2015年12月22日
お城めぐり!第96城目【箕輪城】(北関東城めぐり旅⑤)
お城めぐりの第96城目は
群馬県高崎市美郷町にある
箕輪城(みのわじょう)です。

箕輪城は戦国時代に数々の著名な武将達(長野業正、内藤昌豊、滝川一益、井伊直政他)が城主となり、
関ヶ原の前には廃城となったお城ですが、その遺構はよく残り、
国の史跡に指定、日本100名城にも選定されております。
箕輪城へは今から2年前の2014年正月に行った北関東城めぐり旅の5城目に訪れました。
前回4城目に行った高崎城(95城目)はこちら
高崎駅からバスで30分、最寄バス停で下車。
なんと1日5~6本!もちろん行きも帰りのバスの時間も調べてきてますよ。

搦手口(裏口みたいなもの)から登城しました。

搦手口に到着。

こちらの搦手が大手だった時もあったとのこと

箕輪城郭の案内図

結構古い案内図

いざ出陣!

小高い丘の上の城郭で、遠くの山々が良く見えました

二の丸


二の丸と本丸を結ぶ土橋の途中に馬出し


土橋付近に城主となった武将のノボリが出てました


土橋から本丸のお堀を望みます。結構な深さです

史料館やガイダンス施設はないので、この土橋に資料が置かれてありました

本丸へ


城址碑

説明碑

本丸に残る石垣


本丸の奥には御前曲輪

井戸

お堀へ下りれる様に階段がありましたが、あいにく工事中でした

仕方なく戻り、二の丸から本丸のお堀へ

お堀の下から土橋を見て

奥へ進むと、先ほど見た工事中の階段が見えてきました

更に奥へ行くと石垣が良い状態で残ってました

深いお堀を引き返します

三の丸

三の丸には石垣がよく残っていました。
三の丸の石垣

三の丸門石垣

三の丸の奥には鍛治曲輪がありました。

鍛冶曲輪の石垣

このまま進むと出てしまうので、三の丸を抜け二の丸へ戻り、
郭馬出しへ続く土橋とその土橋から広がる箕輪城の見どころの一つ(私の中でね)大堀切へ
土橋

大堀切


堀切とは本丸や二の丸等の曲輪を区画したり攻め込まれにくい様に分断した堀の事で
山の尾根や形状を利用して削り造られた山城に多く存在する防御手法です。
堀切を抜けると郭馬出し


その奥には木俣と呼ばれる曲輪


この先大手まで大手尾根筋とお堀が続きます



そして本来表門にあたる大手口から出て行くのてありました。

旧美郷町庁舎で100名城のスタンプを押し、再びバスへ乗り込み高崎駅へ戻るのでありました。
箕輪城は曲輪・お堀が非常にしっかりと残る素晴らしい城郭でした。
記憶が正しければ二時間以上は滞在したかと。
普通の人が見ればただの広い公園なのでしょうが、
本丸や二の丸等を形成した曲輪にその曲輪を囲む様にお堀がめぐらされ
その形がしっかり残っているのは非常に貴重だなと思います。
今思うとこの箕輪城へ登城したあたりから曲輪やお堀に魅了されていく自分がに気づきました(笑)
次回97城目は北条氏の居城、これまた行って痺れてしまった城郭、
鉢形城です。
過去のお城一覧はこちら
群馬県高崎市美郷町にある
箕輪城(みのわじょう)です。
箕輪城は戦国時代に数々の著名な武将達(長野業正、内藤昌豊、滝川一益、井伊直政他)が城主となり、
関ヶ原の前には廃城となったお城ですが、その遺構はよく残り、
国の史跡に指定、日本100名城にも選定されております。
箕輪城へは今から2年前の2014年正月に行った北関東城めぐり旅の5城目に訪れました。
前回4城目に行った高崎城(95城目)はこちら
高崎駅からバスで30分、最寄バス停で下車。
なんと1日5~6本!もちろん行きも帰りのバスの時間も調べてきてますよ。
搦手口(裏口みたいなもの)から登城しました。
搦手口に到着。
こちらの搦手が大手だった時もあったとのこと
箕輪城郭の案内図
結構古い案内図
いざ出陣!
小高い丘の上の城郭で、遠くの山々が良く見えました
二の丸
二の丸と本丸を結ぶ土橋の途中に馬出し
土橋付近に城主となった武将のノボリが出てました
土橋から本丸のお堀を望みます。結構な深さです
史料館やガイダンス施設はないので、この土橋に資料が置かれてありました
本丸へ
城址碑
説明碑
本丸に残る石垣
本丸の奥には御前曲輪
井戸
お堀へ下りれる様に階段がありましたが、あいにく工事中でした
仕方なく戻り、二の丸から本丸のお堀へ
お堀の下から土橋を見て
奥へ進むと、先ほど見た工事中の階段が見えてきました
更に奥へ行くと石垣が良い状態で残ってました
深いお堀を引き返します
三の丸
三の丸には石垣がよく残っていました。
三の丸の石垣
三の丸門石垣
三の丸の奥には鍛治曲輪がありました。
鍛冶曲輪の石垣
このまま進むと出てしまうので、三の丸を抜け二の丸へ戻り、
郭馬出しへ続く土橋とその土橋から広がる箕輪城の見どころの一つ(私の中でね)大堀切へ
土橋
大堀切
堀切とは本丸や二の丸等の曲輪を区画したり攻め込まれにくい様に分断した堀の事で
山の尾根や形状を利用して削り造られた山城に多く存在する防御手法です。
堀切を抜けると郭馬出し
その奥には木俣と呼ばれる曲輪
この先大手まで大手尾根筋とお堀が続きます
そして本来表門にあたる大手口から出て行くのてありました。
旧美郷町庁舎で100名城のスタンプを押し、再びバスへ乗り込み高崎駅へ戻るのでありました。
箕輪城は曲輪・お堀が非常にしっかりと残る素晴らしい城郭でした。
記憶が正しければ二時間以上は滞在したかと。
普通の人が見ればただの広い公園なのでしょうが、
本丸や二の丸等を形成した曲輪にその曲輪を囲む様にお堀がめぐらされ
その形がしっかり残っているのは非常に貴重だなと思います。
今思うとこの箕輪城へ登城したあたりから曲輪やお堀に魅了されていく自分がに気づきました(笑)
次回97城目は北条氏の居城、これまた行って痺れてしまった城郭、
鉢形城です。
過去のお城一覧はこちら