言っておりますが歩きやすかったと記憶

工業団地に出ますが、テレビ送信塔がずっと目印ですので迷わずGO!

工場の間を抜けるとようやく相方城の看板が!

ありがたいのはここからも舗装された道


頂上に近づくと石垣が見えてきます。もう城郭の敷地内に居るって事ですね。

相方城は読み方は「さがたじょう」のままで佐賀田城とも書くみたい。

案内看板

比較的大きな郭群が2つあり、そのまわりに小さな郭がいくつかあります。

ずっと目印にしていたテレビ送信塔が建っているのが本丸

そして、比較的大きな郭がこちら。案内図には郭8・9・10となっています

山あいの地形だとよくわかります

山々が連なってなかなか良い景色でした

曲輪8・9・10から相方城下を望む

手前が郭8・9・10奥が本丸に当たる郭1・2

図で見るとこんな感じ(左側切れてますが、郭8・9・10)

本丸へ

土橋を抜けると(左右は堀)

郭2の石垣がデンとお迎えしてくれます

石垣は郭1まで長く続いたと思われますが、現在は切れてます


郭1(本丸)にある城址碑

ブルーシートがちょっと残念ですが、正月を迎えるに恒例の準備?をしていたみたい。

郭2から郭8・9・10を望む

近づいて郭2の先端から

城下の眺めは素晴らしい!川・山に囲われている地形ってよくわかります

郭2の虎口ですが、危険なので通行止めに

郭2から郭1見たところ

郭1には再三説明しているテレビ送信塔!これまでは目印として重宝するも、ここへ来て邪魔な存在に・・・

こんなところに残念石が

北側斜面は急勾配にて全体に登って来られそうにないです。

郭1の更に東は郭4・5があります。郭5に謎の鉄筋コンクリートの建物があります

郭1から東を望む。川沿いに町が形成されているのが良く分かりますね

郭5へ下りると洗い場が。

何の施設だったのかな?

郭4の石垣


郭5の石垣

更に東へ行くと郭7

郭7から郭5の石垣と謎の建物と更に奥に郭1とそこへ建つテレビ送信塔(もう説明の必要ない?)

1番東の郭7から中央部の郭2まで犬走がずっと続いています。その途中の郭1・2の石垣が犬走とセットで良いです!


時間が迫っているので、一気に下山。落ち葉道を!

下山後、最後にテレビ送信塔を望む

急いで城下にある素戔嗚神社へ

境内を散策。なんで来たか?

相方城の門が移築されたと言われています。



櫓もあったそうですが、残念ながら1970年代に焼失(割と最近ですね・・・勿体ない・・・)
新市駅で下車しましたが、素戔嗚神社からの最寄り駅が一つ戻った上戸手駅となりました

再び105系に乗り込み

途中、府中駅で乗り換え

三次駅到着

ホテルへチェックインしましたが、三次駅周辺の飲食店はファミレスくらいしかやってなかったので(大晦日だしね)、
ホテルのレストランへ
三次で食されるワニ料理!ワニと言ってもアリゲーターではなくて、サメの事をワニと呼ぶそうです。
そんな訳で、せっかくだから郷土料理を食す!ワニのから揚げ丼!

大晦日にて年末恒例のこの番組をみながら(写真が残っていたので、見たんでしょうきっと・・・)

ホテルで振舞われた年越しそばをいただき

朝まで生テレビの新春スペシャルを見て年越し(まだ群馬県知事になるとは思っていない頃の山本一太ですね)

次の日の朝一で三次駅から廃線前の三江線に乗り込むのでありました。
次回141城目は、その三江線から日本海へ出て、山陰線に乗り換えて向かった浜田城です。
いわけん城めぐりマップ
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2021年07月09日
お城めぐり!7城目【名古屋城(その2)】
お城めぐりお時間です。
今回は7城目に登場した名古屋城の第2段!
名古屋城その2としてご紹介!

1回目はまだ、城めぐりを始めたばかりの頃で、行ったのもかなり久しぶりだったと記憶してます。
その後、名古屋城へは現在まで10回以上は訪れています(年1回くらいかなと)。
毎度思う、最初の頃の城ブログはかなり淡白だった・・・
20~30城目くらいまでは、かなりやっつけて行って、適当に写真撮ってって感じで、
天守など建物中心だったと言いますか、それ以外まだ興味が薄い頃ですね。
50城過ぎた辺りから石垣が好きになり、
80城くらいからは堀や土塁が気になりだし、
100城くらいからは縄張り(城郭・敷地全体の形状)を知りたくて、写真がやたらと増え始めました。
70城目くらいまでは城に行ったら割と直ぐにUPしておりましたが、
その後、城めぐりのピッチが一気に上がったのもあり、90城目くらいから1年以上遅れ出し、
現在は5~6年前に行った城をUPしております。
2021.6.30現在326城リアルに城攻めしておりますので、
ストックは170城以上ありまして、最近行った城をUPするのは何年後になるのかわかりません(笑)
リアルタイムでは簡単にUPしているので良しとします(汗)
話は逸れましたが、今回の名古屋城その2は
3年前の5/6を最後に、現在の外観復元された名古屋城天守(鉄骨鉄筋コンクリート造)へ入れなくなった訳ですが、
その直前の4/29にラスト天守に入った時のものをUPします。
この10年で10回以上は行っておりますので、いづれその3、その4と続くかと思います。
今では金シャチも下ろされ、中にも入れなくなった天守を中心に紹介したいと思います。
2018年4月29日 ゴールデンウィークの序盤にて朝早めに行けば、
まだ待たずに入れるだろうって事で、早めに出かけました。
名古屋城は広いので、色んな所からアクセスできますが、
電車で行く私は、名古屋市営地下鉄名城線の市役所駅で下車し攻めます。
※注意! この先、100枚以上の写真が出てきますので、長丁場にてゆっくり見て下さい。
待てない方はスクロールして見た気になって下さい(笑)
二の丸東門を抜け

10時頃に二の丸東の入城口到着。やはりラスト天守の影響で並んでいました。

ちなみに、こんも入城口の左手(南側)には愛知県体育館があります。
ですので、愛知県体育館も二の丸に建っていることになります。
この年の6月に本丸御殿が全て完成して一般公開となりました。

天守へ行く前に、普段はスルーしがちな二の丸庭園とその周辺を散策

庭園を抜けると、ブラタモリで、タモリがこの堀底を歩いてましたね。もちろん普段は誰も入れません。

堀には埋門があり、城からこっそり抜け出る時に利用していたそうです


そして二の丸北側の堀沿いには、南蛮たたき鉄砲狭間が残っています(現存です)

崩れかけてますが、穴は鉄砲を撃つためのものです。

その傍らにトランシットの脚が!しかもモルタルで埋め込まれてました。

きっと同じところから何度も計測する必要があったので、固定して据え付ける手間を省いたのかなと・・・
ちなみに、こちらもブラタモリで登場した、大地のヘリの終点ですね。

庭園に戻るとボランティアの方々が草むしりをされていました。このような活動のお陰で整備された城が気持ちよく見れるので、頭が下がる思いです。

戦後、庭園の池底にこの陶管(常滑焼)が埋められたそうです。

この石は庭石に使われていたそうです。

庭園の補修に利用されるそうです

池の水が抜かれていました



今はどうか分かりませんが、3年前は二の丸庭園は樹木が生い茂り、根も伸びた事から石組みが崩壊したり、日が当たらなくなったりと
本の景観に戻すために、じゅもくを伐採したりと整備していました。(今度いったらどうなったかチェックしよっと)


二の丸広場へ

ここでは名古屋おもてなし武将隊が演舞をやっているところですね。見た事ありませんが。
この時は何かの練習?(本番だったらごめんなさい)をやってました

広場を抜け、本丸の東へ

殆どの人が南側にある本丸表二の門から本丸に入りますが、そこはあまり人の居ない、
本丸東二の門から

門にかかる橋から南側の堀

北側の堀を見下ろす

元々は二の丸東二の門で、この場所へ移築した、現存の門です!

ほぼ完成した本丸御殿




本丸御殿の奥に大天守と小天守

ラスト天守へ攻めます



一度、小天守に入り、ぐるりと回り

小天守から続く塀に挟まれた通路を抜け大天守へ

大天守入口から見上げる

凄い迫力

まだそこまで混雑していませんでした

この石垣は現存のものかわかりませんが、ノミで仕上げたラインは人の手によるものでしょうね。凄い!

何度も見た金シャチのモニュメント


鉄骨鉄筋コンクリート造にてエレベーターがありますので、エレベーターで昇りました。

余談ですが、木造で復元する為には忠実に造らないと文化庁の許可が出ないので、一時期問題になったエレベーターを設置する事は残念ながら不可能です。
エレベーターを設置するには木造での復元を諦めなければなりません。
では車いすの方は入れないの?って話になりますが、おんぶして上がるサービスを展開して貰えればと思いますがいかがでしょうか?
さてエレベーターにて最上階到着
かなりの人で賑わっていました

土産も良く売れてました。私は何も買わなかったですが・・・

歴代城主

名古屋城の変遷

最上階の眺め
北、清州城や小牧山城が見えたかも?

南東の愛知県体育館や先には名古屋市役所

南東を見下ろすと、小天守と左手に本丸御殿

西南隅櫓を見下ろす

こちらも天守と同時期に建替中の予定だったナゴヤキャッスルホテル。
今は解体済みかな?2024年に再開予定。天守の建て替えはいつから始まるのでしょうか?

下りながら各階を見ていきます

下を覗くとその高さにびびる階段でした

やはり三英傑は触れないわけにはいかないでしょうね

家康の子供達は家康ゆかりの城に結構掲示されていますが、時代背景があるにせよ、子沢山には驚かされます。

何度も見た石垣の運ぶ様子を上手く表現した展示

毎度衝撃を受ける、第二次世界大戦の空襲で燃える名古屋城大天守

焼失後の天守台

鯱瓦に

兜に

屏風など盛りだくさん展示

消失前の貴重な写真。大天守も本丸御殿もあります。よく見ると、櫓や門を結ぶ石垣には塀があるイメージですが、よく見るとないですね。

天下普請(徳川幕府が大名に命じて作らせた)作られた名古屋城。

どこをどの大名が作るか分担して競わせて石垣を築かせました

当時の分担を現した絵図

最初に触れた二の丸庭園についてや

城下町の再現もありました

外観復元図

鉄骨鉄筋コンクリート造にて再建中の大天守

ここからは、天守最後って事もあってか、名古屋城の名品と題した特別展示がこの時開催されていたのでその一部を一気に紹介




屏風や建具関連は沢山展示されていました





刀や

鎧に

家康像も

絵図はついつい見入ってしまいます






城下町割り図

尾張徳川家から明治政府に渡された時の本丸御殿絵図

名古屋離宮時代の絵図

更に下り、模型が多かった常設展示の階

本丸御殿の模型



本丸御殿復元前の写真

こちらの名古屋城と城下町の模型は素晴らしかった





実測図作成の為に足場を組んで測定した時の写真
写真の東南隅櫓は現存しておりますが、本丸御殿やこれから復元する大天守もこうした寸法や写真を残したことで、当時のままの形で復元出来るのです。

地階へ下りると、かなりの人で混雑していました

やはり何でもそうですが早めに来るのが1番!

大天守出口から小天守を見たところですが、列が小天守まで延びていました

こちらが色んな意味で問題となったエレベーター

不明門を抜け御深井丸へ

御深井丸から見た本丸石垣とお堀

広い名古屋城の敷地

焼失した大天守の礎石が置かれています

北から見た天守

北西から見た天守。樋が長く伸びてます。

天守の石垣調査の為の足場が組み始められた時でした。

小天守と大天守を結ぶ土橋

角度によって見え方が異なる大天守


鵜の首と呼ばれる、内側に入れた堀で敵に侵入を防ぐ為の防御施設

現存の西南隅櫓

西の丸に入り、大天守と西南隅櫓

観光用の団体記念写真はここで撮影しています。

西南隅櫓と奥に表門と更に奥に東南隅櫓

正門から西の丸を見通す

西の丸にあるレストハウスでいつも昼ご飯をいただきます。名古屋名物三昧。

天守に入れない事が書かれた当時の案内です。

2019年9月から解体とありますが、未だに解体出来ておらず、
2022年12月に竣工とありますが、未だに着手もしておらず・・・いつになるのだろうか・・・
大手門から出ました

大手門入口には西南隅櫓公開の案内が!もちろん見ましたが、今回は割愛。

市役所駅に戻りながら、オープンしたばかりの金シャチ横丁を通り抜け

オープン当初ってのもあり、かなり活気がありました。ちょっと中途半端なイメージでしたが・・・

こちらの二の丸大手二の門(現存)を抜けると愛知県体育館に出ます

脱線もかなりありましたが、以上ラスト名古屋城大天守でした。
最近行ってないし、県外移動は自粛傾向にあるから、この夏は名古屋城へ行くかな!
まだまだ紹介したい名古屋城、
名古屋城その3では、3つある現存の櫓を紹介したいと思います。
でも次回は一旦名古屋城から離れて、140城目は相方城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
今回は7城目に登場した名古屋城の第2段!
名古屋城その2としてご紹介!

1回目はまだ、城めぐりを始めたばかりの頃で、行ったのもかなり久しぶりだったと記憶してます。
その後、名古屋城へは現在まで10回以上は訪れています(年1回くらいかなと)。
毎度思う、最初の頃の城ブログはかなり淡白だった・・・
20~30城目くらいまでは、かなりやっつけて行って、適当に写真撮ってって感じで、
天守など建物中心だったと言いますか、それ以外まだ興味が薄い頃ですね。
50城過ぎた辺りから石垣が好きになり、
80城くらいからは堀や土塁が気になりだし、
100城くらいからは縄張り(城郭・敷地全体の形状)を知りたくて、写真がやたらと増え始めました。
70城目くらいまでは城に行ったら割と直ぐにUPしておりましたが、
その後、城めぐりのピッチが一気に上がったのもあり、90城目くらいから1年以上遅れ出し、
現在は5~6年前に行った城をUPしております。
2021.6.30現在326城リアルに城攻めしておりますので、
ストックは170城以上ありまして、最近行った城をUPするのは何年後になるのかわかりません(笑)
リアルタイムでは簡単にUPしているので良しとします(汗)
話は逸れましたが、今回の名古屋城その2は
3年前の5/6を最後に、現在の外観復元された名古屋城天守(鉄骨鉄筋コンクリート造)へ入れなくなった訳ですが、
その直前の4/29にラスト天守に入った時のものをUPします。
この10年で10回以上は行っておりますので、いづれその3、その4と続くかと思います。
今では金シャチも下ろされ、中にも入れなくなった天守を中心に紹介したいと思います。
2018年4月29日 ゴールデンウィークの序盤にて朝早めに行けば、
まだ待たずに入れるだろうって事で、早めに出かけました。
名古屋城は広いので、色んな所からアクセスできますが、
電車で行く私は、名古屋市営地下鉄名城線の市役所駅で下車し攻めます。
※注意! この先、100枚以上の写真が出てきますので、長丁場にてゆっくり見て下さい。
待てない方はスクロールして見た気になって下さい(笑)
二の丸東門を抜け

10時頃に二の丸東の入城口到着。やはりラスト天守の影響で並んでいました。

ちなみに、こんも入城口の左手(南側)には愛知県体育館があります。
ですので、愛知県体育館も二の丸に建っていることになります。
この年の6月に本丸御殿が全て完成して一般公開となりました。

天守へ行く前に、普段はスルーしがちな二の丸庭園とその周辺を散策

庭園を抜けると、ブラタモリで、タモリがこの堀底を歩いてましたね。もちろん普段は誰も入れません。

堀には埋門があり、城からこっそり抜け出る時に利用していたそうです


そして二の丸北側の堀沿いには、南蛮たたき鉄砲狭間が残っています(現存です)

崩れかけてますが、穴は鉄砲を撃つためのものです。

その傍らにトランシットの脚が!しかもモルタルで埋め込まれてました。

きっと同じところから何度も計測する必要があったので、固定して据え付ける手間を省いたのかなと・・・
ちなみに、こちらもブラタモリで登場した、大地のヘリの終点ですね。

庭園に戻るとボランティアの方々が草むしりをされていました。このような活動のお陰で整備された城が気持ちよく見れるので、頭が下がる思いです。

戦後、庭園の池底にこの陶管(常滑焼)が埋められたそうです。

この石は庭石に使われていたそうです。

庭園の補修に利用されるそうです

池の水が抜かれていました



今はどうか分かりませんが、3年前は二の丸庭園は樹木が生い茂り、根も伸びた事から石組みが崩壊したり、日が当たらなくなったりと
本の景観に戻すために、じゅもくを伐採したりと整備していました。(今度いったらどうなったかチェックしよっと)


二の丸広場へ

ここでは名古屋おもてなし武将隊が演舞をやっているところですね。見た事ありませんが。
この時は何かの練習?(本番だったらごめんなさい)をやってました

広場を抜け、本丸の東へ

殆どの人が南側にある本丸表二の門から本丸に入りますが、そこはあまり人の居ない、
本丸東二の門から

門にかかる橋から南側の堀

北側の堀を見下ろす

元々は二の丸東二の門で、この場所へ移築した、現存の門です!

ほぼ完成した本丸御殿




本丸御殿の奥に大天守と小天守

ラスト天守へ攻めます



一度、小天守に入り、ぐるりと回り

小天守から続く塀に挟まれた通路を抜け大天守へ

大天守入口から見上げる

凄い迫力

まだそこまで混雑していませんでした

この石垣は現存のものかわかりませんが、ノミで仕上げたラインは人の手によるものでしょうね。凄い!

何度も見た金シャチのモニュメント


鉄骨鉄筋コンクリート造にてエレベーターがありますので、エレベーターで昇りました。

余談ですが、木造で復元する為には忠実に造らないと文化庁の許可が出ないので、一時期問題になったエレベーターを設置する事は残念ながら不可能です。
エレベーターを設置するには木造での復元を諦めなければなりません。
では車いすの方は入れないの?って話になりますが、おんぶして上がるサービスを展開して貰えればと思いますがいかがでしょうか?
さてエレベーターにて最上階到着
かなりの人で賑わっていました

土産も良く売れてました。私は何も買わなかったですが・・・

歴代城主

名古屋城の変遷

最上階の眺め
北、清州城や小牧山城が見えたかも?

南東の愛知県体育館や先には名古屋市役所

南東を見下ろすと、小天守と左手に本丸御殿

西南隅櫓を見下ろす

こちらも天守と同時期に建替中の予定だったナゴヤキャッスルホテル。
今は解体済みかな?2024年に再開予定。天守の建て替えはいつから始まるのでしょうか?

下りながら各階を見ていきます

下を覗くとその高さにびびる階段でした

やはり三英傑は触れないわけにはいかないでしょうね

家康の子供達は家康ゆかりの城に結構掲示されていますが、時代背景があるにせよ、子沢山には驚かされます。

何度も見た石垣の運ぶ様子を上手く表現した展示

毎度衝撃を受ける、第二次世界大戦の空襲で燃える名古屋城大天守

焼失後の天守台

鯱瓦に

兜に

屏風など盛りだくさん展示

消失前の貴重な写真。大天守も本丸御殿もあります。よく見ると、櫓や門を結ぶ石垣には塀があるイメージですが、よく見るとないですね。

天下普請(徳川幕府が大名に命じて作らせた)作られた名古屋城。

どこをどの大名が作るか分担して競わせて石垣を築かせました

当時の分担を現した絵図

最初に触れた二の丸庭園についてや

城下町の再現もありました

外観復元図

鉄骨鉄筋コンクリート造にて再建中の大天守

ここからは、天守最後って事もあってか、名古屋城の名品と題した特別展示がこの時開催されていたのでその一部を一気に紹介




屏風や建具関連は沢山展示されていました





刀や

鎧に

家康像も

絵図はついつい見入ってしまいます






城下町割り図

尾張徳川家から明治政府に渡された時の本丸御殿絵図

名古屋離宮時代の絵図

更に下り、模型が多かった常設展示の階

本丸御殿の模型



本丸御殿復元前の写真

こちらの名古屋城と城下町の模型は素晴らしかった





実測図作成の為に足場を組んで測定した時の写真
写真の東南隅櫓は現存しておりますが、本丸御殿やこれから復元する大天守もこうした寸法や写真を残したことで、当時のままの形で復元出来るのです。

地階へ下りると、かなりの人で混雑していました

やはり何でもそうですが早めに来るのが1番!

大天守出口から小天守を見たところですが、列が小天守まで延びていました

こちらが色んな意味で問題となったエレベーター

不明門を抜け御深井丸へ

御深井丸から見た本丸石垣とお堀

広い名古屋城の敷地

焼失した大天守の礎石が置かれています

北から見た天守

北西から見た天守。樋が長く伸びてます。

天守の石垣調査の為の足場が組み始められた時でした。

小天守と大天守を結ぶ土橋

角度によって見え方が異なる大天守


鵜の首と呼ばれる、内側に入れた堀で敵に侵入を防ぐ為の防御施設

現存の西南隅櫓

西の丸に入り、大天守と西南隅櫓

観光用の団体記念写真はここで撮影しています。

西南隅櫓と奥に表門と更に奥に東南隅櫓

正門から西の丸を見通す

西の丸にあるレストハウスでいつも昼ご飯をいただきます。名古屋名物三昧。

天守に入れない事が書かれた当時の案内です。

2019年9月から解体とありますが、未だに解体出来ておらず、
2022年12月に竣工とありますが、未だに着手もしておらず・・・いつになるのだろうか・・・
大手門から出ました

大手門入口には西南隅櫓公開の案内が!もちろん見ましたが、今回は割愛。

市役所駅に戻りながら、オープンしたばかりの金シャチ横丁を通り抜け

オープン当初ってのもあり、かなり活気がありました。ちょっと中途半端なイメージでしたが・・・

こちらの二の丸大手二の門(現存)を抜けると愛知県体育館に出ます

脱線もかなりありましたが、以上ラスト名古屋城大天守でした。
最近行ってないし、県外移動は自粛傾向にあるから、この夏は名古屋城へ行くかな!
まだまだ紹介したい名古屋城、
名古屋城その3では、3つある現存の櫓を紹介したいと思います。
でも次回は一旦名古屋城から離れて、140城目は相方城です!
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2021年06月04日
お城めぐり!139城目【備中高松城】
お城めぐりの139城目は、
岡山県岡山市にあります、備中高松城!

備中高松城は、秀吉が天下統一の足掛かりとなる舞台として知られております。
信長の命を受けて攻める秀吉が、水攻めで城を孤立させ、
そんな中、本能寺の変を知った秀吉は、備中高松城を守る毛利輝元方の清水宗治の切腹と引き換えに城兵を助ける事で和議を結び、
その後、急いで引き返した俗にいう「中国大返」し、そして「山崎の戦い」で明智光秀を破り、
結果信長の重臣の中で力を持つようになり、清須会議で信長の後継者となる三法師を推した秀吉が更に頭一つ出る。
その後、柴田勝家と・・・・・・・
私が書くまでもなく、歴史が好きな人には、そうでない人にも知られていますね。
備中高松城攻めは数年前の大河ドラマ軍師官兵衛で大きく扱われました。
昨年の麒麟がくるでは、ほんの少しだけ・・・
国の史跡に指定、続日本100名城に選定されております。
その備中高松城へは前回の鬼ノ城のあとに訪れました。
総社駅から鬼ノ城まで観光タクシーで行った訳ですが、
時間内移動してくれる観光タクシーにそのまま乗車し、一気に備中高松城へ
三の丸付近の駐車場でタクシーには待ってもらい、備中高松城攻めに向かいます。
高松城址公園として整備されております。

説明看板。水攻めの事も書かれてます。

水攻め時に築かれた現存の築堤(後ほど登場します)と本丸の高さ表示板。

確かに、本丸よりも高く築かれてますので、水を張れば水没しますね。
説明看板や資料館があるところは三の丸

かなり前からありそうな、高松城攻め時の陣配置図

水攻音頭なるものがあるみたいです。地元でずっと歌われ続けているのでしょうか?
清水宗治は地元の人にとっては城兵の命を守った英雄なのでしょうね。

二の丸と蓮池。奥には本丸

宗治蓮。元々地名に蓮池の名前が残されており、昭和57年に高松城復元整備の時に池を設けたら、自然に蓮が生えてきたと、看板のとおりですが、書いてあります。

二の丸を抜け本丸

本丸の半分程度が公園の敷地で整備されてます。奥の住宅地も本丸の一部でした。


清水宗治首塚と供養塔

高松城ではなく、清水宗治城跡と書いてあります。

水攻め攻略について

水攻めにより備中高松城が孤立した時の陣配置図。北・東に秀吉軍。南・西に毛利軍。
図の右側の矢印から見た想像の絵が

光って分かりにくいですが、中央に秀吉。見下ろすは孤立した備中高松城。城の前の小舟のかすかに見える白装束は清水宗治。

こんな絵があると想像し易いですね。
本丸の先

本丸の奥から、当時は湿地帯であったところが、整備されて歩けるように。
左手は本丸、奥に二の丸、三の丸と続きます

多くの高まったところが本丸

本丸と二の丸、その間にある橋。

蓮池と湿地帯


二の丸の看板がありますが、更に奥へ二の丸は広がっていました。

右手奥にこの日は休み?で入れなかった高松城址公園資料館

記憶にないですが、資料館付近?の年表

そして、待ってもらっていた観光タクシーに乗り込み現存する築堤跡へ。おそらく数分で到着したと記憶あり。

到着した時に制限時間にて観光タクシーとはここでお別れ
こちらが現存の築堤、蛙ケ鼻築堤。

図にあるように、足守駅付近からこの現存築堤があるところまで約3km築堤が築かれたそうです。

こちらも高松城水攻め史跡公園として整備されておりました

築堤の調査が行われ

調査時に掘られた様子をそのまま展示

築堤の基礎部分

現存の築堤に登ってみます



奥には石碑や

古くて読みにくい蛙ケ鼻築堤の説明、1985年の洪水時の写真、良く見えませんが、水攻め時と同じように本丸周辺が水没しが孤立した様に見えた為、採用されたかと思われます。

築堤まで堪能出来たので満足!
本当は築堤の存在を知らず、スルーするところでしたが、観光タクシーの運転手さんに教えていただき行く事が出来ました。
感謝、感謝!
蛙ケ鼻築堤から吉備線の備中松山駅は近くにて徒歩10分程度で到着

岡山経由の新幹線で帰路に就くのでありました。

この時行ったのが7年前にて、その後に続日本100名城に選定されましたから、スタンプを押しに行かねばなりません!
続日本100名城のリベンジ攻め予定の城は多々あるので、コロナが収束したらまずは続日本100名城のリベンジ攻めです。
備中高松城は歴史が動いた、秀吉が天下統一を目論だ重要な場所にて、
歴史が好きな方でしたら、ここから始まったんだと思いにふけるに良い場所ですよ!
次回は140城目ではなく、7城目名古屋城その2です!
実は名古屋城は吉田城に次ぐ回数行っているかもしれません。
最初に掲載したのが10年前ですが、その後本丸御殿の建築中や完成後、現存の3つの櫓、外堀だけ見に行ったりと
何度も行っているのですが、その2がなかなかUP出来なかったので、
今や入れなくなった天守や建築途中の本丸御殿などUP予定です。
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岡山県岡山市にあります、備中高松城!

備中高松城は、秀吉が天下統一の足掛かりとなる舞台として知られております。
信長の命を受けて攻める秀吉が、水攻めで城を孤立させ、
そんな中、本能寺の変を知った秀吉は、備中高松城を守る毛利輝元方の清水宗治の切腹と引き換えに城兵を助ける事で和議を結び、
その後、急いで引き返した俗にいう「中国大返」し、そして「山崎の戦い」で明智光秀を破り、
結果信長の重臣の中で力を持つようになり、清須会議で信長の後継者となる三法師を推した秀吉が更に頭一つ出る。
その後、柴田勝家と・・・・・・・
私が書くまでもなく、歴史が好きな人には、そうでない人にも知られていますね。
備中高松城攻めは数年前の大河ドラマ軍師官兵衛で大きく扱われました。
昨年の麒麟がくるでは、ほんの少しだけ・・・
国の史跡に指定、続日本100名城に選定されております。
その備中高松城へは前回の鬼ノ城のあとに訪れました。
総社駅から鬼ノ城まで観光タクシーで行った訳ですが、
時間内移動してくれる観光タクシーにそのまま乗車し、一気に備中高松城へ
三の丸付近の駐車場でタクシーには待ってもらい、備中高松城攻めに向かいます。
高松城址公園として整備されております。

説明看板。水攻めの事も書かれてます。

水攻め時に築かれた現存の築堤(後ほど登場します)と本丸の高さ表示板。

確かに、本丸よりも高く築かれてますので、水を張れば水没しますね。
説明看板や資料館があるところは三の丸

かなり前からありそうな、高松城攻め時の陣配置図

水攻音頭なるものがあるみたいです。地元でずっと歌われ続けているのでしょうか?
清水宗治は地元の人にとっては城兵の命を守った英雄なのでしょうね。

二の丸と蓮池。奥には本丸

宗治蓮。元々地名に蓮池の名前が残されており、昭和57年に高松城復元整備の時に池を設けたら、自然に蓮が生えてきたと、看板のとおりですが、書いてあります。

二の丸を抜け本丸

本丸の半分程度が公園の敷地で整備されてます。奥の住宅地も本丸の一部でした。


清水宗治首塚と供養塔

高松城ではなく、清水宗治城跡と書いてあります。

水攻め攻略について

水攻めにより備中高松城が孤立した時の陣配置図。北・東に秀吉軍。南・西に毛利軍。
図の右側の矢印から見た想像の絵が

光って分かりにくいですが、中央に秀吉。見下ろすは孤立した備中高松城。城の前の小舟のかすかに見える白装束は清水宗治。

こんな絵があると想像し易いですね。
本丸の先

本丸の奥から、当時は湿地帯であったところが、整備されて歩けるように。
左手は本丸、奥に二の丸、三の丸と続きます

多くの高まったところが本丸

本丸と二の丸、その間にある橋。

蓮池と湿地帯


二の丸の看板がありますが、更に奥へ二の丸は広がっていました。

右手奥にこの日は休み?で入れなかった高松城址公園資料館

記憶にないですが、資料館付近?の年表

そして、待ってもらっていた観光タクシーに乗り込み現存する築堤跡へ。おそらく数分で到着したと記憶あり。

到着した時に制限時間にて観光タクシーとはここでお別れ
こちらが現存の築堤、蛙ケ鼻築堤。

図にあるように、足守駅付近からこの現存築堤があるところまで約3km築堤が築かれたそうです。

こちらも高松城水攻め史跡公園として整備されておりました

築堤の調査が行われ

調査時に掘られた様子をそのまま展示

築堤の基礎部分

現存の築堤に登ってみます



奥には石碑や

古くて読みにくい蛙ケ鼻築堤の説明、1985年の洪水時の写真、良く見えませんが、水攻め時と同じように本丸周辺が水没しが孤立した様に見えた為、採用されたかと思われます。

築堤まで堪能出来たので満足!
本当は築堤の存在を知らず、スルーするところでしたが、観光タクシーの運転手さんに教えていただき行く事が出来ました。
感謝、感謝!
蛙ケ鼻築堤から吉備線の備中松山駅は近くにて徒歩10分程度で到着

岡山経由の新幹線で帰路に就くのでありました。

この時行ったのが7年前にて、その後に続日本100名城に選定されましたから、スタンプを押しに行かねばなりません!
続日本100名城のリベンジ攻め予定の城は多々あるので、コロナが収束したらまずは続日本100名城のリベンジ攻めです。
備中高松城は歴史が動いた、秀吉が天下統一を目論だ重要な場所にて、
歴史が好きな方でしたら、ここから始まったんだと思いにふけるに良い場所ですよ!
次回は140城目ではなく、7城目名古屋城その2です!
実は名古屋城は吉田城に次ぐ回数行っているかもしれません。
最初に掲載したのが10年前ですが、その後本丸御殿の建築中や完成後、現存の3つの櫓、外堀だけ見に行ったりと
何度も行っているのですが、その2がなかなかUP出来なかったので、
今や入れなくなった天守や建築途中の本丸御殿などUP予定です。
いわけん城めぐりマップ
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2021年05月28日
お城めぐり!138城目【鬼ノ城】
お城めぐりの138城目は、
岡山県総社市にある鬼ノ城(きのじょう)です!

鬼ノ城は最も多く築かれた戦国時代の城とは違い、
7世紀末頃に築かれたとされる古代山城です。
唐や新羅が攻めてくるのを恐れ、対抗する為に築かれた城と言われておりますが、
文献にもあまり出てきておらず、ハッキリとした事は分かっていない城です。
国の史跡に指定、日本100名城に選定されております。
鬼ノ城へは、私の独断と偏見でほぼ城しか行かない行程となった
大義名分社員旅行で行きました。
前回の備中松山城の後に訪れました。
備中松山城を見た後に、岡山入りし
夜のライトアップされた岡山城を堪能。


そのまま岡山泊。
次の日、早朝から再び岡山城を堪能


岡山城も攻めましたが、過去にUPしておりますので今回詳細は割愛。
伯備線で総社駅へ行き
総社駅で事前に調べておいた、決められた時間内かつ決められた範囲内で乗れる観光タクシー券を購入

鬼ノ城は車でないと行けないところにて、
ある程度の需要がある事から観光タクシー券が出来たのかと思われます。
そんな訳で、鬼ノ城へ

自然歩道案内図

鬼ノ城説明看板

鬼ノ城の案内マップ


この案内図を見て、時間的に全部は見れない事に気づく

鬼ノ城ビジターセンターで100名城のスタンプを押して、いざ出陣!

そこらへんに石がゴロゴロ

遠くに見えるのが復元された西門


途中石垣がチラホラ

角楼に到着

版築で築かれた高い土の塀


角楼説明看板

古い案内看板。角楼が復元される前から、こちらは展望台だったみたい

確かに素晴らしい景色


角楼から来た道を見下ろす

鬼ノ城は鬼城山一体に築城されておりまして、その山頂方面へ
その先に礎石建物群があるはずでしたが、今回は時間の関係で諦めましたが、
途中、当時建物や石垣に使用されたであろう石がゴロゴロと転がっていました


西門へ

西門説明看板

西門は4ヶ所あった門の1つで当時をイメージして復元されております。


柱は石垣でしっかり固められ強固な作りで、階段や土間も石が敷かれてます


西門から東へつづく塀と石畳

門の復元の説明

門をくぐり門の外へ


外から見た西門


門の外へ出ると高い版築土塁が長く続きます。

土塁の先へ行くと途中、高石垣が現れます

眼下には素晴らしい景色が広がります

始めて攻めた鬼ノ城でしたが、初めてだけに時間配分が分からず計画したため、
滞在時間は1時間程度でしたが、とても足りませんでした。
次回はもう少し時間に余裕を持ちたいです。
毎回次回はリベンジとか言ってますが、初めて行くところあるあるにてこればかりは仕方ない!
同じころ築かれた大宰府周辺の大野城や水城と同時期の築城のようですが、まだまだ謎が多いみたいですね。
皆さんの思われている城のイメージではありませんが、立派な防御施設=城です。
この後は待ってもらっていたタクシーに再び乗り込み、備中高松城へ行くのでありました。
次回139城目はあの秀吉が本能寺の変を聞きつけた時に攻めていた備中高松城です。
中国大返しは次回の備中高松城から始まるのでした。
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岡山県総社市にある鬼ノ城(きのじょう)です!

鬼ノ城は最も多く築かれた戦国時代の城とは違い、
7世紀末頃に築かれたとされる古代山城です。
唐や新羅が攻めてくるのを恐れ、対抗する為に築かれた城と言われておりますが、
文献にもあまり出てきておらず、ハッキリとした事は分かっていない城です。
国の史跡に指定、日本100名城に選定されております。
鬼ノ城へは、私の独断と偏見でほぼ城しか行かない行程となった
大義名分社員旅行で行きました。
前回の備中松山城の後に訪れました。
備中松山城を見た後に、岡山入りし
夜のライトアップされた岡山城を堪能。


そのまま岡山泊。
次の日、早朝から再び岡山城を堪能


岡山城も攻めましたが、過去にUPしておりますので今回詳細は割愛。
伯備線で総社駅へ行き
総社駅で事前に調べておいた、決められた時間内かつ決められた範囲内で乗れる観光タクシー券を購入

鬼ノ城は車でないと行けないところにて、
ある程度の需要がある事から観光タクシー券が出来たのかと思われます。
そんな訳で、鬼ノ城へ

自然歩道案内図

鬼ノ城説明看板

鬼ノ城の案内マップ


この案内図を見て、時間的に全部は見れない事に気づく

鬼ノ城ビジターセンターで100名城のスタンプを押して、いざ出陣!

そこらへんに石がゴロゴロ

遠くに見えるのが復元された西門


途中石垣がチラホラ

角楼に到着

版築で築かれた高い土の塀


角楼説明看板

古い案内看板。角楼が復元される前から、こちらは展望台だったみたい

確かに素晴らしい景色


角楼から来た道を見下ろす

鬼ノ城は鬼城山一体に築城されておりまして、その山頂方面へ
その先に礎石建物群があるはずでしたが、今回は時間の関係で諦めましたが、
途中、当時建物や石垣に使用されたであろう石がゴロゴロと転がっていました


西門へ

西門説明看板

西門は4ヶ所あった門の1つで当時をイメージして復元されております。


柱は石垣でしっかり固められ強固な作りで、階段や土間も石が敷かれてます


西門から東へつづく塀と石畳

門の復元の説明

門をくぐり門の外へ


外から見た西門


門の外へ出ると高い版築土塁が長く続きます。

土塁の先へ行くと途中、高石垣が現れます

眼下には素晴らしい景色が広がります

始めて攻めた鬼ノ城でしたが、初めてだけに時間配分が分からず計画したため、
滞在時間は1時間程度でしたが、とても足りませんでした。
次回はもう少し時間に余裕を持ちたいです。
毎回次回はリベンジとか言ってますが、初めて行くところあるあるにてこればかりは仕方ない!
同じころ築かれた大宰府周辺の大野城や水城と同時期の築城のようですが、まだまだ謎が多いみたいですね。
皆さんの思われている城のイメージではありませんが、立派な防御施設=城です。
この後は待ってもらっていたタクシーに再び乗り込み、備中高松城へ行くのでありました。
次回139城目はあの秀吉が本能寺の変を聞きつけた時に攻めていた備中高松城です。
中国大返しは次回の備中高松城から始まるのでした。
いわけん城めぐりマップ
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2021年05月17日
お城めぐり!137城目【備中松山城】
お城めぐりの第137城目は、
岡山県高梁市にある備中松山城!

備中松山城は現存12天守の一つで、
現存天守の中で1番標高が高い所に建っております。
日本三大山城の一つです。
日本100名城にも選定。
2階建ての小さな天守ですが、やはり現存の存在感は別格であります。
廃城令後に放置され、ボロボロの状態から調査し、修復して蘇った天守です。
山城でありながら石垣も多用され、天然の巨石の上に築かれた石垣は圧巻です。
その備中松山城へは、私の独断と偏見でほぼ城しか行かない行程となった
大義名分社員旅行で行きました。
前回の月山富田城の後に訪れました。
備中高梁駅で下車

381系の特急やくも岡山行とはここでお別れ

乗り合いタクシーで、ふいご峠まで。
これでも今よりもかなり痩せておりますな・・・いい加減痩せないと山城に登れなくなるかも・・・

城攻め開始!

その前に地図をチェック

備中松山城は地図の小松山城の事を差しており、
奥の大松山城は小松山城よりも前の鎌倉時代に築かれました。
この時は時間の都合で小松山城までのルート!
少し登ると中太鼓櫓石垣が見えてきます

石垣の脇を抜けます

中太鼓櫓へ向かいます

櫓跡からの眺めは素晴らしかった

石垣の先はなかなか危険な場所でした。落ちている瓦は当時建っていた櫓の瓦と思われますが、国の史跡にて持ち帰ってはいけません!

道中、城主からの言葉(笑)

そして、見どころの一つ大手門と背後にある巨石とその上に築かれた石垣が飛び込んできます!

これを見ればとても攻められず、戦意喪失間違いない!

圧巻の巨石と石垣群です

三ノ丸へ入ります

現存と思われる土塀には瓦と狭間

三ノ丸から厩曲輪と二ノ丸の石垣が段々になって、威圧感満載です

二ノ丸へ向かいます

厩曲輪から二ノ丸石垣

二ノ丸へ入ると天守と復元された五の平櫓が現れます

階段を上り本丸へ

天守

2階建てと小さくて可愛らしい天守ですが、堂々としてます

天守へ入る前。石垣が建物よりもかなり出ていましたが、何故だろう?

振り返り、右が六の平櫓、左が五の平櫓

1階。やはり階段は急ですね。

下屋根の構造

2階の小屋組み

屋根の出隅部分


古くなった柱を部分的に入れ替えた跡

天守から土塀と紅葉

現存の2重櫓と復元された腕木御門

本丸から二ノ丸へ下り、本丸東の石垣下の犬走りから天守を見上げる

石垣と土塀

更に奥へ

本丸北側の後曲輪と石垣が奥に見えます

この斜面と石垣はとても登れないので、攻められそうにありません

本丸東御門

日も暮れだしたので、引き返します

二の丸から松山城下

登って来る時も見た三ノ丸の土塀。かなり幅があります。

最後に大手門奥の巨石と石垣群をしっかり目に焼き付け下山!

備中松山城を攻めた事で、
現存12天守と日本三大山城を制覇!
もう7年前の事ですが・・・
奥の大松山も行かねばならないので、いつか月山富田城とセットでリベンジです!
この城は、是非行って貰いたい城ですので、少し遠いですが、
松江城、米子城、月山富田城とセットでどうぞ!
次回138城目は鬼ノ城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
岡山県高梁市にある備中松山城!

備中松山城は現存12天守の一つで、
現存天守の中で1番標高が高い所に建っております。
日本三大山城の一つです。
日本100名城にも選定。
2階建ての小さな天守ですが、やはり現存の存在感は別格であります。
廃城令後に放置され、ボロボロの状態から調査し、修復して蘇った天守です。
山城でありながら石垣も多用され、天然の巨石の上に築かれた石垣は圧巻です。
その備中松山城へは、私の独断と偏見でほぼ城しか行かない行程となった
大義名分社員旅行で行きました。
前回の月山富田城の後に訪れました。
備中高梁駅で下車

381系の特急やくも岡山行とはここでお別れ

乗り合いタクシーで、ふいご峠まで。
これでも今よりもかなり痩せておりますな・・・いい加減痩せないと山城に登れなくなるかも・・・

城攻め開始!

その前に地図をチェック

備中松山城は地図の小松山城の事を差しており、
奥の大松山城は小松山城よりも前の鎌倉時代に築かれました。
この時は時間の都合で小松山城までのルート!
少し登ると中太鼓櫓石垣が見えてきます

石垣の脇を抜けます

中太鼓櫓へ向かいます

櫓跡からの眺めは素晴らしかった

石垣の先はなかなか危険な場所でした。落ちている瓦は当時建っていた櫓の瓦と思われますが、国の史跡にて持ち帰ってはいけません!

道中、城主からの言葉(笑)

そして、見どころの一つ大手門と背後にある巨石とその上に築かれた石垣が飛び込んできます!

これを見ればとても攻められず、戦意喪失間違いない!

圧巻の巨石と石垣群です

三ノ丸へ入ります

現存と思われる土塀には瓦と狭間

三ノ丸から厩曲輪と二ノ丸の石垣が段々になって、威圧感満載です

二ノ丸へ向かいます

厩曲輪から二ノ丸石垣

二ノ丸へ入ると天守と復元された五の平櫓が現れます

階段を上り本丸へ

天守

2階建てと小さくて可愛らしい天守ですが、堂々としてます

天守へ入る前。石垣が建物よりもかなり出ていましたが、何故だろう?

振り返り、右が六の平櫓、左が五の平櫓

1階。やはり階段は急ですね。

下屋根の構造

2階の小屋組み

屋根の出隅部分


古くなった柱を部分的に入れ替えた跡

天守から土塀と紅葉

現存の2重櫓と復元された腕木御門

本丸から二ノ丸へ下り、本丸東の石垣下の犬走りから天守を見上げる

石垣と土塀

更に奥へ

本丸北側の後曲輪と石垣が奥に見えます

この斜面と石垣はとても登れないので、攻められそうにありません

本丸東御門

日も暮れだしたので、引き返します

二の丸から松山城下

登って来る時も見た三ノ丸の土塀。かなり幅があります。

最後に大手門奥の巨石と石垣群をしっかり目に焼き付け下山!

備中松山城を攻めた事で、
現存12天守と日本三大山城を制覇!
もう7年前の事ですが・・・
奥の大松山も行かねばならないので、いつか月山富田城とセットでリベンジです!
この城は、是非行って貰いたい城ですので、少し遠いですが、
松江城、米子城、月山富田城とセットでどうぞ!
次回138城目は鬼ノ城です!
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2021年05月07日
お城めぐり!第136城目【月山冨田城】
お城めぐりの第1236城目は、
島根県安来市にある、月山富田城!

月山富田城は何度も敵を退けた難攻不落の山城!
戦国時代に中国地方で勢力を伸ばしていた尼子氏が居城としていました。
その後、関ケ原の戦いで武功を上げた、堀尾氏が浜松から入るも
前回UPした松江城へ移り廃城となりました。
国の史跡に指定。日本100名城にも選定されております。
その月山富田城へは社員旅行の一環で前回紹介した松江城の後に訪れました。
松江駅を早朝出発し

安来駅からバスで南下し、最寄りのバス停で下車
バス停は月山富田城の川を挟んで反対側だったので、橋を渡ります。左手の山が月山富田城

橋を渡り、登山口にある案内図

模型で城の造りを確認

山城を攻めます。
城攻めして少し登ると、千畳平に出てその奥に尼子氏の家臣・山中鹿之助像が現れます

説明看板

奥書院を抜けながら紅葉した景色を堪能

更に先の花の壇には復元建物が

花の壇を抜け山中御殿に近づくと石垣が現れます

石垣手前のくぼみは井戸だったと思います。

山中御殿(さんちゅうごてん)は御殿があっただけあり、かなり広い曲輪でした


城下と麓の屋敷群と山頂の本丸との配置が分かり易い絵図

本当に広い曲輪でした


更に山中御殿奥へから山登り

現在は周りの樹木が伐採されているみたいですが、七曲と呼ばれる山道を登ります


登りきると三の丸の三段石垣が現れます


二ノ丸


二ノ丸からの景色

二ノ丸脇の石垣

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
なんと、月山富田城の4/5の写真が削除してしまったみたいで、残念ながら本丸の写真は皆無。
途中の曲輪の写真や堀切なんかもあった記憶はありますが、
何にしても写真がないのでお手上げ(笑)
無いなりに残っていた写真で誤魔化し誤魔化しやってみました。
これはもう1度行くしかないですね!
この三の丸石垣を見にリベンジをいつかしなければなりません。

安来駅から特急やくもに乗り込み次の目的地へ向かうのでありました。

まさかの30枚以下の写真。
何故削除したんだろう・・・
ちょっと凹んでおりますが、無いものは無い!
なかなか遠くて簡単には行けないですが、山城としては見る価値が十分にあるお城にて
松江城・米子城とセット訪れる事をお勧めします!
次回137城目は、いよいよあの備中松山城です!
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島根県安来市にある、月山富田城!

月山富田城は何度も敵を退けた難攻不落の山城!
戦国時代に中国地方で勢力を伸ばしていた尼子氏が居城としていました。
その後、関ケ原の戦いで武功を上げた、堀尾氏が浜松から入るも
前回UPした松江城へ移り廃城となりました。
国の史跡に指定。日本100名城にも選定されております。
その月山富田城へは社員旅行の一環で前回紹介した松江城の後に訪れました。
松江駅を早朝出発し

安来駅からバスで南下し、最寄りのバス停で下車
バス停は月山富田城の川を挟んで反対側だったので、橋を渡ります。左手の山が月山富田城

橋を渡り、登山口にある案内図

模型で城の造りを確認

山城を攻めます。
城攻めして少し登ると、千畳平に出てその奥に尼子氏の家臣・山中鹿之助像が現れます

説明看板

奥書院を抜けながら紅葉した景色を堪能
更に先の花の壇には復元建物が

花の壇を抜け山中御殿に近づくと石垣が現れます

石垣手前のくぼみは井戸だったと思います。

山中御殿(さんちゅうごてん)は御殿があっただけあり、かなり広い曲輪でした


城下と麓の屋敷群と山頂の本丸との配置が分かり易い絵図

本当に広い曲輪でした


更に山中御殿奥へから山登り

現在は周りの樹木が伐採されているみたいですが、七曲と呼ばれる山道を登ります


登りきると三の丸の三段石垣が現れます


二ノ丸


二ノ丸からの景色

二ノ丸脇の石垣

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
なんと、月山富田城の4/5の写真が削除してしまったみたいで、残念ながら本丸の写真は皆無。
途中の曲輪の写真や堀切なんかもあった記憶はありますが、
何にしても写真がないのでお手上げ(笑)
無いなりに残っていた写真で誤魔化し誤魔化しやってみました。
これはもう1度行くしかないですね!
この三の丸石垣を見にリベンジをいつかしなければなりません。
安来駅から特急やくもに乗り込み次の目的地へ向かうのでありました。

まさかの30枚以下の写真。
何故削除したんだろう・・・
ちょっと凹んでおりますが、無いものは無い!
なかなか遠くて簡単には行けないですが、山城としては見る価値が十分にあるお城にて
松江城・米子城とセット訪れる事をお勧めします!
次回137城目は、いよいよあの備中松山城です!
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2021年05月01日
お城めぐり!第135城目【松江城】
お城めぐりの第135城目は、
島根県松江市にある松江城!


松江城は説明要りませんね。
2015年に日本の城としては5城目となる国宝に指定されました。
築城したのは堀尾吉晴の子、堀尾忠氏。
浜松城が居城だった頃に、関ケ原の戦いが起こり、東軍に付いた堀尾氏。
その功績により24万石で月山冨田城(次回UP予定)へ入るも、
戦国時代には尼子氏の居城として難攻不落だった月山冨田城も、
江戸時代に城下町を形成するに不便であったために、松江城を築城と言われております。
国宝となった天守だけでなく、復元された櫓や門もあり、更にお堀が一周出来たりと、
日本を代表する一度は見ておきたいお城です。
その松江城へは国宝になる1年前の2014年、
まだ岩村建設が神谷部長と二人だけだった頃に、社員旅行として行きました。
寝台特急サンライズ出雲に乗りたかったのもあり、
せっかくなので終点の出雲市駅まで行き、
城ではないですが出雲大社も行こうって事で、旅の計画を立てたのをよく覚えてます。
最終電車で豊橋から浜松へ向かいます。

居酒屋でほろ酔いになった頃に、浜松駅構内へ

1:12分発の寝台特急サンライズ出雲号 浜松駅入線



お初のサンライズ出雲(サンライズ瀬戸は乗ってました)に興奮しつつも、ほろ酔いにて直ぐに爆睡

暗証番号で開閉

起きると岡山駅で、サンライズ瀬戸と切り離し伯備線を北上中でした

車窓を堪能

神谷部長は乗車後しばらく眠ることが出来ず、景色が良いこの頃爆睡だったとか

出雲市駅到着

記念撮影

あっ、松江城の登場はまだ先ですので、旅の道中と出雲大社をカットしたい方は地道にスクロールしてください(笑)
一畑電車(通称バタ電)の出雲市駅へ移動

すっごい古い車両。電車は好きでもあまり詳しくない私でも分かる、元々は南海電車の車両


出雲大社前駅から歩いて数分
出雲大社入口に到着

中へ入ります

参道を真っすぐ進みます

拝殿

八足門と奥に国宝の御本殿

八足門へ

造りが細かい

こんな感じで。装飾された梁桁に腕木、2重の垂木と見事です。

屋根は檜皮葺

十九社も檜皮葺き

まだ新しく葺き替えた感じでした

そして神楽殿

太くて大きなしめ縄です

お金が・・・どうやって入れたの?

出雲大社をあとにして

お昼ごはんはそりゃ出雲そばでしょ!

3段重ね。滅茶苦茶美味しかった事だけは覚えてます。

食後のせんべい食べ歩き・・・これは覚えてない・・・

再び、バタ電に乗り

宍道湖の北を走り、松江へ

いい景色です

松江駅到着し、徒歩で向かいます。
三ノ丸だったところには島根県庁があります

三の丸には初代松江藩主の堀尾氏ではなく、堀尾氏改易後に入った松平直政像


三ノ丸から内堀、奥には二ノ丸


三の丸櫓跡?

三ノ丸と二ノ丸を結ぶ千鳥橋


江戸時代は屋根がかかり廊下橋と呼ばれていました。福井城に廊下橋復元されてますね、和歌山城にもあったかな?

橋の背面には島根県庁舎

内堀

二ノ丸へ

南門の石垣

門の柱の束石

門を抜けると二ノ丸に入ると、まずは南櫓


南櫓は中へ入れます

復元とはいえ、木造にて太い松の梁が沢山

2階

チョウナで仕上げられてますね

南櫓から三ノ丸

次は中櫓

具足類を補完する倉庫だったようです

二ノ丸から本丸を見ると天守が見えます

土塀も土台が束石の上に敷かれ、狭間が木枠で囲われ、本格的に再現されてました

その土塀の先にも櫓

太鼓櫓


天守はすぐそこ

二ノ丸説明看板

いよいよ本丸へ
正面の南多門櫓を左へ折れると

一の門

一の門を抜けると天守登場

5層6階の天守です

正面から

天守と手前は実は付け櫓

地階から入ります。
過去に使用された古い木材や懸魚等があります


地下には井戸もあります

1階の床を支える太い梁

そして束

柱はとても無骨で、当時1本の太い柱が貴重だったのか、何本かを束にまとめて、
かずがい等の金具で固定して1本の太い柱に見立ててありました



展示物


2階へ

他の天守よりも柱のピッチが狭い気がします

階高も低いですね

梁が重なり複雑な作り

金物が多用されています

昭和34年の松江市模型。約60年前ですね。

良くできてます。左上に松江城

3階へ

この階は天井が高いです



さらに上へ


最上階

天井はオープン

最上階だけ垂れ壁に土塗り壁がしっかりありました


床は沢山の人が歩くのでピカピカ

古い写真。明治初年

天守最上階からの眺め

奥に宍道湖

真下の本丸

松江駅方面

東を望む

天守を出て天守廻り散策

西側から見る天守。破風の形が面により異なるので天守のイメージも見る角度により変わります

北の門付近の階段と石垣

水の手門


高い石垣です

食い違いになっているのがよくわかります

ギリギリ井戸って(笑)

腰曲輪石垣

再び二ノ丸に戻り、天守

二ノ丸下の段石垣

太鼓櫓


大手門内部の桝形。馬溜。

正面が二ノ丸。右手が太鼓櫓左手が中櫓

案内看板。

藩祖の堀尾吉晴像

大手門からではなく、南門からだったので全体を捉えるに時間がかかりました。
やはり大手門から入った方が造りが分かり易い。
そしてお堀を1周する船に乗車!

石垣にポツンと排水口

遊覧船、かなり楽しかった。なかなか1周出来るお城は少ないので、行かれたら是非乗ってもらいたいです。

神谷部長もかなり調子よかったかと・・・

橋もくぐります


夕刻の市街地を抜けます

階段は船着き場跡かな?

大手門前の船着き場に戻って来て終了。1週1時間くらいだったかな?

松江城から松江駅近くの宿まで歩いて向かいます。
途中宍道湖にかかる橋から見た夕日は素晴らしかった


ご夫婦で営む昭和っぽい民宿に泊まりました

レトロ感ある部屋でした。

写真の枚数が多くかなりの時間かかりましたが、旅と松江城攻めを思い出しながら書いていて楽しい時間でした。
この半年後に国宝に指定されるわけですので、国宝前に見れて良かった。
今度は国宝になった松江城天守を見に行かねば!
また遊覧船は必ず乗ります。そして、行けなかった武家屋敷や城下町の名残も見に行かねばなりません。
松江城はオススメです!ちょっと遠いですが、是非サンライズ出雲に乗って行ってください。
長々とダラダラと最後までみていただいた方へ!
大変お疲れ様でした。貴重な時間をこのブログにお使いいただきありがとうございました。
写真選定から、記事UPまで4時間くらいかかっているのかな?
疲れました(笑)でも楽しかった!
全て読んだあなたはきっといいことありますよ!
次回136城目は月山冨田城です。
いわけん城めぐりマップ
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島根県松江市にある松江城!


松江城は説明要りませんね。
2015年に日本の城としては5城目となる国宝に指定されました。
築城したのは堀尾吉晴の子、堀尾忠氏。
浜松城が居城だった頃に、関ケ原の戦いが起こり、東軍に付いた堀尾氏。
その功績により24万石で月山冨田城(次回UP予定)へ入るも、
戦国時代には尼子氏の居城として難攻不落だった月山冨田城も、
江戸時代に城下町を形成するに不便であったために、松江城を築城と言われております。
国宝となった天守だけでなく、復元された櫓や門もあり、更にお堀が一周出来たりと、
日本を代表する一度は見ておきたいお城です。
その松江城へは国宝になる1年前の2014年、
まだ岩村建設が神谷部長と二人だけだった頃に、社員旅行として行きました。
寝台特急サンライズ出雲に乗りたかったのもあり、
せっかくなので終点の出雲市駅まで行き、
城ではないですが出雲大社も行こうって事で、旅の計画を立てたのをよく覚えてます。
最終電車で豊橋から浜松へ向かいます。

居酒屋でほろ酔いになった頃に、浜松駅構内へ

1:12分発の寝台特急サンライズ出雲号 浜松駅入線



お初のサンライズ出雲(サンライズ瀬戸は乗ってました)に興奮しつつも、ほろ酔いにて直ぐに爆睡

暗証番号で開閉

起きると岡山駅で、サンライズ瀬戸と切り離し伯備線を北上中でした

車窓を堪能

神谷部長は乗車後しばらく眠ることが出来ず、景色が良いこの頃爆睡だったとか

出雲市駅到着

記念撮影

あっ、松江城の登場はまだ先ですので、旅の道中と出雲大社をカットしたい方は地道にスクロールしてください(笑)
一畑電車(通称バタ電)の出雲市駅へ移動

すっごい古い車両。電車は好きでもあまり詳しくない私でも分かる、元々は南海電車の車両


出雲大社前駅から歩いて数分
出雲大社入口に到着

中へ入ります

参道を真っすぐ進みます

拝殿

八足門と奥に国宝の御本殿

八足門へ

造りが細かい

こんな感じで。装飾された梁桁に腕木、2重の垂木と見事です。

屋根は檜皮葺

十九社も檜皮葺き

まだ新しく葺き替えた感じでした

そして神楽殿

太くて大きなしめ縄です

お金が・・・どうやって入れたの?

出雲大社をあとにして

お昼ごはんはそりゃ出雲そばでしょ!

3段重ね。滅茶苦茶美味しかった事だけは覚えてます。

食後のせんべい食べ歩き・・・これは覚えてない・・・

再び、バタ電に乗り

宍道湖の北を走り、松江へ

いい景色です

松江駅到着し、徒歩で向かいます。
三ノ丸だったところには島根県庁があります

三の丸には初代松江藩主の堀尾氏ではなく、堀尾氏改易後に入った松平直政像


三ノ丸から内堀、奥には二ノ丸


三の丸櫓跡?

三ノ丸と二ノ丸を結ぶ千鳥橋


江戸時代は屋根がかかり廊下橋と呼ばれていました。福井城に廊下橋復元されてますね、和歌山城にもあったかな?

橋の背面には島根県庁舎

内堀

二ノ丸へ

南門の石垣

門の柱の束石

門を抜けると二ノ丸に入ると、まずは南櫓


南櫓は中へ入れます

復元とはいえ、木造にて太い松の梁が沢山

2階

チョウナで仕上げられてますね

南櫓から三ノ丸

次は中櫓

具足類を補完する倉庫だったようです

二ノ丸から本丸を見ると天守が見えます

土塀も土台が束石の上に敷かれ、狭間が木枠で囲われ、本格的に再現されてました

その土塀の先にも櫓

太鼓櫓


天守はすぐそこ

二ノ丸説明看板

いよいよ本丸へ
正面の南多門櫓を左へ折れると

一の門

一の門を抜けると天守登場

5層6階の天守です

正面から

天守と手前は実は付け櫓

地階から入ります。
過去に使用された古い木材や懸魚等があります


地下には井戸もあります

1階の床を支える太い梁

そして束

柱はとても無骨で、当時1本の太い柱が貴重だったのか、何本かを束にまとめて、
かずがい等の金具で固定して1本の太い柱に見立ててありました



展示物


2階へ

他の天守よりも柱のピッチが狭い気がします

階高も低いですね

梁が重なり複雑な作り

金物が多用されています

昭和34年の松江市模型。約60年前ですね。

良くできてます。左上に松江城

3階へ

この階は天井が高いです



さらに上へ


最上階

天井はオープン

最上階だけ垂れ壁に土塗り壁がしっかりありました


床は沢山の人が歩くのでピカピカ

古い写真。明治初年

天守最上階からの眺め

奥に宍道湖

真下の本丸

松江駅方面

東を望む

天守を出て天守廻り散策

西側から見る天守。破風の形が面により異なるので天守のイメージも見る角度により変わります

北の門付近の階段と石垣

水の手門


高い石垣です

食い違いになっているのがよくわかります

ギリギリ井戸って(笑)

腰曲輪石垣

再び二ノ丸に戻り、天守

二ノ丸下の段石垣

太鼓櫓


大手門内部の桝形。馬溜。

正面が二ノ丸。右手が太鼓櫓左手が中櫓

案内看板。

藩祖の堀尾吉晴像

大手門からではなく、南門からだったので全体を捉えるに時間がかかりました。
やはり大手門から入った方が造りが分かり易い。
そしてお堀を1周する船に乗車!

石垣にポツンと排水口

遊覧船、かなり楽しかった。なかなか1周出来るお城は少ないので、行かれたら是非乗ってもらいたいです。

神谷部長もかなり調子よかったかと・・・

橋もくぐります


夕刻の市街地を抜けます

階段は船着き場跡かな?

大手門前の船着き場に戻って来て終了。1週1時間くらいだったかな?

松江城から松江駅近くの宿まで歩いて向かいます。
途中宍道湖にかかる橋から見た夕日は素晴らしかった


ご夫婦で営む昭和っぽい民宿に泊まりました

レトロ感ある部屋でした。

写真の枚数が多くかなりの時間かかりましたが、旅と松江城攻めを思い出しながら書いていて楽しい時間でした。
この半年後に国宝に指定されるわけですので、国宝前に見れて良かった。
今度は国宝になった松江城天守を見に行かねば!
また遊覧船は必ず乗ります。そして、行けなかった武家屋敷や城下町の名残も見に行かねばなりません。
松江城はオススメです!ちょっと遠いですが、是非サンライズ出雲に乗って行ってください。
長々とダラダラと最後までみていただいた方へ!
大変お疲れ様でした。貴重な時間をこのブログにお使いいただきありがとうございました。
写真選定から、記事UPまで4時間くらいかかっているのかな?
疲れました(笑)でも楽しかった!
全て読んだあなたはきっといいことありますよ!
次回136城目は月山冨田城です。
いわけん城めぐりマップ
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2021年04月19日
お城めぐり!第3城目【大坂城(その3)】
お城めぐりの135城目ではなく、
3城目大坂城(その3)です!

その3って事は3回目です。
1回目も2回目もやっつけ感がありますが、
もっと見どころ満載な大坂城の普段は公開されておらず入れない櫓に
5年くらい前特別公開があり(なんだかんだ毎年のように時期を決めて特別公開しているが)その時に入った時のものをUPします。
地元にいながらも天守に入った事が無いという、前日泊めてもらった友人一家と一緒に行ったので、
当然最初は天守へ
大坂城公園前駅から大坂城ホールの前を抜け、
極楽橋から入ります


秀吉時代と家康時代の天守が混ざった不思議な天守ですが、大きさと豪快さは相変わらず凄味があります。

天守へ入ります

天守の中は、大坂城博物館みたいなものなので、秀吉の事や、大坂城の歴史について映像や、パネル展示で解説。
この日はかなりの人で賑わっており、天守内なかなか進まなかった記憶があります。
最上階から真下本丸

大阪城ホール方面

西の丸方面

天守を降りて、天守の近くにある現存の金蔵

皆さん、天守を見に来てますので、この建物はスルーされてました。

そして、時間も時間だったので友人一家とそろそろお別れって事で、
今度は大手門から出ようと思い
本丸南の桜門へ
桜門の桝形には巨大な蛸石があります

本丸の空堀と桜門

西の丸から本丸内堀

大手門を出て南外堀と現存の6番櫓

友人一家と別れて、私は再び城内へ戻ります。
戻る理由は、大坂の陣400年天下一祭 重要文化財特別公開「多門櫓・千貫櫓・乾櫓・煙硝櫓」の為!

再び大手門へ。土橋を渡ります

土橋から西外堀

土橋から千貫櫓

大手門の中へ

大手門は桝形となっており、多門櫓が待ち構えてます

大坂城には桜門の蛸石以外にも、鏡石となる巨石が沢山あります。
大手桝形にも

巨大な石があります

巨石の説明

そして慌てて多門櫓へ。入場時間ギリギリで止められそうになりましたが、お願いしまくってなんとか入れて貰った記憶があります・・・
まずは千貫櫓が見えましたが

こちらの多門櫓からはいります

現存にて江戸時代から残る建物は木材が古くしっかり乾燥し堅そうです。

多門櫓は元々1628年に建てられましたが、1783年落雷で焼失し以後石垣のみでしたが、幕末の1848年に再建されたものが現在の櫓との事

太い柱に

太い梁

修復時に出た、古材(木材や瓦)の展示

多門櫓から大手桝形を見下ろします

多門櫓の説明

中央の大広間はかなり広く

小屋組みも立派

70帖もあるそうです

多門櫓を抜け、門の横からチラっと多門櫓の内側を見る

そして千貫櫓へ

千貫櫓も無骨な雰囲気です。

千貫櫓の跳ね上げ窓から大手門と門に続く土橋

千貫櫓説明、1620年築とかなり古い櫓。

2層の千貫櫓、1階の廊外周廊下と上部や1階屋根小屋組み

西外堀

過去取替した懸魚でしょうか?飾ってありました。

床板も幅広く分厚そうな板です

千貫櫓出口

そして次は乾櫓へ

乾櫓入り口前から西外堀

いざ中へ

入った雰囲気は千貫櫓と似てますが

床板は幅が狭いが、チョウナで削ってありました

チョウナ仕上げは現存か復元した建物しか見た事がありません

この柱は傷だらけだったが、なんでだろう?

乾櫓はL字型

乾櫓にも懸魚がありました

2階へは上がれませんでした

乾櫓から北外堀

乾櫓の案内看板。千貫櫓と同じく1620年築。

そして最後の櫓は煙硝櫓。火薬庫です。

中へ

壁

天井

床と全て花崗岩で作られており今で言えば、不燃材を用いて耐火構造にしてありますってところでしょうか?

出口


外から見てもとても燃えそうにない


千貫櫓、乾櫓、煙硝櫓は西の丸にありますので、

西の丸から天守がこんな感じで見えます



西の丸から外堀を眺め


千貫櫓を内側(西の丸側)から見て

多門櫓をくぐる前に西の丸を見通し

そして大手門を出て、多門櫓と千貫櫓、そして奥に天守を見てお別れです

そして記憶にないですが、この近鉄名古屋駅のアーバンライナーの写真があったって事は難波からアーバンライナーで帰ったのかと思われます(笑)

大坂城は特別公開は比較的頻繁に開催されているので、チェックして時期を合わせれば結構みれます。
ただし、最近は乾櫓はあまり公開されないみたいです。
ちなみに、この数年後友人を大坂城へ案内しましたが、
その時も特別公開していました。
しかし、乾櫓だけは非公開でした。
この時乾櫓へ入れた事はラッキーだったのかもね?
さて、次回は国宝になる前の松江城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
3城目大坂城(その3)です!

その3って事は3回目です。
1回目も2回目もやっつけ感がありますが、
もっと見どころ満載な大坂城の普段は公開されておらず入れない櫓に
5年くらい前特別公開があり(なんだかんだ毎年のように時期を決めて特別公開しているが)その時に入った時のものをUPします。
地元にいながらも天守に入った事が無いという、前日泊めてもらった友人一家と一緒に行ったので、
当然最初は天守へ
大坂城公園前駅から大坂城ホールの前を抜け、
極楽橋から入ります


秀吉時代と家康時代の天守が混ざった不思議な天守ですが、大きさと豪快さは相変わらず凄味があります。

天守へ入ります

天守の中は、大坂城博物館みたいなものなので、秀吉の事や、大坂城の歴史について映像や、パネル展示で解説。
この日はかなりの人で賑わっており、天守内なかなか進まなかった記憶があります。
最上階から真下本丸

大阪城ホール方面

西の丸方面

天守を降りて、天守の近くにある現存の金蔵

皆さん、天守を見に来てますので、この建物はスルーされてました。

そして、時間も時間だったので友人一家とそろそろお別れって事で、
今度は大手門から出ようと思い
本丸南の桜門へ
桜門の桝形には巨大な蛸石があります

本丸の空堀と桜門

西の丸から本丸内堀

大手門を出て南外堀と現存の6番櫓

友人一家と別れて、私は再び城内へ戻ります。
戻る理由は、大坂の陣400年天下一祭 重要文化財特別公開「多門櫓・千貫櫓・乾櫓・煙硝櫓」の為!

再び大手門へ。土橋を渡ります

土橋から西外堀

土橋から千貫櫓

大手門の中へ

大手門は桝形となっており、多門櫓が待ち構えてます

大坂城には桜門の蛸石以外にも、鏡石となる巨石が沢山あります。
大手桝形にも

巨大な石があります

巨石の説明

そして慌てて多門櫓へ。入場時間ギリギリで止められそうになりましたが、お願いしまくってなんとか入れて貰った記憶があります・・・
まずは千貫櫓が見えましたが

こちらの多門櫓からはいります

現存にて江戸時代から残る建物は木材が古くしっかり乾燥し堅そうです。

多門櫓は元々1628年に建てられましたが、1783年落雷で焼失し以後石垣のみでしたが、幕末の1848年に再建されたものが現在の櫓との事

太い柱に

太い梁

修復時に出た、古材(木材や瓦)の展示

多門櫓から大手桝形を見下ろします

多門櫓の説明

中央の大広間はかなり広く

小屋組みも立派

70帖もあるそうです

多門櫓を抜け、門の横からチラっと多門櫓の内側を見る

そして千貫櫓へ

千貫櫓も無骨な雰囲気です。

千貫櫓の跳ね上げ窓から大手門と門に続く土橋

千貫櫓説明、1620年築とかなり古い櫓。

2層の千貫櫓、1階の廊外周廊下と上部や1階屋根小屋組み

西外堀

過去取替した懸魚でしょうか?飾ってありました。

床板も幅広く分厚そうな板です

千貫櫓出口

そして次は乾櫓へ

乾櫓入り口前から西外堀

いざ中へ

入った雰囲気は千貫櫓と似てますが

床板は幅が狭いが、チョウナで削ってありました

チョウナ仕上げは現存か復元した建物しか見た事がありません

この柱は傷だらけだったが、なんでだろう?

乾櫓はL字型

乾櫓にも懸魚がありました

2階へは上がれませんでした

乾櫓から北外堀

乾櫓の案内看板。千貫櫓と同じく1620年築。

そして最後の櫓は煙硝櫓。火薬庫です。

中へ

壁

天井

床と全て花崗岩で作られており今で言えば、不燃材を用いて耐火構造にしてありますってところでしょうか?

出口


外から見てもとても燃えそうにない


千貫櫓、乾櫓、煙硝櫓は西の丸にありますので、

西の丸から天守がこんな感じで見えます



西の丸から外堀を眺め


千貫櫓を内側(西の丸側)から見て

多門櫓をくぐる前に西の丸を見通し

そして大手門を出て、多門櫓と千貫櫓、そして奥に天守を見てお別れです

そして記憶にないですが、この近鉄名古屋駅のアーバンライナーの写真があったって事は難波からアーバンライナーで帰ったのかと思われます(笑)

大坂城は特別公開は比較的頻繁に開催されているので、チェックして時期を合わせれば結構みれます。
ただし、最近は乾櫓はあまり公開されないみたいです。
ちなみに、この数年後友人を大坂城へ案内しましたが、
その時も特別公開していました。
しかし、乾櫓だけは非公開でした。
この時乾櫓へ入れた事はラッキーだったのかもね?
さて、次回は国宝になる前の松江城です!
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2021年03月31日
134城目【水口城】
お城めぐりの134城目は
滋賀県甲賀市にあります水口城

水口城は江戸幕府が開かれてからの1634年と割と遅めの時代に築城。
元々は近くにあった水口岡山城が戦国時代に存在し、
その後廃城となるが、水口が東海道の宿場町として整備されると将軍上洛の宿泊地が必要とされ、水口城が築かれました。
その水口城へは2015年の9月に行きました。
西宮の友人宅へ向かう途中で寄りました。
乗ったことのない近江鉄道沿線の城って事で
水口城(本当は未だに行っていない水口岡山城の方が行きたかったが)を目指すのでありました。
近江鉄道の彦根駅の写真があるって事は、米原駅でなく彦根駅から近江鉄道に乗ったみたいです・・・記憶にないですが・・・彦根城へ行ったのかな?


お初の近江鉄道に乗車

途中、高宮駅で乗り換え。分岐する駅にてホームが三角状で面白い

木造の風情がある古い駅ですね

のんびり揺られながら

車窓を

楽しみます

そして最寄り駅の

水口城南駅に到着


駅の公衆トイレかな?狭間の付いた城郭風?建築物があります

駅から歩いてすぐに水堀が見えてきます

時期的に彼岸花があちらこちらで咲いていました


堀の奥に石垣と塀がチラリ

そして水口城資料館となる移築した乾櫓を2階建てに改造して、大手門の桝形虎口に再移築した櫓が現れます(説明が長いがそうゆうことです)



町名がカッコいいですね。本丸町!

水口城案内看板


橋が見えてきました

堀にかかる橋は大手門へと続きます

配置図付の説明看板

本丸に大きな御殿があつてはありましたが、現在は高校の運動場で、城郭として整備されているのは入口となる桝形虎口と本丸を囲う水堀


いよいよ橋を渡ります

橋から堀と石垣


門


門をくぐると櫓が正面に。

桝形門とはいえ、かなり広いです。奥にも門

振り帰り入ってきた門

さて、櫓となる資料館へ

どの部材が当時のものかはわかりませんが、木造です再現してあります。

1/100の本丸復元模型

本丸の内、こちらの小さな大手桝形門に現在資料館や門などが整備されてます。

絵図にも本丸のよこにちょこっと桝形門が見られます

本丸御殿の間取り図

本丸の配置図

本丸の絵図

実際使用されていた柱や金物(かすがい、釘)も展示されていました

1階展示スペース


水口藩は加藤嘉明を藩祖とする、加藤家が幕末まで城主を務めた

2階へ

天井を張らず、小屋組みが現しで見れます。


2階からお堀

塀

下ります

櫓と大手虎口を後にします

ここからの雰囲気がいいですね~

序盤に説明しましたが、本丸御殿があった本丸は現在水口高校のグランドになっております

本丸を囲む水堀を1週します

資料館として移築された乾櫓は元々この石垣の上に建っていたと思われます


本丸周りは水堀沿いに遊歩道として整備されております

この日はやはり彼岸花と水堀が映えました

近世城郭らしい、本丸石垣と本丸を囲う水堀が素敵なお城でした

最後に櫓をチラッと見て次の場所へ

再び近江鉄道に乗り込むのでありました

次回は水口岡山城へ行ってみよう!
また近江鉄道乗車しに来ます!
次回は135城目ではなく、3城目大阪城(その3)です!
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滋賀県甲賀市にあります水口城

水口城は江戸幕府が開かれてからの1634年と割と遅めの時代に築城。
元々は近くにあった水口岡山城が戦国時代に存在し、
その後廃城となるが、水口が東海道の宿場町として整備されると将軍上洛の宿泊地が必要とされ、水口城が築かれました。
その水口城へは2015年の9月に行きました。
西宮の友人宅へ向かう途中で寄りました。
乗ったことのない近江鉄道沿線の城って事で
水口城(本当は未だに行っていない水口岡山城の方が行きたかったが)を目指すのでありました。
近江鉄道の彦根駅の写真があるって事は、米原駅でなく彦根駅から近江鉄道に乗ったみたいです・・・記憶にないですが・・・彦根城へ行ったのかな?


お初の近江鉄道に乗車

途中、高宮駅で乗り換え。分岐する駅にてホームが三角状で面白い

木造の風情がある古い駅ですね

のんびり揺られながら

車窓を

楽しみます

そして最寄り駅の

水口城南駅に到着


駅の公衆トイレかな?狭間の付いた城郭風?建築物があります

駅から歩いてすぐに水堀が見えてきます

時期的に彼岸花があちらこちらで咲いていました


堀の奥に石垣と塀がチラリ

そして水口城資料館となる移築した乾櫓を2階建てに改造して、大手門の桝形虎口に再移築した櫓が現れます(説明が長いがそうゆうことです)



町名がカッコいいですね。本丸町!

水口城案内看板


橋が見えてきました

堀にかかる橋は大手門へと続きます

配置図付の説明看板

本丸に大きな御殿があつてはありましたが、現在は高校の運動場で、城郭として整備されているのは入口となる桝形虎口と本丸を囲う水堀


いよいよ橋を渡ります

橋から堀と石垣


門


門をくぐると櫓が正面に。

桝形門とはいえ、かなり広いです。奥にも門

振り帰り入ってきた門

さて、櫓となる資料館へ

どの部材が当時のものかはわかりませんが、木造です再現してあります。

1/100の本丸復元模型

本丸の内、こちらの小さな大手桝形門に現在資料館や門などが整備されてます。

絵図にも本丸のよこにちょこっと桝形門が見られます

本丸御殿の間取り図

本丸の配置図

本丸の絵図

実際使用されていた柱や金物(かすがい、釘)も展示されていました

1階展示スペース


水口藩は加藤嘉明を藩祖とする、加藤家が幕末まで城主を務めた

2階へ

天井を張らず、小屋組みが現しで見れます。


2階からお堀

塀

下ります

櫓と大手虎口を後にします

ここからの雰囲気がいいですね~

序盤に説明しましたが、本丸御殿があった本丸は現在水口高校のグランドになっております

本丸を囲む水堀を1週します

資料館として移築された乾櫓は元々この石垣の上に建っていたと思われます


本丸周りは水堀沿いに遊歩道として整備されております

この日はやはり彼岸花と水堀が映えました

近世城郭らしい、本丸石垣と本丸を囲う水堀が素敵なお城でした

最後に櫓をチラッと見て次の場所へ

再び近江鉄道に乗り込むのでありました

次回は水口岡山城へ行ってみよう!
また近江鉄道乗車しに来ます!
次回は135城目ではなく、3城目大阪城(その3)です!
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2021年02月01日
133城目【江戸城(その1)】
お城めぐりの第133城目は、
東京都の言わずと知れた江戸城です。

もうね、説明は必要ありませんね。
徳川将軍家の居城で、日本最大で最強の城郭と言っても良いかと。
戦国時代に太田道灌により築城、
北条氏が滅亡し、豊臣秀吉の命で関東へ移封となった徳川家康が江戸城を整備。
天守は家康・秀忠・家光と3回建てられたが、1657年に焼失して以来、
天守台は再建されたが天守が建てられることはなかった。
現在は皇居となり、一部公開されています。
今回は一部公開の天守台のある本丸とその周辺を紹介します。
江戸城は広すぎるし、私もまだ見終えてないので最終的に3回か4回に分けてUPすることとなるかと思います。
江戸城へは4回くらい行きましたが、
記憶を辿ると
1回目は展示会ついでにあまり時間なく、東京駅から行くと最初に遭遇する和田倉門から桜田門へと歩いたくらい
2回目は見附めぐりをしながら最終的に本丸へ入ろうとしたが、入れない日で大手門の前で途方に暮れた
3回目は息子と5年前に鉄道博物館へ行くついでに本丸リベンジ
4回目はお盆の終戦記念日に靖国神社から北の丸を見るも土砂降りで田安門しか見れず・・・武道館を横目に退散・・・
今回は3回目の初めて大手門をくぐれた本丸・二ノ丸・三ノ丸をUPします。
豊橋から5年前はまだしっかり現役だった700系新幹線(昨年引退)に乗り込みます
年長だった息子。今は5年生。早いな~

途中、掛川城を見て

富士山を見て新幹線の旅を満喫

東京駅到着

前回入れなかった大手門へ

土曜日だったので結構な人出

大手門へ入ります

桝形にて右に折れます

当時も筋違いに金物を打ち付けていたのですね

それにしても分厚い扉に太い胴の樋です

三ノ丸にある大手門から本丸へ向かいます

三ノ丸から二ノ丸へ

二ノ丸へ入るとすぐに同心番所

3つ残る現存の番所の1つです

現存する番所で1番大きな百人番所


本丸中之門石垣


装飾性の高い石垣、隙間の無い切込みハギと呼ばれる積み方です

中之門石垣の説明


中之門を進むと大番所(現存)

中雀門石垣

確か焼けて表面にヒビが入ったんじゃないかと・・・


中雀門を抜けると広い本丸へ

本丸は行って直ぐ左手は富士見櫓

江戸城に現存する1番大きな3階建ての櫓です

忠臣蔵で有名な松の廊下跡

ここで吉良上野介が切り付けられたのですね


冨士見多門櫓


ついに天守台が目の前に

いいフォルムです



天守台の中へ

石垣内部は地階扱いだと思います。

ですので、門をくぐると地下1階から入る構造です。


天守台より北を見ると

日本武道館の屋根が見えます。澄んだ空ではありませんが、光る玉ねぎですね(笑)

天守台東側石垣

北東の角

北面。天守台の大きさが良く分かります。小さな息子がさらに小さく見えます

本丸のもう一つの入口、北詰橋門

北詰橋門前から天守台

北詰橋門

本丸周りの堀はかなりの深さ




本丸へ戻ります


北詰橋門から宮内庁の建物の横を抜け二ノ丸へ
梅林坂を下ります



本丸の石垣はごつくて高いので威圧感があります



二ノ丸から本丸へ続く、汐見坂

汐見坂南にある白鳥堀

北の丸や二の丸内も、もう少し散策したかったですが、息子がギブアップにて退散!
前回大手門の前で入れなかったので、それを思えば十分見れました。
それにしても広い広い江戸城。
まだまだ見れていないところが沢山あるのでまた行きたいですね。
次回江戸城その2ではなく、134城目は水口城です。
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東京都の言わずと知れた江戸城です。

もうね、説明は必要ありませんね。
徳川将軍家の居城で、日本最大で最強の城郭と言っても良いかと。
戦国時代に太田道灌により築城、
北条氏が滅亡し、豊臣秀吉の命で関東へ移封となった徳川家康が江戸城を整備。
天守は家康・秀忠・家光と3回建てられたが、1657年に焼失して以来、
天守台は再建されたが天守が建てられることはなかった。
現在は皇居となり、一部公開されています。
今回は一部公開の天守台のある本丸とその周辺を紹介します。
江戸城は広すぎるし、私もまだ見終えてないので最終的に3回か4回に分けてUPすることとなるかと思います。
江戸城へは4回くらい行きましたが、
記憶を辿ると
1回目は展示会ついでにあまり時間なく、東京駅から行くと最初に遭遇する和田倉門から桜田門へと歩いたくらい
2回目は見附めぐりをしながら最終的に本丸へ入ろうとしたが、入れない日で大手門の前で途方に暮れた
3回目は息子と5年前に鉄道博物館へ行くついでに本丸リベンジ
4回目はお盆の終戦記念日に靖国神社から北の丸を見るも土砂降りで田安門しか見れず・・・武道館を横目に退散・・・
今回は3回目の初めて大手門をくぐれた本丸・二ノ丸・三ノ丸をUPします。
豊橋から5年前はまだしっかり現役だった700系新幹線(昨年引退)に乗り込みます
年長だった息子。今は5年生。早いな~

途中、掛川城を見て

富士山を見て新幹線の旅を満喫

東京駅到着

前回入れなかった大手門へ

土曜日だったので結構な人出

大手門へ入ります

桝形にて右に折れます

当時も筋違いに金物を打ち付けていたのですね

それにしても分厚い扉に太い胴の樋です

三ノ丸にある大手門から本丸へ向かいます

三ノ丸から二ノ丸へ

二ノ丸へ入るとすぐに同心番所

3つ残る現存の番所の1つです

現存する番所で1番大きな百人番所


本丸中之門石垣


装飾性の高い石垣、隙間の無い切込みハギと呼ばれる積み方です

中之門石垣の説明


中之門を進むと大番所(現存)

中雀門石垣

確か焼けて表面にヒビが入ったんじゃないかと・・・


中雀門を抜けると広い本丸へ

本丸は行って直ぐ左手は富士見櫓

江戸城に現存する1番大きな3階建ての櫓です

忠臣蔵で有名な松の廊下跡

ここで吉良上野介が切り付けられたのですね


冨士見多門櫓


ついに天守台が目の前に

いいフォルムです



天守台の中へ

石垣内部は地階扱いだと思います。

ですので、門をくぐると地下1階から入る構造です。


天守台より北を見ると

日本武道館の屋根が見えます。澄んだ空ではありませんが、光る玉ねぎですね(笑)

天守台東側石垣

北東の角

北面。天守台の大きさが良く分かります。小さな息子がさらに小さく見えます

本丸のもう一つの入口、北詰橋門

北詰橋門前から天守台

北詰橋門

本丸周りの堀はかなりの深さ




本丸へ戻ります


北詰橋門から宮内庁の建物の横を抜け二ノ丸へ
梅林坂を下ります



本丸の石垣はごつくて高いので威圧感があります



二ノ丸から本丸へ続く、汐見坂

汐見坂南にある白鳥堀

北の丸や二の丸内も、もう少し散策したかったですが、息子がギブアップにて退散!
前回大手門の前で入れなかったので、それを思えば十分見れました。
それにしても広い広い江戸城。
まだまだ見れていないところが沢山あるのでまた行きたいですね。
次回江戸城その2ではなく、134城目は水口城です。
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2020年11月11日
132城目【臼井城】
お城めぐりの132城目は、
千葉県佐倉市の臼井城!
臼井城は、地元の吉田城と関係があったります。
家康の支配下となった1565年に重臣で徳川四天王の一人である酒井忠次が吉田城に入る訳ですが、
1588年に酒井忠次から家督を継いだ長男の酒井家次が吉田城主となります。
その後、家康が関東へ移封となると、今回紹介する臼井城に吉田城主だった酒井家次が入ります。
そして1604年に酒井家次は高崎城へ移封となり、臼井城は廃城となりました。
臼井城へは前回UPした佐倉城の次に訪れました。
京成臼井駅から北へ歩き、適当に入っていくと
臼井城址公園入口に到着しましたが、搦め手(裏口)だったようです。

登る階段途中に石垣が少しですが残っていました

登りきると広い本丸に出ます

本丸から印旛沼方面

東の住宅地

本丸の東切岸

本丸奥へと進みます

本丸南。土塁にぐるっと囲われていただろうと想像。

土塁


本丸と二ノ丸の間の堀

本丸と二ノ丸を結ぶ土橋

堀切かな?写真はあるが記憶にない・・・やはり写真は保存だけでなく早く整理せねば・・・

あまり写真がない・・・ピンボケが多くて使えないし、あまり覚えてない・・・
印旛沼近くだったので寄ってみる事に

ガチョウが気持ちよさそうに水浴びしてました(→いかにも最近行った感がありますが5年前・・・ガチョウを見た記憶すらない・・・)

対岸の印旛沼公園のあるところが師戸城跡と分かっていましたが、朝から歩きっぱなしで疲れ果てていたので諦める事に(疲れて諦めた記憶だけはしっかり覚えてる)
おそらく本当に疲れていたのでしょう。
写真が明らかに少ない・・・やっつけで行ってしまった感じですかね・・・
次回133城目はまだ登場してなかったんだと自分でも驚いた、江戸城です!
いわけん城めぐりマップ
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千葉県佐倉市の臼井城!
臼井城は、地元の吉田城と関係があったります。
家康の支配下となった1565年に重臣で徳川四天王の一人である酒井忠次が吉田城に入る訳ですが、
1588年に酒井忠次から家督を継いだ長男の酒井家次が吉田城主となります。
その後、家康が関東へ移封となると、今回紹介する臼井城に吉田城主だった酒井家次が入ります。
そして1604年に酒井家次は高崎城へ移封となり、臼井城は廃城となりました。
臼井城へは前回UPした佐倉城の次に訪れました。
京成臼井駅から北へ歩き、適当に入っていくと
臼井城址公園入口に到着しましたが、搦め手(裏口)だったようです。

登る階段途中に石垣が少しですが残っていました

登りきると広い本丸に出ます

本丸から印旛沼方面

東の住宅地

本丸の東切岸

本丸奥へと進みます

本丸南。土塁にぐるっと囲われていただろうと想像。

土塁


本丸と二ノ丸の間の堀

本丸と二ノ丸を結ぶ土橋

堀切かな?写真はあるが記憶にない・・・やはり写真は保存だけでなく早く整理せねば・・・

あまり写真がない・・・ピンボケが多くて使えないし、あまり覚えてない・・・
印旛沼近くだったので寄ってみる事に

ガチョウが気持ちよさそうに水浴びしてました(→いかにも最近行った感がありますが5年前・・・ガチョウを見た記憶すらない・・・)

対岸の印旛沼公園のあるところが師戸城跡と分かっていましたが、朝から歩きっぱなしで疲れ果てていたので諦める事に(疲れて諦めた記憶だけはしっかり覚えてる)
おそらく本当に疲れていたのでしょう。
写真が明らかに少ない・・・やっつけで行ってしまった感じですかね・・・
次回133城目はまだ登場してなかったんだと自分でも驚いた、江戸城です!
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